- 締切済み
mathematicsと日本の数学
Mathematicsとはピタゴラス学派が設定したもので、音楽(musica)や天文学(astronomy)も(論理も)含まれており日本における数学とは少し異っているように思います。 外国でmathematicsで学ぶものと、数学は同じですか? 高等学校までと それ以後の場合とに分けて教えてください。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- itshowsun
- ベストアンサー率41% (15/36)
最近の数学教育についてほとんど知らないので、 この質問に適切な回答になるとは思えませんが、 1980年代に英国の指導要領に沿って「新数学」を教えた経験を 述べさせていただきます。 いわゆる「新数学 (New Math)」はスプートニック・ショックで 1960年代の米国で起こり、欧米(主に、英国や仏国)に拡がった 新しい数学教育です。 中学生段階では、2進法、集合論、写像、論理、ブール代数から始まります。 私のような1980年以前に数学教育を受けた「旧数学」時代の人間には、 この抽象数学に沿った新しい教科書は、全くの驚きであり、 何を教えたらいいのか、生徒にとってこれが理解できるのか、 非常に悩みました。 はっきり言って、幾何学、代数学、特に解析学中心に数学を学んだ私には、 新数学の意味するところを理解できなかったのです。 この新数学はその後、理数系のために、解析学をより追加し、 コンピュータの発展によって、コンピュータ科学をさらに追加したと聞いています。 (つまり旧数学よりに戻った。) しかし、1980年代の新数学(私が知っているのは英国版)はまだ 抽象数学的側面にその重点が置かれていました。 その後、カテゴリー理論(日本では圏論と訳されてます)を学ぶことがあり、 やっと、集合論、写像、述語論理が数学を学ぶための基礎言語であることを知り、 新数学の目指したところが理解できました。おそらく、新数学を創った数学者たちは、 問題を解くための算術ではなく、問題を記述するための言語を教えたかったのだと思います。 (基礎数学の後に応用数学を教えればいい?) 数学とはそうあるべきであると思いますが、 新数学は、それを教える教師を選ぶと思います。 大学受験を目標としている現在の教育(よく知りませんが、昔と同じなら)では、 新数学を数学教育課程に形式的に取り入れても、 算術を教えることができても、新数学を教えることができないのではないかと思います。 私が思っているより、現在の数学教育が私の時代より算術としてではなく 数学として進化していることを祈ります。そうでなければ、 高校時代に才能を開花させたようなクリプケみたいな数学者 (様相論理の仮想世界意味論を発表した高校生) は日本に現われることはないでしょう。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
諸外国の事情についてはまるで知らないのですけどね。 ピタゴラス学派のmathematicsは、教えるにしても数学史のひとつの断面、と位置づけられるべきものでしょう。それより古い数学もあり、古くなくてもそれとは無関係に発達した数学もある。 ピタゴラス学派の意味での天文学というのは、地上から見た惑星の運動と人の運命を関連づける占星術の理論であり、実際、当時の「星の位置がかくかくであるときに生まれた子は男子か女子か」なんて問題が残ってますね。数の調和に基づいて、天の秩序はかくあるべしという形而上学的理屈をこねたものであり、今の観点からは物理学でも天文学でもない。また詳細については多くが秘密にされたまま失われ、よく分からない。その内容に、教えるべき価値は、どんな文化においてもないでしょう。 ピタゴラス学派の意味での音楽というのは、主として和音の調和の理論ですね。今の言葉で言えば「波長が簡単な整数比になっている(=波形がそれらの整数の最小公倍数の波長で繰り返される)と耳にキモチ良い(だから神秘的)」という話ですんで、その神秘性は認知科学に属する問題でしょう。 ピタゴラス音階は、移調できない、少数の和音以外は成立しない、という弱点があって、複雑な和声の進行を持つポリフォニックな音楽には向かない。これを修正すべく様々な近似的調律法が試みられた挙げ句、バッハの時代のinventionである12音平均律が圧倒的に使われるようになった。しかし今でも、調律を倍音に基づいて行う民族楽器ではピタゴラス音階の一部やそれに類似した音階が使われるものがあるし、残響が長時間残る石造りの教会のためのグレゴリオ聖歌には旋律がピタゴラスの意味で調和的な少数の和音に該当する分散和音に限定されているものが多々見られます。これらはもちろん今でも音楽・音楽史の専門教育において教えられています。 ですが、それは響きがキモチイイという経験から、結果としてピタゴラス音階(やその類似物)が再現されただけであって、調和数列との関係を意識して作られているのではない。 つまり、世界のさまざまな音楽における和音や音階は、何もピタゴラス学派の発見に基づいているのではないし、またピタゴラス学派による調和の理論だけで現象全部を説明することもできない。それに第一、音楽理論の対象は和音や音階だけではない。だから、音楽理論をピタゴラス学派による体系の中に位置付けるのは牽強付会である。万人が学ぶべきmathematicsの一環だとは、どこの文化でも考えないでしょう。 もちろん現代においても、数学と天文学、数学と音楽は深く結びついていますけれども、それを言うなら数学と物理学、数学と化学、数学と工学、数学と経済学、数学と言語学だって深く結びついていて、ピタゴラス学派のイイブンを敷衍するならこれらもみんなmathematicsに含めなくちゃならない。逆に、ピタゴラス学派のmathematicsにおける天文学や音楽は、今ではもはや通用しない。天文学や音楽と数学は、当時とは別の結びつき方をしているのです。ピタゴラス学派のmathematicsの概念に今なおこだわる合理的な理由がありましょうか。 一方、20世紀前半に確立した形式主義とに基づくことによって論理学と数学はゲンジツからの独立性と厳密性を獲得しました。数学を教えるなら、物理・心理・運勢とは無関係な閉じた体系としての数学を教えることが、少なくとも20世紀後半以降の高等教育では必然じゃないでしょうか。
補足
蘊蓄をご披露くださるのが悪いとは申しませんが、少なくとも回答として正鵠を得たものを期待しております。
- mnakauye
- ベストアンサー率60% (105/174)
こんにちは。 あなたには、何か思い込みがありますね。 >Mathematicsとはピタゴラス学派が設定したもので、 「世界でそんな取り決めがある」のでしょうか? 私は聞いたことがありません。 ピタゴラス学派はそのように定義したのでしょうけれども。 >音楽(musica)や天文学(astronomy)も(論理も) >含まれており日本における数学とは >少し異っているように思います。 日本と諸外国とそう違っているとは思いません。 数学のなかで、いわゆる音楽が明確に区別されたり、 逆に数学と言う科目の中で日本で言う音楽の科目が 教えられている国がありますか? 日本でも数学の中で、音程など取り扱われることはありますし、 昨日のNHKのオクスフォード大学白熱教室でも、素数と音楽の 関係に触れられていたことなど、 大学の数学科にいたときに聞いたことがあります。 それと論理学は、数学の一分野として日本でも教えられますよ。 私はアメリカの小学校、中学校、高等学校のクラスを見学した ことが20数回ありますが、日本とあまり変わらない内容でした。 >外国でmathematicsで学ぶものと、数学は同じですか? > 高等学校までと それ以後の場合とに分けて教えてください。 外国と言っても、どこを指していっておられるのかわかりませんが、 教育課程が違うので、内容がかなりづれていたりはします。 私は途上国で2年間教えておりましたが、若干の内容の違い 高校上級で、少しトポロジーが入ってくると言ったことはありますが、 大きな違いではありません。 No.1のかたもおっしゃっているように、不確かな少数の情報をもとに 判断せずに、ご自分でも調べられたらいかがでしょうか。 何か新しいことがわかりましたら、お教えください。 がんばってね。
補足
>Mathematicsとはピタゴラス学派が設定したもので、「世界でそんな取り決めがある」のでしょうか? mathmaとは学ぶべきものを意味しsは複数を意味します。例えばmusicaは音楽理論(和音の振動数の比やその進行等)を意味しそれに対し、そんな事を知らなくても歌える流行歌やコマーシャルソングみたいなもの、天文学に対しては占星術などと組織的論理的にに学ぶと云う事をしないでもの出来るもの等々、ピタゴラス教派(宗教)がを作った言葉です。 私は戦後すぐでしたが数学の中で音階論等を学びました(音楽の時間は楽譜読みのみ)(中学高校の6年間同じ数学の先生だったのでこんなことが出来たのでしょうが)最近中学の数学の先生と話す機会があって話が噛み合わず当惑し、教科書を見てmathmaticsの言葉が如何に受け取られているのかが気になったしだいです。 >外国と言っても、どこを指していっておられるのかわかりませんが mathmaticsと云っている所です。 小学校の算数が中学校から数学と云うのに変わったのは論理が主体になることだ(私は数学は論理であると思っています)と思っていたのですが、どうもそうではないらしい? 私は数理論理学と集合論が専門でしたので中学校の数学に戸惑っています。
「日本における数学」とは、和算のことですか。あるいは江戸時代以前の数学のことですか。それとも、明治以降の、現在日本で教えられている数学のことですか。また、高等学校といっても諸外国と日本とは、制度が異なるため説明は難しいように思われます。こうですよと、説明は難しいですね。 「少し異なっている」と思っているのはどのような点ですか。あなたなりに、研究されるのがベストだと思います。
補足
>現在日本で教えられている数学のことですか。 高等学校と云っているのでお分かりのこととお察し致します。 >高等学校といっても 大学以上では微分方程式で天文学をしたり、数理言語学や色々の数理論理学というものをしたり、それぞれの大学、教員の構成ににより異なります。 高等学校までは教科書を使うことを義務ずけたり教科指導要領で規制したり、一定の内容が決められてています。 大学以上を除くのいみです。 >「少し異なっている」と思っているのはどのような点ですか。あなたなりに、研究されるのがベストだと思います。 例えば音楽、天文学などは数学で教えておりませんし、論理もキチンと教えて無く、「感じ」の話になっています。(私は数学は論理と思っているので) 定年になりやっと嫌いな外国語の論文から解放されたので、手っとり早く知ろうと思って失礼いたしました。
お礼
ご回答御礼申し上げます。 日本の(文科省の)数学基礎の考え方と欧米とは大分異なっていますね。何を基礎と考えるか、数学基礎論をやっていた私には、欧米流がモットモト思えます。それが私が質問をした一つの理由でしたのですが、ほとんど回答と言えるものを得る事ができませんでした。 具象から抽象、この文科省の考え方は、教え易さを中心とし、教えられる子供たちのことは全く考えてないように思えます。 しかし、本当に子供たちは抽象は理解できないのでしょうか? 余談になりますが、私の勤めていた大学で入学試験の(数学の点数の差が大きいので)点数と入試の各教科の点数の相関係数を調べたところ国語の相関度が飛びぬけて高いと云う事がありました。これは子どもたちは考えるに当たって言葉(抽象)でものを考えていると云う事を示しているからではありませんでしょうか。 回答の並べ方を間違えていて、貴兄のを拝見するのがおくれてしまいました。日本の初等数学が「ガラパゴス系数学」と外国から揶揄されないか、もう少し情報が欲しいので、当分、解決としないでおきます。有難うございました。