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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:希望を持たせ、逞しく生かしていくには)

希望を持たせ、逞しく生かしていくには

このQ&Aのポイント
  • 20代半ば、高校で教員を務めている者です。ぜひ、多くの方の様々な見方や考え方を伺いたいと思います。
  • 最近、私が勤務している学校で、不登校や進路変更を考える生徒が増えてきました。子どもたちを目の前にして常々感じているのが、子どもたちが「現実(未来)へ絶望している」という感覚なのです。
  • 私も20代という年齢だということもあり、子どもたちが抱える絶望に共感できる部分が多々あります。高度経済成長の名残で長時間働かせられながら、地方公務員の給料は減額される一方、忙しすぎて結婚について考える余裕すらない、少子高齢化のことを考えると自分の家庭は持ちたいけれど、持てないのが現状、フリーターやニートが増えることで若い人材に過剰な労働の負担がかかる…

質問者が選んだベストアンサー

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  • hikaricom
  • ベストアンサー率25% (195/772)
回答No.1

初めまして。 東京在住の会社員です。 ボランティアでカウンセラーをしております。 先ず何より教師としての貴方様の日々の献身に対して感服致します。 先ず子供たちに何が起きているのかを観察する以前に、彼らたち子供の健康は如何でしょう。 年々子供らの健康は向上しているでしょうか?まず子供に必要な健全な栄養が行き届いているでしょうか? 答えは、NOです! また子供たちが食事する環境はどうでしょう?お母さんたちは、手間ひま掛けた料理をしっかり子供に作り団欒を共にしているのでしょうか?甚だ疑問です。健全な親子の団欒や明るい会話の絶えない家庭に生きる子供らが、学校という場に集えば、自ずと学校は賑やかに活発な様相を顕すでしょう。まずは、家庭有りきなのです。 子供はいつも社会を助けたいと思っています。しかし、親はその不器用さ、無知に対して子供を子供として社会の外で育てようとしていはしないでしょうか?子供は単に言葉を知らない大人なのです。昔は子供は社会にとって欠かせない働き手でした。彼らは幼少から何らかの仕事を通して自己の役割と責任、存在感、自信を培ってきたと思われます。 だが今、現代の子供は何を期待されているのでしょうか?どれほどの存在性を与えられているのでしょうか? 学校教育は、今だ子供たちに勉強のやり方を教えず、または教え方を知らず、いきなり勉強を始めさせてはいないでしょうか? 辞書の引き方や、人への訊ねかた、概念に対して具体的な質量の得方など。 子供は自分から先生に元気な挨拶をしていますか?挨拶はコミュニケーションのスタートです。 子供各々のコミュニケーションのスピードで、大人は対応していますか? しかし、これらの基本は本来家で、家族の中で学ぶものだと思います。 問題は、学校ではありません。確かに抑圧は人間の能力を奪い取ります。体罰は人を犬のように従順にはしても、自立した自信ある子供を育成しはしません。返っておどおどした、物覚えの悪い怯えた子供を作り出すかも知れません。 では、学校が何を教え得るのか?という問に対して、どのような答えがあるのでしょうか? それは、教師という身近な存在が賢げな遠い大人という存在である以前に、子供らにとって良き友人であるかということが前提であるように思われます。今の子供たち一人一人が、各々の命と個性とを持った一人一人の子供らが今何の勉強が出来るかどうかではなく、何に恐れ、何に圧倒され、何に怒りを感じ、何を叫びたがっているのかを知ろうとすることだと思われます。また、同時に何を好み、どんな事を世の中に生み出そうとしているのかを見つけ出す機会を少しでも多く与える工夫と真摯な対話が何よりも基本として、必要なのではないかなと、私は考えるのです。しかし、これを複雑化の方向へ広げては何にもなりません。 「人生への新しい視点」という本を推薦します。内容は至って簡潔で、また目から鱗です。 何かお役に立てばと、くどくど書きましたが、心より応援申し上げます。 未来の日本のために( ̄▽ ̄)

cheese16
質問者

お礼

とてもご丁寧な返答をありがとうございます。 はい、その通りなのです。食生活も睡眠も、生活習慣も、不規則で不十分なことがたくさんあります…。携帯への依存も様々な問題を生んでいるように感じます。 ご返答の中でお話しいただいたように、学校教育ではどうしようもないことがたくさんあります。 仰っていただいた >どんな事を世の中に生み出そうとしているのかを見つけ出す機会を少しでも多く与える工夫と真摯な対話が何よりも基本として、必要なのではないか という部分に真実があると感じました。そうなんです。子どもたちは「こんな自分でも、何かできることはないか」と、いつも自分への役割を切望しています。やはり、一人一人ときちんと向き合い、どんな夢や目標を持っているのか、悩みはないか、今の自分を大切にできているか、共に考え、悩み、たくさん話をするのが基本なのですね。 とても暖かいお言葉とアドバイス、本当にありがとうございます。子どもたちの未来を、同じように尊く思い、応えてくださったこと、本当に嬉しく感じております。また、自信をいただきました。 忙しい毎日ですが、子どもたちの未来のために、できるだけのことをしていきたいと思います!『人生への新しい視点』読んでみたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 昼の休憩時間を利用しての再訪ですので、推敲の至らない部分がありましたら御寛恕願えればと存じます。 「理想論」や「現実を知らない」と一刀両断に酷評する意見も見られますが、その方々も貴方と同様に「自分の目線や経験」からしか学校現場を見ていないこともわかります。  学校で扱うのは生身の人間です。しかも十人の生徒がいれば十通り以上の答案が戻ってくることも当然です。工業製品の様に一律基準の下で判断するようなわけにもいきません。  生徒は学校の教員よりも、親という身近な存在で大人を知っている。これも一面の真理です。でもその身近な存在が、もし現実に妥協だけしていたならば、あるべき形を求めること或いはそうしようとする人を見てどの様に考えるかと想像すれば、それこそ背筋も凍る様な印象を僕自身は受けます。  進路変更を考える生徒が増えている、こうした事象に対して少なからぬ疑問符を付ける質問者様は、その生徒達の学力を冷静に判断しているかとの問題もあります。基礎学力の低下したままで大学に進んだり、そのまま社会に出て分不相応な企業に就職したら、それこそ本人にとっても不幸ではないでしょうか。  「自らの可能性を信じたい」とはまことに便利な言葉ですが、その前提には「自らを冷静客観的に観察する」との視座が必要なことがあることも考えねばなりません。  どちらかと言えば、日本的精神風土はそうした第三者視点を自らで有することを苦手ともします。それは社会と個人の距離感を持てず、またその様な形に子ども達を仕上げてきたことのツケともいえます。  教員は別に仰ぎ見られる存在でもありません。自らを事例として提示する様な完全無欠な存在ともいえません。この点で前回は「学校秀才」と敢えて苦言も呈させていただきました。高校の教員ならば、目指して欲しい形が僕には一つだけあります。それは大学の教員と同様、専門性を有する研究者であってほしいとの願望でもある。高校で学業を終える生徒だけでなく、学問の世界に分け入っていこうとする探求者に対する水先案内人とも呼べるかもしれません。  ですから専門領域で話をすれば、それである程度は自らを検証することもできる。もし自らが不勉強だったならば、その至らなかった部分を今から是正する目的で国内留学することも可能です。自らの学識を高めることが必要ではないでしょうか。  何も文科省が推奨するガイドラインに沿っただけの「理想の教師像」だけが教員の資質を裏付けるとは限りませんよ。

cheese16
質問者

お礼

再びのご回答、本当にありがとうございます。 >「自らの可能性を信じたい」とはまことに便利な言葉ですが、その前提には「自らを冷静客観的に観察する」との視座が必要なことがあることも考えねばなりません。  どちらかと言えば、日本的精神風土はそうした第三者視点を自らで有することを苦手ともします。それは社会と個人の距離感を持てず、またその様な形に子ども達を仕上げてきたことのツケともいえます。 全くその通りだと思います…(それが事実ならば、とても残念なことです)。私は「可能性」とは、既成概念の上に存在するものではなく、無限の次元、ベクトルへ向いているものだと思っています。 「努力」とは何かと問われた時、勉強だけが努力ではなく、例えばファッションモデルにとっては「おしゃれ」そのものが努力に繋がるものであるように、です。 ただ私は、「ありのままを認める」というのは、子どもたちに語弊を生みやすい言葉と思っております。「私は私」「これでいいんだ」と心から自分を需要することができればよいのですが、「人の悪口を言うのが私なんだし、このままでいい」「誰かを傷つけたって自分には関係ないから自分はそれでいいし」というように開き直ってしまうことを「ありのままの自分を認める」と解釈する子どもがいるからです。 ですから、学校という場で「議論」を重ねることで、視野を広げ、他の価値観を認めていく姿勢を教えることは大切だと感じます。「学問」は、その媒体の一つということに他なりません。 そうですね、教科指導にも一層力を入れていきたいと思います!また、教育者たる者、日々研究と修養に努め、子どもたちの変化に応じた実践を積まなければなりませんね。 誠に真摯なご回答、ありがとうございました。全て栄養にして、日々精進してまいりたいと思います。

noname#224207
noname#224207
回答No.4

>そんな私でも、生徒たちのためにできることは何かあるのでしょうか? 幾らでもあります。 >20代半ば、高校で教員を務めている者です 先生をお始めになられてから3or4年目ということでしょうか? どこの職場でも同じような気持ちになります。 夢中だった時期を過ぎて周りが見えてきたということです。 御質問を読ませて頂き、いささか気になることがありますので書かせて頂きます。 文面からのみの発言ですので誤解無きようにお願いします。 >不登校や進路変更を考える生徒が増えてきました。 一人一人の生徒の人生にとって悪いことですか? なぜその生徒にとって悪いと決めつけられるのですか。 >高度経済成長の名残で長時間働かせられながら・・・我が身をもって、子どもたちが感じる絶望と近いものを私も感じていると自覚します。 こんなものは生徒にとって有難迷惑です。 生徒は先生の過去など何の興味もありません。先生よりも人生経験の長い親や親族を見て育ってきています。 生徒はへんな同情も共感も期待していません。 >自分すらなかなか大変な思いを抱えているのに、その感情をぐっと抑え、子どもたちが少しでも前向きに(しかし、現実を受け止めつつ)進めるように支援しているつもりです。 当たり前です。 自分の勝手な苦労話しや感情を押し付けられたら他人はたまりません。 まして、生徒はそんなものを持ち出されてもどうしようもありません。 >教師になった理由も、自らの力で教育界を少しずつでもよいから変えていきたいと思ったからです。 生徒にとってはおそろしく迷惑な先生です。 生徒にとっては、学校は、かげがえのない人生を送っている場です。 教育行政など無関係です。 質問者様の夢を実現するための道具でも実験動物でもありません。 >私は、抑圧型の指導は、今後訪れる過酷な未来に絶望している生徒にとって逆効果になるような気がしてなりません。 では、どうすれば良いのですか? いつまでも学生気分でいてもらってはこまります。 理想論などというものは、誰にでも言えます。 だらだら批評ばかりしている人間はどこの職場でも叩き出されます。 >私も学校組織の人間であるため、学校を敵に回すようなことは当然できません。 生徒にとっては、おそろしく無責任な自分本位で信用がおけない先生です。 生徒が、学校と全面対決する必要に迫られることは幾らでもあります。 先生が味方として当てにならなければ一人で対決する以外に方法は残されていません。 質問者様の生徒一人一人の立場、気持ちになって考えて下さい。 生徒が十人いれば十ッ通りの人生を背負って歩いています。 規格品の工業製品ではありません。 養鶏場の鶏ではありません。 これから先、質問者さまが生徒のためにできることは幾らでもあります。 なにから手を付けるのかは質問者様ご自身の問題です。 見つけ出すことができるのも、選ぶことができるのも、実行することができるのも質問者様だけです。 教職者というのは、自分のことよりも、生徒の人生を優先して考える職業です。 であればこそ、尊敬され大切にされます。 人様のお子様を預かって教育を施すというのは、なまじの覚悟でできるものではありません。 多少言葉が過ぎて御不快を与えてしまったかとは思いますが、御容赦願います。

cheese16
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 また、 >文面からのみの発言ですので誤解無きようにお願いします。 と、ご配慮いただいたこと、感謝いたします。 >教職者というのは、自分のことよりも、生徒の人生を優先して考える職業です。 であればこそ、尊敬され大切にされます。 人様のお子様を預かって教育を施すというのは、なまじの覚悟でできるものではありません。 >これから先、質問者さまが生徒のためにできることは幾らでもあります。 なにから手を付けるのかは質問者様ご自身の問題です。 見つけ出すことができるのも、選ぶことができるのも、実行することができるのも質問者様だけです。 御回答者様のお言葉は、苦言のようには聞こえず、むしろ励ましのお言葉として受け止めさせていただきました。 ただ一点だけ、やはり学校教育ではもうどうしようもないくらい危機的な状況なのではないか…という悲壮感だけは、やはり拭えません…。不登校や進路変更の問題点は、「楽する方に逃げればいいや」という傾向を含んでいるからです。「再チャレンジ」「再スタート」という意識なのであれば、何ら問題はありません。 学校との対立は怖くはありません。ただ、学校側が正しい側面もあり、簡単には判断できません。 やはり、一人一人の実態と状況に合わせて、できるだけのことをしていくしかないのかと思います。 たくさんの明確なご意見をありがとうございました。

回答No.3

鼻で笑いますよ 給与が下がった、バブル期未満になったんだ 先日の発表では現在の年収は89年(バブル期最盛期)当時まで下がったと報道されています > 高度経済成長の名残で長時間働かせられ 皆、タクシー帰りなんだ…凄い時代だねぇ > 自分の家庭は持ちたいけれど、持てないのが現状 セックスパートナーが見つけられない言い訳でしょ 「自由からの脱出」という言葉を知ってますか? 何でも選択できるよ、自由だよと言われると何をして良いか解らなくなる 自由より与えられた環境を求めたくなる というものです 人間の7割以上は受動的で何も考えないものです それに自分で考えようとか自主性をとやるとどうしたら良いのか解らなくなるんです 「自分で考えようとか自主性を」という教え方は教師のエゴでしかありません 教師は道筋を教えるのが仕事と私は思っています 「自分で考えようとか自主性を」と教えるのは教師が仕事を放棄してるんですよ 子供が野球選手になりたいと言うなら、どうやったらなれるのか?今から間に合うのかを諭す 生徒の未来を考えたいならば、各産業がどの位の規模でどうやったらなれるのかを調べ子供に教えれば良いじゃありませんか 芸能人になりたいという子もいるでしょう あの産業がどの位ブラックで体を監督その他に売らねば食えぬ業界なのかを教えれば良いのです 子供は社会の事を何も知りません それを教えるのが教師でしょ もっとも、日本の教師は社会経験が足りない気がしますけど 少なくともあなたはサラリーマンした事無いでしょ 他の産業はどうですか? 自分が井の中の蛙だと思う事が先決ですよ

cheese16
質問者

お礼

>生徒の未来を考えたいならば、各産業がどの位の規模でどうやったらなれるのかを調べ子供に教えれば良いじゃありませんか 芸能人になりたいという子もいるでしょう あの産業がどの位ブラックで体を監督その他に売らねば食えぬ業界なのかを教えれば良いのです それは、当然のことです。(実際に多くの教員がきちんと指導できているか、そのような指導のために十分に時間を割けるような労働条件が整っているかは別の話ですが、理念としては当然です。) けれど、それ以前に、生きることそのものに気力を見いだせず、未来を諦めている生徒は、どのように指導すればよいのですか?自尊心が不十分な子どもたちにそんな現実的な指導をすれば、日本の若者の自殺率が増えることしか想像できません… ご回答ありがとうございます。先ほど、上記では、激しく反論してしまいましたが、本当にその通りです。 考える材料も与えていないのに「自分で考えろ」と言うのは、責任放棄です。(「教師の」というよりは、「教育の」です。) 意欲があり、前向きな生徒も当然中にはおります。そういった生徒には、より具体的な道筋を見いだせるよう、指導していきたいと思います!ありがとうございます。

cheese16
質問者

補足

質問に不備があり失礼致しました。私の質問は「希望を持たせ、逞しく生かしていくには」どうしたらよいか、です。 私自身の生活の大変さを理解してほしいという内容として書いたつもりはありませんでした。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 こんばんは深更に失礼します。僕も僅かながら教育に携わる者です。僅か乍らとは企業勤務と大学教員を兼務しているとの立場を指します。職場にも大学にも若い方々が多々おり、日々刻々と変化し続ける教育現場に直面され自らの無力感に絶望感を抱きつつも微かな希望を持ちたいとの質問者様の文面を拝読しまして、自らの若かりし頃と重なり合う部分を感じもしました。  「抑圧型の指導」とありますが、この問題にも二つの種類があり、一つは目に見える形での抑圧といえますが、それよりも問題であるのは、学歴や序列などといった社会風土的な圧力といえるかと僕は考えてもいます。  高度経済成長からバブルまで、それこそ猫も杓子も「有名」との実態のない言葉に振り回されてもきた経緯とその時期を過ごしてきた親の世代の価値観が、子ども達にそのまま継承されていて、子ども達は追い詰められて自らの声すらも出すことが叶わないといった危機的な状況です。  中学から高校の時分に僕自身も吃音症に悩んでいた時期もあります。そしてどちらかといえば「社会に対し懐疑的時には批判的な目線」で見ていたとの側面がありました。  そんな時に印象に残っていたのが、高校時代のとある教員でした。物理担当の教員でしたが、若かりし頃に考古学や歴史学に首を突っ込んで、様々な原書や日本の研究者の論文を読み漁っていたとの話から「者の見方としての学問」への手ほどきを何気なくしてくれた恩師です。  努力は裏切らない、などと高説を垂れる立場でもありませんが、まだまだ未熟者の僕が一つだけ心掛けているのは「相手に話させる」「自分で話を進めない」「常に相手との距離感を確かめる」との三つの柱です。三つ目は要するに「議論する」ための準備といえましょう。  けれども「議論する」といっても白黒付けたり、結論を出すための作業ではありません。一緒に話をする中で、気が付かなかった部分があれば、それを自らで確かめればそれで上出来です。  「生徒達のためにできること」と質問者様は肩に力の入った状態、あるいはゴムが最大に伸びきった状態にいるような気がして、生徒さん自身も身構えてしまうのではないでしょうか。難関である教員採用試験に合格し教育現場に立っていらっしゃるのですから、ある意味で学校秀才に近いかなとも感じ(間違っていたらごめんなさい)、例えていうなら孔子の様なタイプかもしれませんね。  孔子は常に「理想の形」というものが常にあって、それに向かって人間は努力し続けると解釈していましたが、僕ならば「老子」を選びます。老子は「あるがまま」を先ずは知り、そこから「できること」をするとの単純な発想を持ちました。考えてみたら、「理想の形」も人それぞれによって違うわけですから一つの鋳型に押し込めることなどできない話です。  「如何にラーメンを美味しく食べるか」「理想のラーメンとはどの様なものか」などと講釈する前に、今食べているラーメンが美味しければ、あるいは評判のラーメンを食べに行くことの方が僕は大切だと思う。食べてみなければ「ラーメンの味」はわかりませんから。

cheese16
質問者

お礼

ご丁寧なご回答、ありがとうございます。考査期間なため、今日は少し早めに退勤することができました。 企業勤務と大学での勤務を両立させているとのことで、広い見識と、場面に合わせて思考を切り替える力をお持ちの方なのではないかと感じながら読ませていただきました。周りにも若い方がおられるということで、今の若い人間と、御回答者様のお若い頃とに違いはあるのか、無いのか、等も、とても気になりました。実際のところ、若者の「感じ方」の変化とはどういったものなのか…誰も、他の誰かの人生を生きられるわけではないので、知り得ないことはわかっているのですが…。 抑圧型の指導についてのお話もいただき、ありがとうございました。実は、それも悩みの理由の一つだったからなのです。 仰る通り、学歴や序列といった固定概念が子どもたちを抑圧しているように強く感じます。大学を卒業しても就職ができない若者が増えている中、「約束された安定」などというものは無いのに、ただ頭ごなしに「勉強しろ」の一点張りでは、子どもたちは張り詰めてしまいます。 現に、今の子どもたちは、こちらはそんなつもりで言った言葉ではないのに「○○でなければならない」「どうせ先生(大人たち)はこう思ってるんでしょう?」という反抗的な態度を見せることが多く、なぜ日本の社会には、高校生の頃には「社会を懐疑的に見る」という流れが根底にあり拭えないのかと思ってしまいます…。悲しくて涙が出てきます。子どもたちが、そんなにも自分を窮屈な檻の中に閉じ込めている状態、そうせざるを得ない状況が存在するのか…。 御回答者様は、私のことも、張り詰めていると案じてくださいました。ありがとうございます。 確かに、正直辛いです。生活のことではありません。 私のように安定した職に就いた者は、その分働いて貢献するのはある意味当たり前(求められていること)と思っているので、そのことに不満はありません。 不幸を探し、自分がいかに大変かを挙げれば、きりがありません。 そんなことではなく、ただ私はとにかく、どうしたら「希望を持たせ、逞しく生かしていくことができるのか」、自分にできることを考えたいのです。 とても長く、真摯なご回答をありがとうございます。NO5へも返答させていただきたいと思います。

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