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生きることの本質は他を殺すこと
生きるためには他の命を食らうというのもそうですが、 気に食わないものを排除する人間の本質が、私は嫌いです。 本質と言ってよいのか疑問ではありますが。 わたしも、どうしても許せない人間は許せないし殺してやりたく思います。 でも、人それぞれ相容れない価値観を持っているわけで、私も憎い相手と同類なわけです。 質問ですが、 生きる、ということに対してどのような思いを抱いていますか?
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質問者が選んだベストアンサー
人生とは何か、人間とは何か 人はどう生きるべきか。 これらに対する答えはありません。 考えるだけ無駄です。 混沌は混沌のままにしておきましょう。
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- ezhkhol
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「どんな生き物も他の生き物を害することなく存しえない」 これは誰しもが認めなければならない客観的事実です。 そして私もこの事実を嫌悪するという点において、質問者さんと同じです。 他の生き物を苦しめることなしに、己の欲するところを満たせればどんなによいか。 また私は「他の生き物を苦しめること」が悪の定義であると思っていますので、 他の命を食らうことは悪となります。 普通の人はここで 「そうは言っても食わなければ自分が生きられない。仕方がないじゃないか」 と反発するでしょう。 しかし私にはどうして「仕方がなければ他の生き物を苦しめてもよい」のか分かりません。 仕方がなかろうかあろうが、悪は悪でないのか。 食らうことは、「誰からも罰せられないが悪」です。 悪は「罰せられる悪」と「罰せられない悪」に分類されるというわけです。 倫理と法の分離とも言えます。 生き物は悪をなすことなしに存し得ない、それがこの世の定めのようです。 wikipediaには次のような記述があります。 ジャイナ教徒は水が微生物にあふれていることを知り、飲むよりは衰弱死を選んだ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99 個人的には、このような精神に深い尊敬の念を抱きます。
お礼
女の腐った奴。いや男かもしれませんけどね。 いずれにしても悪趣味
補足
すみません、質問と全く関係ないのですが、 回答者様はどうして登録日初日に私のこの質問に お答えしようとおもったのですか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ご回答を拝読しました。皆さんと同じことを考えております。 しかし質問者さんは、やはり同じ質問を繰り返すでしょう。 つまり解決のない願いと質問なんですね。 肉体や個別性(個別的存在)というものを維持することが宿命となっている地上の生命体にとっての宿命だということですね。 では地面の水や鉱物、或いは日光だけで生きていかれる微生物や植物はどうか。 ここにも自己という個別性の維持が課せられているでしょう。 ならばそれに邪魔なものの排除はせざるを得ないでしょう。 敢えて自・他という概念を導入して、自の中に一定の条件での自分達同類や同国民を含めて、その維持と幸福に反するものを排除したり、必要なものを自己の中に消化吸収する同化ということを考えられませんか。 つまり、ご質問は観念の中での自問であるという事でして、哲学の思索とは未だなっていないという事ではないでしょうか? 不遜な申し上げ方ですみません。
お礼
ありがとうございます。 不遜などとは思いません。 余談ですが、たとえば犯罪者は、凶悪人、はみ出し者として扱われます。 犯罪者としてい来ることを幸運にも免れた人々が、それだけでは飽き足らず、犯罪者を非難します。 何の疑問も持たずに。 たとえばですが、それが変で納得できません。 生きるという点に関しては、他の回答者様と同じということですね。それが人間、仕方ないということでしょうか ご提案に関してですが、考えられるかどうか、というよりも、私も自然とそうしていると思います。
- ramink
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すべての人がもれなく人を憎む(殺したい)と思う心と、人を大切にしたいとか救いたいと思う心の両方を持っていると思います。マザーテレサやナイチンゲールのような人に尽くした人たちにも、人を憎む心はありますし、極悪人にも人を大切に思う心はあると思います。大切なのはそのどちらをたくさん出して生きるかということだと思います。それが人間性であり人格だと思うのです。
有名な物理学者ノシュレーディンガーという人が生きているということをエントロピーの概念で説明しています。エントロピーというのは、例えばスカイツリーでも何もしないでいれば壊れるほうへ変化していくのでいろいろ修理しなければ今の姿ではいられないというように物事はすべて何もしなければ壊れるほうへとしか変化しないのですが、これをエントロピーが増える方向へしか物事は変化しないというように言えます。これをエントロピー増大則、あるいは熱力学第2法則といいます。 生物もこの原則に逆らうことはできません。生物のからだもスカイツリーと同じく修理しなければ壊れる方向へ変化していきます。すなわち栄養や水のように環境から取り入れ、老廃物や毒物を外へ排出しなければ体が壊れて死んでしまいます。生きていくというのは修理そのものです。普通の生物は、必ず他の生物を栄養としていますから、どんなに平和的に見える生物でも何らかの意味で殺生をしています。草食動物だって草という生物を殺しているという意味では肉食動物と同じです。また人間はその上は頭が発達していますから、頭で考え出した自分の世界をそのまま保持しようとすれば、やはり都合のよいものは外から取り入れ、そうでないものを外へ放り出す必要があります。この場合利用されたり排除されるのは周囲の人間です。利用や排除は本質的には殺生です。法律からみれば殺人でなくとも人はほかの人の犠牲によって生き伸びているという意味では殺生を行っています。この意味で人間は二重の意味で殺生をすることによって生きています。
多くの生き物が自由勝手に、本能のままに生きていて、自然全体としてはさほど不具合がなく数千万年、いや何億年もきたわけですが、こと人間に関しては幸か不幸か複雑で人工的なな社会を作って生きることになってしまったわけで、その結果としてあなたのような悩みも生じてきたといえるでしょう。 >生きるために他の命を食らう とか >気に食わないものを排除する人間 そういった行為が、今自分が属している人間社会でどんな意味を持ち、周囲にどんな影響を及ぼし、それによって自分自身の立場にどんな変化をもたらすのか、そういうことをちまちま考えながら生きていかねばならないのが人間という存在なのでしょう。それはある意味辛く、なかなか難しいことでもありますが、反面、そういったことが一応は過不足なく出来る知能を人間は獲得したわけで、一般ルールを守っていさえすれば、人間は野のけだものが強いられている、かつかつ生きるだけの厳しい生活などとは比較にならない快適な、楽しい生き方が(可能性として)出来るという利点も得られるのだと思います。 人間の「生きる」ということと、他の生物の生きる概念とはまったく異なったもので、そういったことを考えながら人間としての生き方をエンジョイしていくのが、いきるということではないでしょうか。 ご参考になれば。
お礼
ご回答者様のご意見は、どちらかというと論理的に物事を考えるタイプのように感じました。 机上の論ではない生きたご意見だと思います。 参考になりました、ありがとうございました。
- SPROCKETER
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どういう宗教の方かは知りませんが、科学的に見た場合は、動物というものは発生した時点で他者を殺したり、食べたりして生きているのが普通ですし、体内の免疫で病原菌を殺していなければ、身体中が腐って死んでしまいます。 腐って死ぬか、他者を殺して生きるか、動物として生まれた以上は、他者を殺して生きる以外に生存方法はありません。これは全ての動物に対して言える事です。 自分が日頃、食べているものを考えて見ればわかりますが、おいしいものほど動物の死体や卵であるのがわかるはずです。生き物を直接殺して食べるわけではないので、そういう妄想を持つのであって、農家などで家畜を飼って生活していれば、家畜を殺して食べる行為に罪悪感は持ちません。 動物保護団体でも、食用動物の殺害には反対しないでしょう。生活に必要な食料を得る為に動物を殺す行為には、疑問を持たない身勝手な論理を誰でも持っているからです。 動物を殺して食べるのを嫌がる菜食主義者の中にユダヤ人を600万人も殺害したアドルフ・ヒトラーがいたのは、偶然では無いと思います。動物を殺して食べていれば、人の虐殺には抵抗感を感じますが、そうでなければ平気なのかもしれません。 食肉を拒否する人達には大虐殺に抵抗感を持たない人が多いのかもしれませんよ。
- tit6644
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気に食わないものを排除するのは人間の本質というより、生物の本質じゃないでしょうか。 本質のままに生きるのはサルやライオン、あるいは微生物と同じです。 本質に則って生きる気にはなれません。 本能的な欲求を満たすだけの生き方に 生きる意味を考えることもなくなると思うからです。 今の人間社会があるがゆえに、人間の本質や、どうやって生きるか、なんて考えることができるんだなあ、と思います。 生きる、ということに対しては、人間らしく生きたいと思っています。
お礼
人間らしく、ですね。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
ありがとうございます。 できればそのように考えていきたいと思います。