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品沢親王の父親

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B0%86%E5%A7%AB 中将姫の母親は紫の前という女性で、紫の前は品沢親王の娘であると説明があります。 親王とあるので、品沢親王は天皇の皇子だと思いますが 長屋王(高市皇子の子)を長屋親王と記した木簡が見つかっているので天皇の皇子ではなく、品沢王なのかもしれません。 品沢親王の父親は誰なのでしょうか。 それとも品沢親王という人物は実在しなかったのでしょうか。

みんなの回答

回答No.2

当時皇族で親王を名乗れたのは親王宣下の詔を受けた人物のみです それ以外は王でした 長屋王は親王ではなかったようです 天皇の皇子=親王とも限りません まぁ厩戸皇子が上宮王と呼ばれていたように もしかすると品沢親王も誰かの別名かもしれませんよ

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >当時皇族で親王を名乗れたのは親王宣下の詔を受けた人物のみです それ以外は王でした http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E7%8E%8B#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E8.A6.AA.E7.8E.8B 上記には次のように記されていて、回答者さまがおっしゃることとは違っていますが。 律令制では天皇の子及び兄弟姉妹が親王(女性形「内親王」は令の条文にはない)と改称され、位階を授けられ、給田や俸禄が与えられて、家司(けいし)が付属せられた。皇孫は二世から四世(場合によりそれ以降も)が諸王と称せられた。 >長屋王は親王ではなかったようです 長屋親王と記された木簡が見つかっているので、正当な皇位継承権があったのではないかという説があります。

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.1

中将姫は伝説上の人物とされているので、実在していない可能性が高いですね。母親の紫の前も5歳の時に死別という形のようなので、ますますあやしい。 中将姫の父親は藤原豊成。その父親は藤原武智麻呂。この二人と同時代の天皇であれば、天智、天武、文武、聖武、淳仁、光仁、あたりでしょうか。 ただ、これらの天皇の子で品沢親王というのは、いないようです。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 中将姫伝説には、実在する人物である藤原豊成、孝謙天皇、淳仁天皇などが登場します。 実在する人物と架空の人物が入れまじってるんでしょうか。 >中将姫は伝説上の人物とされているので、実在していない可能性が高いですね。 なぜ伝説上の人物だとされているのか、が問題ですね。 昔の女性はたとえ貴族の娘であっても、正史に記録は残りません。 正史に残るのは天皇の妻になった人物だけです。 中将姫は結婚せず、尼僧となっていますから記録はなくて当然です。 記録がないから実在しなかった、とはいえないでしょう。 品沢王もいませんか? 親王でなくても親王と記していたかもしれません。 長屋王を長屋親王と記した木簡が見つかっていますし 白壁王を白壁親王と記したお寺のパンフレットを詠んだこともあります。

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