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学問への欲求,仕事,人生について

自然科学,理論分野の大学院生です. 病気で消耗してしまったのか,回復後も学問を含めたあらゆる事柄に対して,以前のような好奇心,情熱が持てず,集中を持続させることができません. 経緯を書いてみます. 出身は国内トップクラス(世界的にも高い競争力を誇る)の理学部です.大学入学以前から自然科学に強い感受性を持ちました.高校3年時に母親との確執や受験から来る強度のプレッシャーなどからうつ病(病院に通院するのは寛解した後の再発後,8年後にii型の双極性障害と診断されます)を発症し(その後大学には合格),半年後にほぼ寛解しますが,さらに半年後に再発します.その後2年間病気を抱えながら,勉強を続けていましたが,決定的に悪化し,4年目から大学を休学.故郷に戻って5ヶ月間の入院をし,本格的な薬物治療を受けました(単極性障害との診断だったので,抗うつ薬による治療です).どのような感じかというと,抑うつから来る脳の機能の低下で漫画を読むと現実と漫画の世界の区別が分からなくなり,さらに大幅に調子が悪くなるなど,あとは常識的に考えられるような,きついうつ病の症状です.なので,入院時は外出や乗り物などに対する耐性を徐々に高めていく,低学年の小学生が読むような活字の大きい本を読み,2週間程かけて何とか疲労と頭痛から立ち直り,少し量の多い読書にチャレンジする,といったことをしました.この時は自然科学への強い情熱と意欲はほとんど失ってはいなかったと思います.上記の事情などから,家庭環境が悪かったために,退院後は主治医の判断で,故郷からは大分離れた大学の側での一人暮らしを再開しました.さらに半年後の復学(復学したら卒業を目指せるだけの耐性を持たなければなりません.これは体力勝負の実験科学の専門と同様,頭脳を酷使する理論科学の分野でも病気の特性を考えれば,それなりに困難なことです)を目指しましたが,疲労から調子は悪くなる一方,3ヶ月程で再度の帰郷を余儀なくされました.このとき受けた打撃は大きく,自然科学とか大学を卒業するとかいったことは一切諦め,何の希望もなく,銭湯の休憩室から降りしきる雪を茫然自失でみるともなく冬を越しました.死にたくなるような冬でしたが,北国の遅い雪解けが進んでくると気分も改善していき,雪が溶けると自転車に乗るようになりました.さらに,自転車修理工として食べていこうとおもい,自分が持っている自転車を隅から隅までいじりつくし,知人から頼まれた自転車を修理したりしていました.帰省後のドーパミン作動薬による増強療法がもたらした軽躁エピソードに入っていたと大分後に推察されました.家族との折り合いが悪く,知人の家を渡り歩いたりしていましたが,そんな高校時代からの1人の知人に「ここはお前の生きていく場所じゃないよ.」と言われ,ようやく,復学を決意しました.吐き気と眠気からドーパミン作動薬の服薬を拒否,一転してうつに逆戻りして,ほとんど意識も飛びそうな状態で,主治医には3年目の休学を進められましたが,それを拒否し,「だったら二度とうちには来るな!」と言われたりもしましたが(後から聞いたら,私の将来のことを想って,退路を断ったんだということです.精神科の治療というのは得てして荒治療です),這うように大学に戻りました.恐怖は凄まじく,一世一代のギャンブルでしたが,結局,才能には恵まれていて(トップクラスではないです),徐々に頭角を表し,指導教官に「君は○○(私の専攻)で飯食っていけるだけの力はあると思っていいよ.」と言われるようにまでなりました(ただし,私の病気のことを非常に懸念しておられました).その後,私の大学に付置された,その分野では日本で最高とも言われる研究所に合格しましたが,研究分野の多少の兼ね合いと,おそらく,大学受験の時に負った心の傷も影響して(試験を受けて大学院に行くこと自体が信じられなかったし,日本で一番競争の激しいところで病気が再発するのが不安だった),辞退して,別の大学の大学院に進学しました.それから3,4ヶ月程研究に打ち込んだ幸せな時間を送りますが,その時の記憶として,自分を駆動しているのは激動の人生が心に刻み込んだ「狂気」だと感じたことをはっきりと覚えています.私は人当たりがよく情も深く概ね誰からも好かれましたが,心の奥半分には「狂気」に似た情熱を秘めていました.年齢的にも3,4歳下の後輩は幼く見えましたし,先輩たちは「やろうと思ったらできるのにどうしてそんなところで満足してしまうのだろうか」と集中力の低さを他人事ながら残念に思いました.私の能力と集中的に取り組む力は群を抜いていたと思います.しかし,過去の挫折が生み出した劣等感から,当時の指導教官に喧嘩を売ったと思われても不思議ではない発言をしたり,彼の不注意,ミスだったかもしれないあるできごとを故意によるアカデミック・ハラスメントと受け止め,神経が焼き切れ,適応障害と診断され,病院に収容されました(なかば強引な説得がありましたが,任意入院です).疲弊と聴覚などが敏感になっているところに,閉鎖的な狭い大学病院の病棟でとなりの鍵をかけられた病棟から全力で扉にぶつかってくる患者さんが大きな衝突音をたてたり,幻聴に襲われて叫びだす患者さんがいたりなど,他にもありましたが,疲弊しきって,日にちが分からなくなる,疲れきって紙に書いてもらわないと言葉が理解できない,などぼろぼろになって,結局,例えになりますが,界王拳の4倍を発動して,主治医を罵倒して,病院を後にし,故郷に帰りました.復学してから比較的生産的だったここまでの期間を抗うつ薬による維持療法がもたらした軽躁エピソードだったとみる精神科医もいます.この比較的直後に「単極性障害」から「双極性障害ii型」に診断が切り替えられました.でももう既に詰んでいたようで,妄想的傾向がややある父親と攻撃的,敏感,過干渉な母親の元での療養生活には問題があり,数ヶ月間の軟禁的な生活を実家で送りました.私の感覚では実家に帰ってからのこの数ヶ月間が決定的に脳に悪い役割を果たしたように感じられます.視野が狭くなる,視界が遠く感じられる,などの離人症のような症状と,記憶力が悪くなる,空間的な認識力が悪くなって,自分がどこにいるかが曖昧などの症状が出始めました.上の症状のうち,記憶力が悪くなる,以外はその後現在までの2年半で完全に解消されました.その間に修士論文を書き上げ,学部のときにやっていた分野に戻ることにして,学部の時とは違う大学ですが,似たような環境に戻りました.ただし,修士課程です.こちらの大学に入り直す半年程前から,脳の調子もよくなりはじめ,いまでは普段の生活に何の支障もありません.診断が変わって,治療が変わったからか知りませんが,軽躁エピソードもうつ病エピソードもありません.まったく病気から解放されています.ただ,頭が悪くなって,以前のような情熱が持てなくなっています.せっかく病気がよくなったのに,能力が落ちたというふうに,学部時代の指導教官の思惑と反対のことが起こっています.年の功か,知識と定石的な問題のアプローチはある程度身に付けているので,大部分の同級生とは遜色なくやっているのか,友達にも「お前が自信を失うことはないではないか.あとはやらなければならないことをやるだけさ.」と言ってくれる人もいますが,私も30を目前に控える年齢にまでなりました.並みの実力では研究者として生き残っては行けないと思うし,超えなくてはならない壁もいくつもあります.何より,私自身が前の何分の一の能力と情熱でいることが残念でならないのです. このような状況なのですが,以前のような好奇心,情熱,集中力を取り戻す方法があると思いますか.何かありましたらお願いします.

質問者が選んだベストアンサー

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  • mstk2
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回答No.3

拝見しました。 病気によって昂進されているのは能力でなく意欲、と考えてみてはどうでしょうか。 質問をまとめますと、病気がよくなったら学問への情熱がうすれた、これを両立させる方法はないものかということですね。 これは見方を変えれば、病気や家庭環境によるストレスこそが、代償をもとめる働きとして、学問への意欲を高めていると考えられます。 一般に両立というのは難しいものです。研究者によくある話ですが、私生活が充実すると逆に研究業績が伸びなくなる。きれいな嫁さんをもらって平穏な家庭環境を得てしまうと不思議と研究業績は伸びません。いや研究がはかどるでしょと思うのは逆で、家庭での満足感が仕事の馬力をそぐのです。 逆に、結婚相手がとんでもない悪妻で家庭ぐちゃぐちゃ、子供は家出、嫁は不倫というような状況で、研究者はすばらしい仕事をなしたりします。仕事に身が入らないだろと思うのは話が逆。要は仕事へ逃げるわけです。 実はこれは研究者に限らず、画家や音楽家でも同じです。ゴッホやモーツァルトは精神疾患と引きかえに素晴らしい作品を残したし、美空ひばりはステージでは神だったが私生活はとんでもない不幸だったのは有名です。プロ野球入りを狙えるような高校球児は、彼女ができると途端に野球がダメになる。満たされてしまうと人はそれ以上頑張らない。腹がへるから生き物は狩りをするのです。。 もっとも、太宰治が鬱病が進みすぎてペンも持てなくなったように、不幸も度が過ぎると逆効果です。 研究者に限らず、クリエイティブな仕事において不可欠なのは 「適度な不幸」、もっというなら不満です。とある発明家の言葉である 「不満は発明の母」 を参考にして下さい。何も不満がなければ、1日15時間も実験室にこもるなんてしんどいことをやりますか? 給料もさして増えないのに。 質問者さんのケースですと、病気を治療することは仕事の上でも必要ですが、その一方で、満たされすぎないことも大事です。つまり不満をつねに貯め、自分を餓状状態におく。一般にはハングリー精神という言葉で表しますが、だからこそ獣は狩りにでかける。 研究は狩りです。 あと気になるのは、質問者さんの専門が何なのかわかりませんが、たとえば理論物理なら、今のその分野に対する強い不満のようなものは無いのですか? 例えば 「いまの宇宙論なんて全然食い足りなくてつまらない、オレなら宇宙像をこのように考えてみせる!」 という煮えたぎるような不満感。アインシュタインの相対性理論なんてまさにこれ(=不満の結晶)であったし、ポアンカレ予想を解いたペレルマンの脳内もおそらく同じ。彼がなぜ世間とまじわれないか? 世間なんぞ退屈でつきあってられないからです。 古今東西とわず、偉大な業績をうむエネルギーは不満です。ずばぬけた仕事をしたいなら、手をとめて考えてみましょう。あなたは何に不満ですか。今の自分? 自分の専門分野? 世の中全部? 何もないなら、情熱がわかないのは当然です。新発明~発見とは、つまるところ、現状の食い足りないところ(=不満)を埋める作業だからです。 

oshiete190
質問者

お礼

丁寧なご回答をくださり,どうもありがとうございました. 調べてみて,意外でしたが,研究以外のことで充実していると 生産性が落ちるというのは事実であることがわかりました.

oshiete190
質問者

補足

> 質問をまとめますと、病気がよくなったら学問への情熱がうすれた、これを両立させる方法はないものかということですね。 病気がよくなったことと,情熱がうすれたことがどの程度関係しているのかは分からないのですが,その通りです. 自分なりに考えてみました. 不満に思ってもおかしくない,不満に思わない方がおかしいことはいくらでも思いつきます. それらに強く不満を持てない理由(心情)として,次のようなものがありました. 1,飼いならされてしまった.大学に入ったばっかりのころはいろんなことにいちいち不満を持ちましたが (しかも,「破壊」したくなるくらいの不満です),世間はこういうものである, と思うようになった部分もあるし,同世代の人々のほとんどは,社会のシステムを受容し,我慢する, あるいは,特に疑問に思わなく,楽しくやっているようにみえます. 私なんかは当たり前のことを当たり前にやるのはむしろ苦手な方なので, 彼らを尊敬するようにさえなりました.自分がうまくいっていれば,認めたとはおもいますが, 特に尊敬することもなかったかもしれません.自信のなさの裏返しとも言えます. 2,1と非常に密接に関連しますが,「双極性障害」は自分の上にたつものです.これがなければ,自分が 絶対的に正しいと思い込むのはずっと容易になりますが,「双極性障害」は「あなたは軽躁かもしれない.」 「間違っているのはあなたの方かもしれない.」と言ってくる訳です.しかも,軽躁というのは 「自分で気付けないもの.」を含む訳ですから,自分が上にたつ余地がないのです. ただ,軽躁は必ずしも病的なものであるとも,言い切れないので,これも自分の気持ちの問題かもしれません.

その他の回答 (2)

  • mstk2
  • ベストアンサー率26% (157/588)
回答No.2

自分でもうすうす気づいてらっしゃると思いますが、平穏な生活とずば抜けた思考能力の両方を、同時に得ることはできないという話なのだと思います。 どちらかを得るためには、どちらかを捨てなければならない。天才によくある症状で、群論のガロワやペレルマン(ポワンカレ予想を解いた人)を彷彿とさせます。ニュートンやアインシュタインにも似たエピソードがあり、セルフケアの方法のひとつとしては、彼らの伝記を読んでみると新たな気づきがあるかもしれません。すなわち自分は何者で、自分の能力の源泉は何であるのか。 幼少時の狂気? ペレルマンも似たことを述べています。彼らは核反応で走る特注車であり、常人はひと山いくらのガソリンであると。能力は前者の方がはるかに上だが、安全性は後者が格段に上。特注車はガソリンでは走らずウラン燃料を必要とする。この場合の核燃料があなたの場合は狂気であり、鬱的症状と考えられます。 であるならば、今後どうしたらよいのかは、今後あなたがどうなりたいのかによるでしょう。世紀の発見ができたら死んでもいいのか? できなくてもいいから長生きして平穏な生活も楽しみたいのか? ガロアは典型的な前者でニュートンは後者だった。晩年には地位と名誉を得たが、晩年のニュートンは発想的には抜け殻。今のあなたと似てる?  一般的には後者の生き方が賢明とされるが、問題は、あなたがそれで幸せを感じられるかどうか。もし感じられないなら、これはもう前者の生き方しかない。即ち薬の服用をやめる。主治医は何といいましたか。

oshiete190
質問者

お礼

大変参考になると共に考えさせられるご意見でした. 対照的にふたつの方法を示してくださり,どうもありがとうございました.

oshiete190
質問者

補足

回答者様が書いてくださったようなことは,私も考えたことがあります.太く短く,か,細く長く,ということだと思いますが,ほとんどの自然科学の重要な発見というのは,急な山道を一気に登りあがるような側面を持っています.なので,一生に使えるエネルギーが決まっているとすると,短い間に集中させるのが最も効率がよいということになると思います. では,そういった人生が双極性障害と等しいのかというと,一部正しいかもしれませんが,間違っている部分もあると思います.というのは,最初の入院期間で,小学生の低学年が読むような1冊の本を2週間書けて読んでいます.それがそのときの知的な馬力です.では,2回目の入院の直前の知的な馬力はどの程度でしょうか.私が双極性障害を発症しなかったとして,その知的な馬力を仮に1とします.そうしたところ,2回目の入院の直前の知的な馬力はおおよそ0.8-1.0くらいと思われます.つまり,決して高くはないのです.主治医には軽躁がなければ,前のような馬力1を達成することはないだろう,と言われています(年齢による馬力の低下はここでは考えないことにします).それは,うつも軽躁も脳にダメージを与えるからです.ただ,主治医の言ったことも原理的には正しくないと思います.それは,脳は回復できるからです.そうでなければ,2週間で小学生の低学年が読むような本を1冊しか読めなかったのが,その3年後に充分に高いレベルで自然科学を修めるようになることなど考えられません(これはうつから軽躁になったからではないです.このふたつの時点でうつと軽躁のバランスはほとんど変わりないと思います). 脳がダメージを受けている間,軽躁はメリットがありません.軽躁でようやく人並みにしかなれないからです.ですので,脳を回復させることが最初の(現時点での)目標になります.主治医と共通の認識を持てています. 回答者様は双極性障害の浮き沈みを抑える薬(気分安定薬といいます)のことをおっしゃられたのだと思うのですが,実際のところ,これは服用していないのです.薬の処方は基本的に単極性障害に対するものとほとんど変わりがありません.つまり,もちあげる方向です.ただ,一時期気分安定薬を服用していたので,これが強制的に波を消したのかもしれません.

  • supercatt
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回答No.1

ある程度寛解している前提で話しますね。 海外に行く事です。これは語学留学でもいいし数週間レベルの旅行でもいいです。 脳はあくまで常識内で動きますから、常識外の刺激を喰らわせるわけですね。そういう意味で島国日本人にとって海外は最適です。あまりストレスフルにはならないゆるいものがいいですね。 常識を外す作業として考えても犯罪とかほどリスクはないでしょうし。 大変な状況から盛り返してますね。 普通はできない人も多いですし、あなたは中々凄いですよ。 個人的には「取り戻す」と言う考えは反対です。 時計の針は元には戻らず、元来人間の思考、体力は年齢と共に変わるのが自然です。 それを「戻す」ことは大きな意味を持たない気がします。 むしろ自分を蝶の脱皮的に考えればいいのではないですか。 数学者の多くもその発見は20代前半までに成される事が多いです。 では30代、40代が無駄かと言うと決してそうではない事は既にご存知のはずです。 いったん年齢や学歴を抜きにして考えませんか。 長い事かけて培われてきた鎧を脱ぐのは難しいとは思いますが、10代の頃に自分の肩書きを意識して問題を解いてたわけではないでしょう。自身を相対化して捉える癖がマイナスに働く事もあると思います。 いま1度、数学馬鹿、物理馬鹿になればいいでしょうに。

oshiete190
質問者

お礼

示唆に富んでいて,大変有り難く思いました. 適度に面白いと思われるような,海外への旅行がよいということですね. 目的が異なりますが,指導教官には,研究者を目指すのであれば,海外(特にアメリカ)で学位を取ることを勧められています. メリットとしては,英語で学生を指導する技術を身に付け,アメリカの大学での就職を希望すれば,年齢による不利が無いからです. デメリットとしては,徹底した実力社会で,その点において容赦がないことです. > 大変な状況から盛り返してますね。 > 普通はできない人も多いですし、あなたは中々凄いですよ。 研究上近い人であってもこのような経緯は,言わないか,大雑把にしか言わないことが多いので,見ず知らずの方からこのような言葉を頂き,救われます. > 個人的には「取り戻す」と言う考えは反対です。 > 時計の針は元には戻らず、元来人間の思考、体力は年齢と共に変わるのが自然です。 > それを「戻す」ことは大きな意味を持たない気がします。 > むしろ自分を蝶の脱皮的に考えればいいのではないですか。 > 数学者の多くもその発見は20代前半までに成される事が多いです。 > では30代、40代が無駄かと言うと決してそうではない事は既にご存知のはずです。 事実だと思います.「取り戻す」あるいは「元に戻る」ことに拘ってきましたが,拘りを捨て,新たな視点を探したいと思います. > いったん年齢や学歴を抜きにして考えませんか。 > 長い事かけて培われてきた鎧を脱ぐのは難しいとは思いますが、10代の頃に自分の肩書きを意識して問題を解いてたわけではないでしょう。自身を相対化して捉える癖がマイナスに働く事もあると思います。 > いま1度、数学馬鹿、物理馬鹿になればいいでしょうに。 客観的なご意見で非常に参考になりました.楽になりました. どうもありがとうございました.

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