学力低下というか・・・
ちょっと前から話題としてちょくちょく出る学力低下問題。
学力が低下しているだとかを関係者達が議論しているようだが、勉強する教科や覚えさせるものに対してもっと考えたほうがいいと思うのは私だけでしょうか?
例えば、社会に出てから役に立たないものを勉強している点。
「いや、もっと他に勉強すべきことあるだろ?」と思うものが多い。
学力低下よりもこういう覚えなくても社会に出たとき役に立たないものを削除し、役に立つことを勉強するほうがいいと思う。
私的な意見だが、例えば「歴史上の人物」
何年に、この武将が何を成し遂げた。
こういうのって、「趣味の領域でよくないの?」 「あえて学校で勉強すべきこと?」
と思ってしまう。
「歴史好きな人や、そういう道に進みたい人が勝手に図書館なりそういう学ぶとこ行って勉強したらいいじゃん。」と思ってしまう。
だって、これ以上に覚えること、社会に出たときに必要なこといっぱいあるよ。
それとか、エジソンが何年に生まれ、何々を発明した。
テストでは、「何年に生まれ」まで、点数に繋がる。
「いや、重要なのはそこじゃないじゃん。」
「いつ生まれたのかが重要じゃなくて、何を発明し、現代の生きた技術に繋がってるが重要なわけで」
そんなことで点数を引かれたことが、学力低下に繋がる結果となる。
歴史上の人物とかさ、生まれた日にちは特に重要視じゃないと思うけど。
それと、さっきも書いたけど、趣味の領域でいいような・・・
結局、学力が低下したら困ると言う人達は、社会に出たときのことを考えてのことだと思うけど、「だったら勉強すべきこと変えようよ」と思うのは私だけか?
学力低下とかを気にする関係者の人さ、それ唱えるなら勉強すべきこと変えようよ。と私は思う。
あと、音楽でいうなら「縦笛」
必ず誰もが学校で習うが、ほぼ全ての音楽で飯食ってる人、使ってないし。
あれは覚えるべきなのか?やる必要あるのか?
「この子が社会に出たとき何かの役に立つとか、こういう選択肢もある」とか大人が考たあげく、結論が出たのは「縦笛」
この授業受けてるぐらいなら他、勉強して覚えたほうがいいと思うけど・・・
矛盾してるんだよね。一方では学力低下といってるクセに、無駄っぽい時間を使ったり
さらに、縦笛って宿題っていうか、吹けるように練習してきなさいってある。
あれこそ無駄じゃないかな?
なんか、こういうほぼ、社会に出たときに、役に立たなかったり、歴史の好きな人同士でしか会話が成立しない、仕事と関係ない話題話とかを勉強するよりか、国語、数学、パソコン、英語、道徳(社会の常識・ルール)を勉強したほうがいいと思う。
学力低下とか唱えるなら、勉強すべきことを根本的に変えた方がいいと思うのは私だけ?
学力低下というか、覚えなくていいこと多過ぎやしないだろうか?
スッと漢字が読めたり書けたり、スッと計算が解けたりできたりするほうが社会に出たときに重要。
歴史上の人物とか、知らないより知ってたほうがいいかも知れないけど、知ってたからってなんの役にも立たない。
あと、常識ね。
米を洗剤で洗っちゃうとか、電車内の扉の前で座り込むとか、後ろ(車やバイク)を確認しんと、歩道から車道へ自転車で飛び出てくるとか
学生に多いよね。
本来、幼稚園児でも知ってる事だし、学校で学ぶとかそういう問題でもないけど、そういう人がいる以上、また、学生に多い以上、学校という学び舎で教えるのも教育の1つ。
だと思います。
あなたは「学力低下問題」や、「学力低下」が持つ意味合いとかどう思いますか?