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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:歴史のなぜ?)

なぜ歴史には疑問が生まれるのか?

このQ&Aのポイント
  • 戦国時代の人気の理由は何か?
  • なぜ大日本帝国の歴史は悪い面ばかりが書かれるのか?
  • なぜ植民地支配の映画が少ないのか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.3

 2,3,5について回答します。  歴史を担当している先生によっては、善悪を言う人がいますが ・基本として「歴史に善悪の判断を持ちこまない。」ことが大切かと思います。  当時の善悪判断と現在とでは違うこともありますし、当時の常識で「良くない」とされていても、行われたことが山ほどあります。    特に、当時の常識で「良くないとされていた」ことが、結果として実行されるに至った場合の、『社会状況』を学ぶことが、歴史教育の重要な柱です。  現代でも、過去と同様の状況が起きれば、「本来はするべきでない」ことも、再度過去と同じように実行に移されるかもしれません。  歴史で学んだことを生かして、過去の失敗に至ったのと同じ社会状況を作らないように、国民一人一人が意識したいものです。  では、具体的な回答に移ります。 <2、について>  大日本帝国は、イギリス・フランスの植民地帝国が完成し、アメリカ合衆国の基礎が固まった頃になって、徳川幕府が崩壊したことで、やっと本格的に外交を開始しました。  従って、「帝国主義欧米列強」と対等の外交を続けていこうとした大日本帝国は、短期間に追いつくために、国力と比べて無理気味な外交を展開する必要に迫られ、不足する外交力を軍事力で補う傾向が強くなりました。  また、遅れて列強の仲間入りをした日本は、欧米列強を中心とした国際社会が『帝国主義の限界』から、植民地の軍事支配を止め、植民地独立への方針転換が始まった頃になって、帝国主義路線を開始することとなってしまいました。  欧米の植民地化 ・長い期間をかけて、植民地となっていく国の方からの要請を主体に、短期の戦争・小規模の戦闘を何度も繰り返しながら、少しずつ植民地化していきました。  「差別」については、第二次世界大戦後の1970年代になっても、オーストラリアの『白豪主義』や南アフリカの『アパルトヘイト』、アメリカの黒人差別などが普通に残っていたが、この頃から人権に対する国際的な差別解消の動きが大きくなり、難民受け入れ・男女差別の解消・外国人差別の解消など、全ての差別について、国際的に解消へ向けた動きが定着しました。 ・歴史としての着目点は 1、帝国主義(他民族を政治・軍事支配することで、自国のための広域経済圏を形成する国際政策)の問題点が明らかとなって、欧米列強が帝国主義政策を終了しようとしだした頃になって、日本が帝国主義化を進めたこと。 2、差別については、それぞれの国において、個別の差別問題がある。  日本の場合、「部落差別問題」が一応収束した形となったので、次に外国人差別、特に人数が多く歴史的ないきさつもある朝鮮・韓国人差別が問題として大きいから。 <3、について>  他民族を波風立たないように配慮して支配した話では、面白味がなく、映画としては集客力がありません。元が取れそうもありませんから、映画製作が行われないのでしょう。 <5、について>  日本神話の初代天皇、神武天皇の話から始まります。聖徳太子の頃からは、ほぼ今の歴史と似たようなものですが、天皇に忠義を尽くした人物についての記述・評価が大きくなります。  

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その他の回答 (2)

  • chiha2525
  • ベストアンサー率10% (245/2384)
回答No.2

親とか学校の先生や職場の上司などに歯向かうと、痛いしっぺ返しがあります。社会的あるいは自己能力からくる不満の矛先は、自ずとしっぺ返しの来ない隣の国の人などなったりします。中国などでは政府に歯向かうと命まで危うくなります。中国では政府が、自国への不満を隣国への不満に意図的に向けようとしているのは問題ですが、日本のネトウヨと呼ばれる人なども構造は同じです。 ということで、オススメの映画は西部劇。

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.1

1. 戦闘という男ウケする場面が豊富なうえ、出てくるキャラクターも個性的で面白いエピソードが満載だからでしょう。 戦闘だけなら源平とか太平記なんかもありますが、個性的なキャラとか面白いエピソードがそんなにあるわけではありません。英雄、武将、軍師が縦横無尽に活躍する三国志も人気ですよね。 2. 最終的に負けましたからね。占領軍(アメリカ軍)は日本を統治する上である宣伝作戦をしました。それは国民に向けて「大日本帝国の指導者たちは非常に悪い人たちで、この人たちが間違っていたからあなたたち国民はこのようなひどい目に遭ったのです。あなたたち国民は、被害者だったのですよ」というものでした。東京裁判はその一環であるともいえます(それだけが理由ではないですが)。 また、負けたのであれば負けるなりの理由はあったんですね。数え上げるとキリがないのですけど。そこからやはり様々な反省も踏まえて悪いところは悪いと認識することは重要だと思います。「過ちを改むるに憚ることなかれ」ってやつですね。 昨今はそういったものを自虐史観といって批判する人もいますが、とある国などはある国に植民地支配されることによってむしろ庶民の生活の質は向上したのですが、植民地時代を屈辱の時代とし(まあそれはいいとして)、植民地支配をしていた国が戦争に敗北して独立したのを自らの独立運動によって独立を成し遂げたということにして(まあそれもしょうがないとして)、その後の内戦は同民族同士の戦いだったのにそれまで植民地支配した国のせいだと言い出して「間違ったことは全部その国のせい。正しいことは全部自分たちのもの」という国もあるんだから、それもまあどうかとは思いますね。面白いのは、自虐史観と批判する人の多くはその国のことが嫌いだということです。 3. そりゃ白人にとっても触れられたくないタブーですからね。彼らがやったことは、日本人が調子に乗って周辺諸国にやったことに比べるととんでもなくえげつないものですよ。 4. ちょっといってる意味がわかんないっす。番組が始まった頃(もう20年以上前だと思いますけど)は画期的でしたけどね。なにしろ、当時はディベートという言葉がほとんど普及していませんでしたから。 昔は明け方くらいのダルい時間帯になると亡くなられた大島渚監督が「バカヤロウ!」と一喝するパフォーマンスなんかがあったんですけどね。昨今はそういうプロレス的面白さがなくなりました。ちなみに、田原総一朗さんもこの番組のことを「プロレス討論番組」といっていました。どういう意味かというと、プロレスって反則も5秒まではオーケーです。この番組も5秒の反則程度のアナーキーさは許される自由さという意味です。しかし近年、テレビ界はなにかとうるさいのでそういう意味での表現の自由はありませんね。もう予定調和になっていて面白くもなんともないので、私はすっかり見なくなりました。 5. 論語とかね。今はもう論語なんて学ばないでしょう?ちなみに、「過ちを改むるに憚ることなかれ」も論語の一節です。 6. どこも似たり寄ったりですよ。どの国も自分に都合の悪いことは教えないものですよ。ドイツは過去の反省をきちんとしているという体裁ですが、基本的にヒトラーが悪いんですっていう扱いにして、そのヒトラーがユダヤ人虐殺を命じたときにドイツ国民が反対しなかったことには正面きって向き合っていません。 ホロコーストの象徴であるアウシュヴィッツ強制収容所は、ポーランド国内の施設です。ドイツ国内にもユダヤ人の強制収容所は何ヵ所もありましたが、すべて跡形もなく破壊されています。ドイツ人にしても「なかったことにしたい」わけです。

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