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文章の意味を教えて下さい。
『文明の肉が社会の鋭どき鞭の下に萎縮するとき、余は常に幽霊を信じた。』 上の一文の意味を教えて下さい。 上に引用した文章は、夏目漱石著『思い出す事など』の作中にでてくる一文です。 大変申し訳ございません。ご教授よろしくお願いいたします。
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http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/792_14937.html こちらですよね。 【臆病者の特権として、余はかねてより妖怪に逢う資格があると思っていた。余の血の中には先祖の迷信が今でも多量に流れている。文明の肉が社会の鋭どき鞭の下に萎縮するとき、余は常に幽霊を信じた。けれども虎烈剌(コレラ)を畏れて虎烈剌に罹らぬ人のごとく、神に祈って神に棄てられた子のごとく、余は今日までこれと云う不思議な現象に遭遇する機会もなく過ぎた。それを残念と思うほどの好奇心もたまには起るが、平生はまず出逢(であ)わないのを当然と心得てすまして来た。】 問題は漱石は 1.文明と妖怪が対立的な物 と考えているのか、それとも 2.妖怪は文明側で社会と対立していると考えているのかということだと思われます。 とても迷いましたが、前段に「余の血の中には先祖の迷信が今でも多量に流れている」とあって、次の文明の「肉」はこの血に対応した物だろうと考えました。 だから現実社会の恐ろしい情念や野蛮に出会った時に自分が学問や勉強で身に付けた「文明の肉」が萎縮して「先祖の迷信の血」が出てくると書いているのだと解釈いたします。 明治の怪談噺「真景累ヶ淵」の真景は「神経」のもじりで、幽霊や怪談噺など迷信であって文明開化にふさわしくないという圧力に対して「神経」の病(当時の精神病の概念)の見せるわざだとする言い逃れであったと言われています。 この章の後半は、自分は臨死的な病状を経験したのに地球の大きな意識と融合するような不思議な体験はなかったと書いていますね。少し残念そうな感じを受けます。
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- marbleshit
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『芸術を包含する文化というものが、権力、現世利益といったものに侮蔑され、苛まれるのを見るにつけ、私は現実逃避とも言うべき感情に身を委ねたものだ』 凡そこういった内容を表現していると推察できましょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど。そういう意味なのですね。 ご説明ありがとうございます。
- tzd78886
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小説というのは論文ではありません。読者が自由に想像できるように、わざとあいまいな表現をしているのです。入学試験ではあるまいし、模範解答的答えを求めるなんて野暮もいいところです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。小説とはそのような情緒を楽しむものなのでしょう。 しかし得てして作者が表現をぼかしすぎてしまっているがために、伝わらないこともあります。 無学な私には、どうしてもこの一文の意味を解することができませんでした。 よろしければ、こういう解釈ではないかという一例を示していただけませんでしょうか? よろしくお願いいたします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど。前の文章からの比喩だったのですね。 とても勉強になりました。 文明の肉というのは、そこから来ていたのですか! ご説明ありがとうございます。