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カナの使用は責任のがれ願望の無意識的表現?
記者会見などで責任者や当事者が対策法などを述べるとき、「・・・・・かなと思います。」というのを聞くと、この人は信用できないかなと思ってしまいます。対策法を述べているのだから、毅然と断言してほしいと思います。一見謙虚そうに思わせますがが、このような表現法を使う人には、何かあったとき逃げの姿勢をとろうというような潜在的心理はないでしょうか。
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正確には「私、本当は知らないんです」。「何かしないと、馬鹿にされるし、おまんま食べれないし」。
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- williumblake
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私は逆に、こうだ!と断言する人のほうが、裏でテキトーなことをしてそうだと思います。 実際の物事に、人間があっさり断言できる要素がどれだけあるでしょうか? 不確定要素を甘く見ていませんか? 現場の苦労を知っている人ほど、乱暴な断言は出来ないはずです。 福島第一原発の元所長、故吉田氏は、重要な場面で格好つけた断言はしませんでした。 断言を要求したのは官邸や東電の本社でした。 ところで、あなた自身も「かな」を使っていますが・・・
お礼
私は特に責任を取る立場ではないと思いますが、別の意見も聞きたいという意味です。
補足
政治のはなしではなく、無意識に使う人の心理について知りたかったのですが…
- viola1926
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「逃げの姿勢」であると捉えられる可能性についてはあると思います。 ただし断言はできません。 語尾を婉曲的に表現してしまう癖がある人は非常に多いですが、相手との正面からの衝突を避けようとする潜在意識からきている、とも考えられるからです。 日本語の場合、婉曲表現を多用する傾向があります。一般的な表現でも時代とともに婉曲的に変化していくこともあります。 これは「逃げの姿勢」ではなく会話文の緊張を和らげようとする心理からくるものです。古来からの日本人の性質ともいえるでしょう。古典を開けばそのような文章ばかりです。 質問者様が「一見謙虚そうに~」と考察されていますが、まさに「相手に謙虚に思わせる」ことが、日本語では重要なのです。 「~かな」以外にも、その後に続く「~と思います」というのも婉曲表現の一種で、自己の主張を明確にしなければならない論文などにおいては好まれない表現です。 また、「~を始めたいと思います。」ではなく「~を始めます。」のようにしっかり言い切りなさい、というビジネスマナーの指導を耳にすることもあります。 これらは「あいまい表現」ともいいますが、質問者様がご指摘なさっているとおり、あいまい表現も度が過ぎると「責任逃れ・中途半端な態度」として受け取られる可能性が高まります。特に現代社会ではその傾向が強いように感じます。 「逃げの姿勢」からくるものか、ただの癖なのか、その言葉の端から潜在意識を推測するのは困難ですが、相手にそのような印象を与えてしまう可能性が高まっている以上、話し手としては注意すべきですね。
お礼
ご教示ありがとうございます。心理学のカテゴリーでうかがったのは政治的な意味ではなくということもありました。大切なのは当面の問題を解決するということではなくなっていてはまずいと思うものですから・・・。
お礼
そうですね。なにもないときは結構ふんぞり返って偉そうにしていたのではないかとも思わせるし、おまんまはたくさん食えるほどもらっているはずと思ってしまうのは我ながら情けないです。核心をついたコメントと思いました。