以前なら、日本的な稲作農耕文化的な集団主義社会の近代工業化におけるメリットが、高度経済成長期の核家族化&地域コミュニティの希薄化から、点取り教育による世界観的認識の低下、消費税による貧富の格差拡大&小泉改革の雇用流動化での終身雇用の崩壊、といった一連の流れにおける自己チュー化によって劣化している、とかを問題視していましたが、3・11以降変わりました。
政府は「福島は解決した(最近は「コントロールされている」に直しましたが)」「東京は大丈夫」と力説しているが、その『大丈夫』の安全基準は、20ミリシーベルト/年という、国際的な安全基準値の1ミリシーベルトからかけ離れたものによっているのです。
また、政府の放射線モニタリングポストが除染した跡地に設置されているのは有名な話で、民間の情報を集めている「みんなでつくる放射線量マップ」では、都内でも年間に換算すると1ミリシーベルトになる0.15マイクロシーベルト/時を超える値がたびたび計測されています。
また、7月に少し話題になった、茨城で獲れた魚が安全基準値200ベクレルをはるかに超える1,000ベクレルが計測されたように、3・11以降しばしば高濃度の放射能を持つ魚が水揚げされています(安全基準値以下でしたが都内の回転寿司でも)。
やっかいなのは、ほとんどの魚が放射能検出不能なほど安全な中、突然、高濃度の個体が混ざっている事です(福島沖からの回遊)。
魚は全数検査をしていない以上、関東の人は魚で放射能のロシアンルーレットをしているようなものです。
日本の安全基準値20ミリシーベルトより厳しい5ミリシーベルトで避難させたチェルノブイリでは、10年以上経ってから新生児に形質異常(内臓が骨格の外に出ていたり心臓の形成不全)が増加し始めました。
心臓の異常は、あまりに多いので「チェルノブイリ・ハート」と名づけられ、昨年同名のドキュメンタリー映画が上映されましたが、20年経った今、避難地域外の病院で生まれる新生児の過半数に異常が見られるとの事でした。
何が起きているかというと、我々がさらされている低線量被爆において、一番影響を受けるのが卵子である事によります。
放射線は遺伝子を傷つけ、長期的に体内の生化学反応を阻害するのですが、通常、体細胞は数ヶ月で入れ替わるので、累積被爆量には限度があります。
ところが卵子は、子供の頃に形成されると受精するまで20年以上ずっと卵巣にキープされる事から、他の体細胞の百倍の放射線のダメージを蓄積するのです。
まして受精後の個体発生において、遺伝子にとって他の体細胞とは比較にならない複雑な働きをせねばならないので、そのダメージはさらに大きな影響を生じるのです。
今から20年後、関東・東北で生まれる新生児の多くに形質異常が発生した時、今の政治家は、東電は、どう責任をとるのか?いや、それ以上に、その補償や福祉の負担で、一体日本はどうなるのか?
そうした絶望的な困難の原因は、今の我々の判断に由来しているのです。
人は、それがどんなに不幸で困難な悲劇であれ、それがゆっくり進行し、あるいはずっと先で起きるものに対しては、安易に許容してしまうもののようです。
お礼
役目を終えた友情だったのだと思いましょう