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啓蒙主義と進歩主義

啓蒙主義と進歩主義の関係について教えてください。 wikipediaには啓蒙思想は「世界に何らかの根本法則があり、それは理性によって認知可能であるとする考え方」とあります。一方、進歩主義の説明をみても結局のところ同じのような気がします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

回答を拝読しました。 抽象的な話になりますが、たとえばヴィトゲンシュタインが言っているように、言葉の意味は、原理的には定義不可能だと思います。 言葉は、使用されることを通じて意味を持つのです。 質問者様が気にしていらっしゃる「進歩主義」と「啓蒙主義」という言語についても同様です。 私たちは、辞書的に言葉の意味を決定しようとするとき、その言葉がある言語行為において持ちうるかもしれない意味を除外して、便宜的に、定義するしかありません。 私が核心が異なると書いたのは、そのような辞書的な定義が、「進歩主義」と「啓蒙主義」とでは異なっているということを言いたかったからです。 「反古典の政治経済学要綱」は読んだことはありませんが、村上氏は、「進歩主義」を「究極の唯一の理想的秩序が、(中略)、人間によって認識可能であると共に、人間の努力によって(現世で)実現可能でもあると信じる思考上の姿勢」として使用しているのでしょう。そして、この文脈における「進歩主義」は「啓蒙主義」と類似していると言えると思います。 しかし、そうだからといって、村上氏のこの文献の文脈を離れて、いつも「進歩主義」が「啓蒙主義」と重なるとは言えないでしょう。 一度批判したwikipediaを引き合いに出してしまって申し訳ないのですが、たとえばwikipediaの「進歩主義」のページは、「進歩主義」、「進歩主義(政治)」、「進歩主義(教育)」と三つあり、それぞれ意味が違いますね。文脈によって言葉の意味は変わるということです。 進歩主義は、たしかに進歩の先に何らかの真理や「理想的状態」を想定しているものと考えられますが、その想定の度合いも文脈によって違います。 ある言葉を知るためには、辞書的な定義だけではなく、その言葉が使われている文章や発話に数多く当たって、自らの中でその言葉を涵養することが必要だと思います。 少しでもご参考になれば幸いです。

siiwan
質問者

お礼

どうもありがとうございました。もちろん、「…主義」という名が別個に与えられているので、文脈によって意味は変わってくるとは思います。 私自身、この言葉に関わる周辺の諸事情をもう少し勉強する必要がありそうですね。 ご丁寧にありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

siiwan様、こんにちは。 えーー >「世界に何らかの根本法則があり、それは理性によって認知可能であるとする考え方」 それは、「(宗教的)原理主義」じゃないですか (以下、辞書より抜粋・ところどころ改変) (啓蒙主義) 「・・・人間が「あるがまま」を見たことを尊重し、宗教的(不合理的)権威に対して、(あるがままの)人間の自律を唱え、「正しい(合理的・・・しばしば、教育)」を通じて、人間生活の進歩・改善、幸福増進を行う事が可能だとして、(不合理的)旧弊を改めようとした」 (進歩主義) 「「社会の矛盾」をなんとかしよう、とする・・・」(⇔?「保守主義」・「急進主義」) なるほど、「啓蒙主義」に似ていますね。

siiwan
質問者

補足

「世界に何らかの根本法則があり、それは理性によって認知可能であるとする考え方」は、現代科学でも見られる姿勢ではないでしょうか。宗教でいう原理主義とは関係ない気がします。

回答No.2

こんばんは。 啓蒙主義とは、「本来すべての個人に備わっている人間的理性の能力によって、現存する諸社会意識、社会諸関係を合理的明証性の方法によって批判し、理性に適合した認識・秩序を構想する考え方」です。 進歩主義とは、「伝統の継承を唱える保守主義に対して、その変革を訴える立場」を総称したものです。 (弘文堂『社会学事典』より引用) たしかに啓蒙主義と進歩主義は重なる面もありますが、その核心はまったく異なるものだと思います。 啓蒙主義は理性を信奉し理論構築を目指すもので、進歩主義は保守に対抗し伝統の変革を訴えるものです。 あと、個人的意見ですが、wikipediaの情報はあまり質が高くないことが多いので、調べ物をする場合、哲学辞典など文献に当たったほうがいいのではと思います。 参考にならなかったら申し訳ありません(^^;)

siiwan
質問者

補足

実は今読んでいる本(「反古典の政治経済学要綱」村上泰亮著p7)に、思考姿勢としての進歩主義とは、「究極の唯一の理想的秩序が、あるいは少なくともそこへの一義的経路が、人間によって認識可能であると共に、人間の努力によって(現世で)実現可能でもあると信じる思考上の姿勢」とあります。つまり進歩主義は、単にその場での変革を求めているだけではなく、その向こうに「理想的状態」を仮定しているのではないかということです。こう考えると、啓蒙主義と重なっているのではないかと感じ、このような疑問にたどり着きました。それでも核心は異なっていると考えていいのでしょうか?

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.1

そのwikiに 「啓蒙主義は進歩主義的であると同時に回帰的である。これは啓蒙主義の理性絶対主義に起因する。理性主義はあらゆる領域での理性の拡大を促し、さまざまな科学的発見により合理的な進歩が裏付けられていると考えられた。しかし自然人と文明人に等しく理性を措定することは、文明の進歩からはなれて自然に回帰するような思想傾向をも生み出した。~中略~ユートピア的幻想を伴って原始社会や古典古代を美化する思想をはぐくんだ。とはいえ全体としてみれば思想の主流は進歩主義的であったといえる。」 とありますよ。 なので、ちょっとした違いはあるようですね。 進歩主義は、進歩こそが至上のものですが、啓蒙主義は、根本原理が文明の退化を促しても良しとする部分もあるようです。

siiwan
質問者

補足

「回帰的」というところがポイントなのでしょうか。ご説明だと、自然に回帰するような姿勢も認めるということでしょうか。でも、それも含めて「進歩」とは考えられないのでしょうか。 No2さんへの補足にも入れましたが、別の本では「進歩主義」とは、「理想的秩序」を仮定し、そこに向かおうとする思考上の姿勢とあります。自然に帰ることが理想的秩序だとすれば、それも進歩主義の中に含まれてしまうのではないでしょうか。単線的な進歩史観しか、進歩主義は仮定していないということでしょうか。

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