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生徒指導について。
最近、生徒指導について、いろいろ考える事があります。 例えば先生が生徒に対して、指導をやりすぎてしまい、生徒を死亡させてしまった例などや、宗教が問題で、生徒が学校活動に参加できないことについて、学校が とるべき態度はどうなのかとか。そして、温厚な先生が突然切れてしまい、 生徒を殺してしまったりする例などを見たりしてです。 そこで、ふと思ったんですが、私がまだ義務教育を受けていたころと 現在の教育状況では当然違いがあります。 私が通っていたところは平和な学校だったので、そういった問題もなく また先生が切れるといったような雰囲気もありませんでした。 こういったことで考えるのが、現代の状況において先生が生徒を指導するとき に大事な事ってなんでしょうか?どんな指導しづらい生徒を前にしても 先生本人が切れないで指導するにはどういった心構えというか考え方 みたいなのが大事なんでしょうか。つまりは教師の生徒指導における専門性という ことだと思うんですが、どういうことが必要だと思いますか??
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「生徒指導」って なんだかわかんないんですが・・・。 指導するとか 教えるとかって やる側もやられる側も一生懸命で同じ目的に向かってなきゃできないですよね。もし 専門性という点があるなら、「同じ目的に向かうような気持ちにさせるようにできる」ことでしょうね。 細かな指導なんて 結局小手先でこどもたちだって 気づきますよ。 先に書かれているかたがいらっしゃいますが、「たばこを吸わない」では ダメで 「健康に暮らそう」と大きなねらいがあり その目的に教師もこどもたちも向かうのならば、目的を達成できそうな気がします。 教えることも同じで、(つめこみではなくて)「一緒に知的好奇心を満たそう」なんてねらいがあれば すばらしい授業ができるような気がします。 「一緒に」が大切なんだと思うんですよ。例えば 毎年 アメリカで公立校のベスト教師を選びますが みなさん 生徒の中に入っていってるんですよ。教壇に立ってるだけじゃないんですね。(high schoolで)物理的に生徒の中に入るのが必要かどうかはわかりませんが コミュニケーション密にしたい(=一緒に)と考えればそうなってしまうのだろうと 思います。 これも 前の書き込みにありますが、「指導」「教育」というとどうしても上下関係みたいなことになりがちですよね。組織としては 縦の関係になると思いますが、生徒であっても ひとりの人間としてみることが大切なのだと思います。 実際 指導=指し示して みちびくこと だし、 教育=おしえ はぐぐむ ではないですか!「みちびく 」「はぐくむ」に 強制的な意味合いはないと思います。 何を書いているかわかんなくなっちゃいました。 小学校に学校方針で、「最後までやりぬく」とか「あいさつをしよう」とかかいてありますが 「まず 大人からではないかな??」と思ってしまいます。
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- diginet
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私の友人に学習塾の経営者がおります。学習塾は大きく分けて2つのタイプがあります。猛勉強受験対策型、補習授業型の2つです。友人の経営する塾は後者のタイプのようです。いわば町の寺子屋さんですね。 友人の経営する学習塾には学校で問題を起こすいわゆる問題児が大勢来ております。では彼らは学校と同じように問題を起こしているかと言うことですが、全くそんなことなくまじめに、勉強をして、しかも、塾内ではみんなと協力しておたがいに助け合って勉強をしているとの事なのです。ではなぜそんなことが出来るか? それは、彼が経営者だから出来ると彼はいうのです。 しかし彼はこの世におそらく一人しかいません(^_-) 実は彼も様々な問題を一人で解決してきたわけではなく、大勢の共通な問題を持った人との交流を逃げ場が無いので、しぶしぶこつこつ積み重ねてきたのです。 専門性や問題環境について千差万別ですので、問題点があれば、如何にその問題について多くの人が共有し、問題解決のための暗黙知やベストな行動など情報が得られるかその方法を考えてみては如何でしょうか? 出来れば、責任のある教育関係者の方で、これまで一番苦手だなーと思っている方とかなど結構、刺激になりますよ(^^)
- inoba
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そもそも生徒を指導するという考えが、良くない者を良いように変えるという ニュアンスがあるかと思います。 これは、俺たちの言うことを聞け、どうしてわからないのだ という言葉が、暗に隠れています。そして、言うことに対して従う生徒は いい生徒というレッテルが貼られます。言うことをなかなか聞いてくれない 生徒に対してこのような考え方をしている先生は、 ストレスを感じることになります。 たとえば タバコを吸うのはよくないと生徒に指導しますが、なぜ良くないのでしょうか 体に良くない。もっともな理由ですが、じゃあなぜ体に良くないタバコを 先生たち大人が吸っているのか?大人は自分のことは、正しくて子供が 悪いだから大人が直す必要があるのだ と考えています。 大人が自らを正すことがまず必要でしょう。 もし、もしも、大人が誰一人タバコを吸うことをしなければ、子供たちも タバコを吸うことはないでしょう。 先生やまわりの大人たちが、ただしい倫理観にもとずいて、純然たる態度で 子供に接するならば子供たちは、間違いなくそれに答えてくれます。 わたしは、親やまわりの人たちからも駄目でどうしようもない 手のつけられないと思われてる子供でさえすぐに親しくなれるという 長所というか特質をもっているので原因が子供でなく大人にあると 感じております。
- tweetie
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教師自体の人間的成長でしょう。あまりに偏りすぎたり、経験が少なすぎたり、高校生の時代の私の目から見ても、こいつは年を取ってるだけで、中身は子どもだナァと思う「先生」と呼ばなければならない立場の人は、数多くいましたよ。 で、同窓会などの時に、自分も某かの成長をした後に会うことがあって、あのころは若かったからうがった見方をしていたのかも・・・と検挙に出向いたけど、やっぱりどうしようもない人間でしたね。なんであんな人間を「先生」とよばなければならないのか・・・。横並びの人間だったら絶対友達にはなりたくないなぁ。 「先生」と言われるだけの成長をしてないうちから、大勢の生徒に「先生」と無条件でよばれることを、何か勘違いしてる人、多いんじゃないかナァ。呼ばれるから自分は「先生なんだ」って認識の人が多いような気がする。人を指導するに値するから「先生」と呼ばれるんだってことの認識を、もっとしてほしいと思う、いわゆる「先生」が、私の人世の仲には沢山いました。 もちろん、素晴らしい「先生」もいましたよ。本当の意味の「先生」。とても少数ですが。
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早速の解答ありがとうございます。 確かにそういう先生いましたね~。 「なんかガキだなあ~~」って思う先生。 うちは雪国の学校だったんで、雪合戦みたいなので 遊んでたんですが、たまたま先生にあたったら、 生徒に対して怒るというより切れてましたよ。 子供心に「大人の癖にその程度で怒らなくてもいいのに」って 思いました。若い先生でしたけどね・・・・ 先生と呼ばれることで勘違いをするんじゃなくて 先生と呼ばれることで身を引き締めるようになりたいです・・・。
お礼
早速の解答ありがとうございます。 生徒を指導するという考えのニュアンス う~~ん 盲点でした! 確かに気がついてみれば、なんだかおごりのようなものを 感じますね!! 誰とでも親しくなれる能力は本当にうらやましいかぎりです。 きっとその人の本質をすぐ分かることができるんでしょうね~ 問題を抱えた教師の方達は、その生徒の本質を見る努力を 怠って、生徒はこうであるべきだという形にあてはめることに 力を注いで、失敗しているのでしょうか??そんな きもしてきましたね。