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現実は最低限にして空想に捧げる人生

私には絶対に譲れないが現世では自分では物理的に成し得ない夢があります。ですのでこの世界では最低限のことだけをして、残り全てを空想に費やしてその世界で生きるという生き方をしようと考えてます。 このような生き方をしてる人は日本で増えてきていて(いるように思えて)その中でも多くの人は妥協策として無意識的にしていると思います。しかし、私は全く妥協策ではないわけではないものの賢い生き方として選択的にこのような生き方をしようかと考えてます。 これは哲学的に考えて間違えていることでしょうか。それともどんな人でも幸福に最大限生きることができる賢い生き方でしょうか。

みんなの回答

回答No.2

「自分」によって宇宙は生じているのであり、その宇宙が 自己の意志に反しているとしたら、自我の目覚めの不完 全さ(自己中心的、短絡的欲求)による自己矛盾において、 阻害されているのだ。 有限な存在性は認識において生じる=真の自己とは宇宙 全体=脳の中の現象であり、肉体的自我を超えた他我に よれば、その他への貢献の意志は物理的限界を生じない。 自らを尽くす喜びではなく、他人に何かをしてもらうとか、 他人と競って何かを得たいという「夢」は、「自己」矛盾を招く。 夢想によって生きるといっても、その衣食住は世界中の人の 営為によっており、社会貢献しないという事は、社会全体の 生産性を低下させる(自己も含む)事であり、大なり小なり その「夢想」をも制限する事になる。

noname#213069
質問者

お礼

こういう質問して煽り・そうでなくても否定以外が来た試しがない。かわいそうな人という私に残った唯一のアイデンティティを満たそうとしましたがむしろ逆効果でそれすら叶わない状況下なんだって悟りましたよ。もう屁理屈とでも言われようがいい。他人がなんと言おうがもう本気でそれに生きることだけ考えることにします。

  • tomoka_m
  • ベストアンサー率9% (15/151)
回答No.1

現実を最低限に力を注げばいいと考えられるのは、それなりの 考察と力を持っている者に限定され、空想好きには不可能です。 何故ならば、現実を見ないからです。 ホームレスになって、ダンボールを被って夢を見ていればいい。 哲学ではなく小理屈ですな。

noname#213069
質問者

お礼

こういう質問して煽り・そうでなくても否定以外が来た試しがない。かわいそうな人という私に残った唯一のアイデンティティを満たそうとしましたがむしろ逆効果でそれすら叶わない状況下なんだって悟りましたよ。もう屁理屈とでも言われようがいい。他人がなんと言おうがもう本気でそれに生きることだけ考えることにします。

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