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事故に起きられる?迷惑の受け身としての意味とは?
- 「事故に起きられる」という表現は、迷惑の受け身の一例です。通常は「事故が起きる」と表現されますが、この場合は動詞「起きる」を自動詞から受動態に変えることで、「事故によって起こされる」という意味を持たせています。
- ただし、「起きる」は受動態にすることができない動詞ではありません。通常は受動態にする必要もないため、「事故が起きる」と表現することが一般的です。
- 「事故に起きられる」という表現には、少し違和感を覚える人もいるかもしれません。しかし、正しい文法であるかどうかは文脈によるため、使う場面や相手の理解度によって使い分ける必要があります。
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事件や事故のように、自己の自発的意志行為に因らない事態の発生は「起こる」と遣います。 そして、これは所動詞の自動詞として「できる」「要る」同様、そのままでは受身形は取れません。 「起きる」は、自発的に「目を覚ます」「横たわっていたのが直立する」という本来の能動詞の自動詞としては受身が作り得ますが、最近混同されている事件や事故などが「起こる」の用法の場合は受身形が作れません。
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- TANUHACHI
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またまた宿題をいただいて恐縮です。 >そのように考えると「事故が起きる」「事件が起きる」については、確かに別の動作主が存在するので迷惑の受け身にはできないことが理解できます。しかし「雨が降る」「地震が起きる」についてはどうなのでしょうか。前者を受け身にした「雨に降られる」は別の動作主が存在せず、代表的な迷惑の受け身として使われています。「地震が起きる」についてはどうなのでしょうか。雨も地震も自然現象であって、別の動作主が存在しないと考えられます。同じ「起きる」という動詞であっても、別の動作主が存在しない場合は迷惑受け身にできると理解してもいいのでしょうか。 この問題を二つに整理して考えてみます。一つは「が」についてです。そしてもう一つは「助詞と動詞の相関関係」です。 先ず(1)の問題から行きます。「雨が降る」そして「地震が起きる」で使われている「が」の性質は何であると考えるかによって、この文の取り方は異なります。 実際「が」には二つの種類があって、一つは「名詞と名詞」をくっつける機能。そしてもう一つは「現象文を作る」との機能があります。もちろん「は」にも二番目の性質はありますが、その問題はこのお尋ねの趣旨と異なりますので又の機会にお話しさせていただきます。 ではご質問の「が」はその何れであるのかとの問題になります。でも少しだけ待って下さい。ここで一つの実験をしてみます。「が」と同様に使われる「は」を使ったならば、この文がどう変化するかとの実験です。 サルバトーレ・アダモさんの歌曲『雪が降る』はタイトルでは「雪 が 降る」となっていますが、実際の歌唱(歌詞)では「雪 は 降る」となっています。タイトルならばキャッチコピーと同じですから「一言だけ」で文も完結させることもできますが、それが「文章」となった場合には、後の文や先の文との関係も見なければなりません。 「雪は降る」ならば、それがどうしたの?と文章は後に続いていきます。同じことは「雪が降る」にも言えます。「雪が(雪は)降る」との事象を説明するための「は」や「が」の使い方がなされていると理解することができます。ここで誤解していただきたくないのは何度かお話ししていると思いますが、「言葉を文および文章の中で理解してもらうように説明する」ことの必要性です。受験問題の様に「知識を暗記する」ことでは英語も日本語も他の外国語も十分に理解することにはつながりもしません。 「雨が降る」「地震が起きる」は現象を話題として提示すると同時にそれによって差し障りも起きるとの不利益が生じることも暗に物語っていると説明できます。「自然現象であってそれは別の動作主とは異なるのではないか」との疑問であれば、英語の物主構文や使役動詞の形(漢文の「~ヲシテ …シム」)そして“according to~”のイディオムをイメージしてみれば解り易いかもしれません。主体が人間や生物でなくとも「その対象によって何らかのトラブルが起きたこと」は能動態の文章でも表現は可能です。 本題に戻れば、「事故が起きた」そのことによって何かの被害を受けたとのことになりますから、「事故に起きられた」との表現はできないこととなります。 「被害の受け身」にはもっともらしいが後付けの説明との印象も拭えません。
お礼
再三のご回答、ありがとうございました。 つまりはこのことが本来「起こる」で表現されるべき内容だということになりそうですね。そのように理解することといたします。たびたびご説明いただきまして、ありがとうございました。
- customar
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重言的表現は無駄だから採用されないのです。意味ない作業を有り難がらない人には不要。多くの日本人がそこまで言葉の無駄づかいをしないからでしょう。
- customar
- ベストアンサー率17% (68/392)
重言です。
お礼
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- hakobulu
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受動態が可能なのは基本的に他動詞ですが、自動詞でも受動態が可能な場合がある。 そして、自動詞には、非能格動詞と非対格動詞がある。 という前提をまずお示しした上で以下に続けます。 『受身形にできるのは非能格動詞に限られ、非対格動詞はできない(同じ自然現象でも「*地震に起こられた」とは言えない)。同様の違いは恩恵表現(「てもらう」「てくれる」)や使役に関しても現れる。』 という記述がウィキにあります。 端的に申し上げると、非能格動詞とは意図的動作を表わす動詞(走る・飛ぶ・・)であり、非対格動詞とは非意志的な動作を表わす動詞(開く・落ちる・・)ということになると思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%A9%9E 「起きる」は一般的に非意志的な動作と考えられるため非対格動詞に分類され、基本的には受動態は形成できない、とされているようです。 ただ、若干検索してみた範囲では、「非対格動詞とは受動態をとらないもの」といった定義が案外多いのです。 つまり、非対格動詞だから受動態をとらない、ではなく、受動態をとらないから非対格動詞と呼ぶ、という点が重要と思います。 また、同じひとつの言葉に関しても、状況によって非対格性を持ったり持たなかったりすることも多い、という記述を以前、見たことがあるように記憶しています。 これらに関連して、さらに述べます。 たとえば「降る」などは通常、非意志的な動詞(非対格動詞)のはずです。 ですから、「降られる」という表現は基本的にはしない(しなかった)。 受動態というのは、動作主とその動作の影響を受けるものの両方が必要ですから、一般的には他動詞の領域でのみ生成可能なものであり、目的語を取らない自動詞に受動態が無いのは理屈としても合っているわけです。 では、「雨に降られた」はどうかと言えば、これは雨を『擬人化することによって生成された受身』と言えるのではないか、と思います。 つまり、雨に意志を持たせているわけです。 「雨がわたしに(向かって意図的に)降った」というニュアンス。 この場合、「降った」は「わたし」という(意味的)目的語を得て非能格動詞となるため、 「(わたしは)雨に降られた」という表現が可能になるのでしょう。 前置きが長くなってしまい恐縮ですが、「事故に起きられる」の場合も、通常「事故」に意志は存在しませんから、基本的にこのような表現はしないと考えて良いと思います。 しかし、#7さんもご指摘になっているようなシチュエーションにおいては、あたかも「事故」が意志を持っているかのように判断することは可能だと思います。 ただ、ここで特に強調しておく必要があると思うのは、『意志を持っているかのように判断可能なシチュエーションであれば(受動態の使用も可能)』という点です。 「その事故が、彼に対して直接的に強い影響を及ぼした」などという状況で、友人などが、 「あの事故に起きられてさえいなければ、彼はもっと元気でわたしたちと遊ぶことができた。なぜ、あの事故は起きたのだろうか。あの事故が本当に憎い」などのように表現することは、ある程度、自然に受け止めることができるのではないかと思うわけです。 「事故が彼に(向かって、悪意を持って)起きた」といったニュアンス。 こうしたシチュエーションではないのに、たとえば、 「さっき、電車の事故に起きられて、ちょっと遅刻します」のような表現は不可でしょう。 以上を踏まえ、 『平叙文の主格が擬人化可能なシチュエーションにおいては、非対格動詞であっても受動態になり得る』というのがわたしの考え方です。 ただ、その判断は微妙になると思われますので、基本的に人口に膾炙していないものに関しては使用しないほうが無難である、ということも同時に言えるかと思います。
お礼
いつものことながら本格的なご回答、ありがとうございました。 この問題の背後には難しい理論が存在しているようです。
- kine-ore
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#9です。 >辞書で「起きる」を確認したところ、大辞泉には他の用法と同列の扱いで次のように記されてしました。 : 「新明解国語辞典」では、「起きる」には人為関与性がある限りでの「起こる」事態である側面に触れています。 「起きる:(4)(適切な処置を講じなかった結果)大変な事が、発生する」 「起こる:抑えることの出来ない社会的(心理的)変化などが表面化する」 「国語大辞典」(小学館)では、「起きる」は現状からの変化、「起こる」は新たな厄介事の発生を指します。 「起きる:(5)穏やかな状態のところに、それを騒がせるような物事が生じる」 「起こる:今までなかったところに、ある物事や状態が生じる。(ロ)特に、めんどうな事や騒がしい状態が生じる」 「大辞林 第三版」 「おきる【起きる】:(5) 事件や事態などが生じる。起こる。 「大地震が-・きた」 「奇跡が-・きる」 「火災が-・きる」 〔 (1) 上代からの語。「おこす」に対する自動詞。 (2) 「起きる」と「起こる」の違いについて。新しい現象・事件が生起することについては,本来は「起こる」を用いる。国家・事業についても「おこる」と言うが,古めかしい言い方で,表記も「興る」と書くのが普通。今では新しい現象・事件の生起について「起きる」を使うのが優勢になっている〕 」 http://kotobank.jp/word/%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%82%8B 「起きる?起こる?」(NHK「最近気になる放送用語」) http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/046.html 「日本語教師症候群 大噴火が「起きた」か「起こった」か・・・」 http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/09/post-4257.html
お礼
丁寧にご案内、ありがとうございました。
- TANUHACHI
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追記ならびに補足 「事故に起きられる」、一読してこの文が奇妙であることに気付きませんか?。この文を「迷惑の受け身」と仮定するならば、それは「誰に依って、誰が迷惑を被るのか」との主体と客体の関係が示されていないことです。 WIKIでは動詞の性質を説明するために「格」を持ち出していますが、日本語にドイツ語のような「格変化」があるかとの疑問もあります。確かにドイツ語ならば主格・属格・与格・対格とその語尾変化が明確ですが、日本語には「格」の概念はなく、それに対応するのは「助詞」ということになります。英語ならば、人称代名詞によって識別もできる他に「語順と文型」がそれに該当します。 問題点は「迷惑の受け身の形であれば受動態にすることができるはずです」との部分であって、これはWIKIの記述「『雨に降られた』『子供に泣かれた』『南側にビルを建てられた』などがあり、特に前2例のように自動詞の受身形も可能である」との説明に基づくものでしょう。けれどもこれには当該要件もあり「ただし自動詞としては、『に』で示されるもの以外に明らかな動作主が存在するような(もともと受身的な性格をもつ)動詞は使えない」との制限もあります。 「雨に降られる」は「待ち合わせをしていたが、雨が降ってきて、傘も差さずにずぶ濡れになって化粧もすっかり落ちたところに相手がやって来たが、その様子を観た相手に振られる結果となった」などの具体的な被害状況に至るプロセスに原因となる事象と結果があって使うことも可能ですが、「事故に起きられた」では「非対格動詞」なる概念(おそらくは「対象が曖昧であり限定されていない」との意味で区分される動詞のことでしょう)に基づく区分ですから、この「事故に起きられた」では使うことができないとなります。 なお老婆心ながら一言申し添えさせていただきますが、WIKIや一般の書店で手軽に入手できる程度の『日本語教育入門』などをパラパラとめくって断片的な知識だけをつまみ食いしても、それは日本語の文法理論を理解していることにはなりませんから、改めて大学もしくは大学院の修士課程で「日本語学」もしくは「国語学」をきちんと体系立てて学んだ方がよろしいかとも存じます。生半可な知識で手軽に外国の方々に「日本語を教える」ことはある意味で危険と隣り合わせともいえます。
お礼
追加のご回答、ありがとうございました。 なるほど「受身的な性格をもつ動詞」とは、「『に』で示されるもの以外に明らかな動作主が存在する」という意味だったのですか。 そのように考えると「事故が起きる」「事件が起きる」については、確かに別の動作主が存在するので迷惑の受け身にはできないことが理解できます。しかし「雨が降る」「地震が起きる」についてはどうなのでしょうか。前者を受け身にした「雨に降られる」は別の動作主が存在せず、代表的な迷惑の受け身として使われています。「地震が起きる」についてはどうなのでしょうか。雨も地震も自然現象であって、別の動作主が存在しないと考えられます。同じ「起きる」という動詞であっても、別の動作主が存在しない場合は迷惑受け身にできると理解してもいいのでしょうか。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
1 あの会社も立て続けにあんな大きな事故に起きられちゃあもうおしまいだな。 2 あのマンションもあんな事件に起きられちゃあ、もう借り手がつくまいに。 3 ちょうどこの家が影になる場所に、高いビルに建たれて困ったよ。 4 ちょうど2時間ごとに赤ん坊に起きられて、おかげでこっちは寝不足だ。 5 こうも続けて地震に起きられては、もうこの国にいたくないよ。 無理矢理 例文をひねりだしてみました。無理すれば、できます。 ただ、4、5の例文以外は使用頻度は非常に低いでしょう。この言い方をする前に、事故・事件を起こしたのは誰だ、ビルを建てたのは誰だ、誰が迷惑の元凶だ、責任者出てこい、と思うからです。事故も事件もビルも、自然とそうなるものではなく、誰かが起こすものだからです。 4、5はすんなり作れました。赤ん坊が夜中に起きるのはほとんど自然現象です。 私なりの結論。人為的なことには使いにくい。形の上では存在するはずだが、ほとんど誰も使わない、使える場面が極端に少ない。 古文の助動詞の活用を覚えていらっしゃいますか? たとえば「らむ」は「○、○、らむ、らむ、らめ、○」でした。この「○」の部分には、形の上では「らま」とか「らも」とかがあるはずです。しかし、あるとしても誰も使わない。「推量した・人から聞いた」ことが未然である、ってどんな場合でしょう。ありえませんよね。だから誰も使わない。そんなものを活用表に残してもムダ。だから「○」として存在しないことにした。そんなもんです。 この「起きられる」も同じような運命をたどっているのでしょう。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 このように考えると、どうやら「起きる」のが地震・事故・事件のいずれであるのかがカギになりそうな感じですね。 (4の「起きる」は他の例文とは意味が違うと思いますが)
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
こんばんは。「事故」が自然現象ではなく、人為的に引き起こされる事象であることを前提として考えてみましょう。 「事故」それ自体が「意図を以て生じる現象ではない」のであれば、「事故が起きた」ということは事象としての「事故」とそれを誘発した主体は別にあるとの論理にもなります。 この文の主意からすれば、「(誰かが)事故 を 起こした」が本来の意味であると僕は理解します。同様な事例として「あがる」がありますが、これと比較してみましょう。 自動詞か他動詞かとの区分を「文法理論」と解釈している限りでは、実はこの問題に解を与えることはできないのです。 動詞の中には自動詞・他動詞の他に「自他同型動詞」と呼ばれる性質の動詞があります。「雨があがる」もあれば「坂をあがる」もあります。同じ「あがる」でありながら、自動詞としても他動詞としても使われる性質の動詞の事例です。 もし質問者様の質問にお応えするならば、受動態は「目的語を必要とする他動詞のみが作ることのできる構文」となるはずです。これは英文法を緩用した考え方であって、日本語の文法では「一概にはそうともいえない」部分もあります。 もっと厳密な言い方をすれば、英語でも「受動態を作る動詞」は必ずしも他動詞とは限定もできず、見かけ上は受動態であっても和訳するには能動態で訳出した方がよい場合もあります。 「事故に起きられる」という表記は英語でもあり得ない表現ともいえ、英語でも「何らかの事故によって、私は被害を被らされた」とは言わず「何らかの事故が私に被害を及ぼした」とするでしょう。 逆に“Papa is gone.とあった場合、質問者様やそのご友人はどの様な訳文が適切であるとお考えでしょう。文法からすれば「自動詞は受動態を作らない」はずですが、実際にこうした文は日常会話などの中でも使われています。結論からいえば「パパはもういないのよ」として「父親の死を婉曲な形」で表現した文です。 「事故」そのものに意思はありません。ものでもありません。主語ともなりません。もし構文の先頭にあっても、それは主語として訳さず、文章的には「何が何に~した」として「表記上の主語と目的語を逆に入れ替えて訳す」ことで自然な表現となります。 もしその外国の方が「自動詞と他動詞」にどうしても拘泥するならば、「起きる」は「~が起きる」として自動詞、「起こす」は「~を起こす」として他動詞である!と頭を押さえつけて暗記させれば問題を解決させることもできます。相手が「○○イコール××」と暗記することを最上の学習法と勘違いしている以上、それが最善の手だてかもしれません。 時には相手の鼻先に中指立てて、「こうなっているんだから、それを憶えろ!」と警告するくらいでもよいでしょうね。相手が「英語ではこうだから」というのであれば、それも有効な手だての一つです。何も英語を基準として考えねばならないなどの約束事はどこにもない!と知らせることも尚更大切です。
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- parts
- ベストアンサー率62% (6366/10151)
起きるですか・・・。これは、ら抜き表現多用される言葉ですね。それも、一つの違いだったりして・・・。 食べれる(×)、食べられる(○)などで間違えやすい言葉の一つです。 降るの意味はいくつあるかご存じですか、同様に泣くの意味はいくつありますか? そして、それらの意味として、最も使われる意味はなにかご存じですか? 実を言えば、起きると降る、泣くの大きな違いは、その意味合いの広さにあり、質問の起きるは、最も使われる起きるではないのですよ。そして何より、事故=起きたから迷惑であるとは限りません。何せ、事故が主でも実際に起きた現場を見に行った人だって起きる。起きたと言えますから・・・。 起きるには、なにか日々と違うことがある状況に代表されるように、日常とは異なる事態が発生するという意味がありますが、実は起きるは、悪い意味だけを示す言葉はないのです。主に、良いことも含めて、日頃と違う自称が起きることを意味します。そして、何より重要なのは最も大きな意味合いとして存在するのは、寝起きに代表される起き上がるの意味となります。目を覚ますということです。他にも、舟が浮かぶ様を起きるといいます。 これらの意味で、使えるのは、「彼に起きられては困るといった言い回し」ぐらいでしょう。人に対してなら、起きられるわけです。(一応書いておきますが、起きれるはら抜きの間違い言葉です) 出来(しゅったい/事件が起きる)する場合は、起こす。起こるの方が、強い意味を持ちますので、その方が事故に対して使うに適しているかもしれません。(ただ、起こす起きるも、目が覚めるが上位です) と考えてはどうかな? 尚、降るには出現する、現れるという「突然降臨するような形」でも使われることがあります。 降って湧くという言い方などがそうですが、それを降られるでどう表現するか・・・。複数の意味合いがある場合、よく使う言葉に対しては、確かに受動表現が使える言葉はあります。ただ、それとセットになる別の意味で利用しようとすると誤用であったり、不自然であると見られることが多いのです。その理由は、使われない側は、実はもっと適した言葉が、他に存在する場合が多ことと、そもそもそういう言い回しを使わない(と決めた)からというのもあるでしょう。 実際に通じるか通じないかだけで言えば、まあ日本人ならこういいたいのだろうと、ニュアンスぐらいは分かるでしょうけど、事故に起きられると言われると、あれっとなるわけです。 外人さんなら頑張っているなと思うことでしょう。
お礼
深いご回答、ありがとうございました。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
起きるを起きられるにすると、一人で起きられる。とか可能の表現になりますね。 起こす、でしたら他動詞で目的語 事故を採れますので、 {事故を起こされる}で迷惑の受け身、になると思いますが如何でしょうか。 起きるは自動詞で目的語がなくてもいい言葉なので事故(主語)が起きるでしたら使えます。 例えば、叱る^他動詞、先生に叱られる。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 ただし文法用語でいう「迷惑の受け身」とは、自動詞を使っているものに限定したもののようです。
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お礼
ご回答、ありがとうございました。おかげさまで、ようやく本質にたどりついたような気がします。 言い訳がましく思われるかもしれませんが、「最近混同されている事件や事故などが『起こる』の用法」とは、少し言い過ぎではないでしょうか。私はこれまでそのような意味の違いを意識したこともなく、教わった覚えもありません。辞書で「起きる」を確認したところ、大辞泉には他の用法と同列の扱いで次のように記されてしました。 4 何事かが発生する。起こる。「事故が―・きてからでは遅い」「混乱が―・きる」 また、大辞林には(私の認識とkine-ore様のご説明の裏付けになると思いますが)次のように記されていました。 (5)事件や事態などが生じる。起こる。 「大地震が-・きた」 「奇跡が-・きる」 「火災が-・きる」 〔 (1) 上代からの語。「おこす」に対する自動詞。 (2) 「起きる」と「起こる」の違いについて。新しい現象・事件が生起することについては,本来は「起こる」を用いる。国家・事業についても「おこる」と言うが,古めかしい言い方で,表記も「興る」と書くのが普通。今では新しい現象・事件の生起について「起きる」を使うのが優勢になっている〕 とのコメントが記されていました。