どのくらいなのかというと、たぶんほとんど分かっていないと思います。ただ、情報戦に勝利した人というのは、情報網を持っていたということと、駆け引きに勝利したということだと思います。
どんな情報にも常に「誤報」というものが付きまといます。例えばソ連の戦闘機Mig-25が函館に亡命したとき、ソ連の特殊部隊がMig-25の奪還・破壊作戦を実行するという情報が自衛隊にもたらされました。その信用度は「A」とされました。情報源については秘匿しなければなりませんから明らかにはなっていませんが、米軍あるいは米国の極めて信用できる筋からの情報だったのでしょう。
しかし、実際にはソ連軍は来ませんでした。それがソ連の情報戦によるニセ情報なのか、作戦が実施寸前に中止されたのか、それは永遠に謎です。しかしそういうこともしばしば起きるわけです。
日本人は誤報を嫌いますから、情報のウラをとりたがります。そのことそのものは悪いことではないですが、しかし生モノである情報のウラをとろうとすればどうしても時間がかかります。かくして、かつて日本政府は北朝鮮がロケット(ミサイル)を発射したときにウラをとることに気をとられ、「確かにロケットは発射された」と分かった頃にはもう頭の上を飛び去った後だった、なんてことが起きるわけです。
情報というのはどこか一ヵ所から手に入れるわけではなく、いろいろなところから手に入れて総合的に判断するのが原則です。それは別に戦争とか国家レベルでなくても、部長と女子社員が不倫しているという噂話レベルでも同じです。あの2人が親しげに話しているところを見た、一緒に食事をしているところを見かけたなんて情報が集まって「あの2人は怪しい」となるわけです。
それがはっきりしない限りは「たぶん、そうだろう」という判断で行動するしかありません。桶狭間の合戦で信長が出撃したのも、今川義元の場所の情報が入ったからですが、それが100%確証を得てから行動したわけではありません。むしろ、信長本隊が攻撃を開始したとき、それが義元の本陣であるとは気づかなかったという説がありますし、私もたぶんそうだったろうと思います。信長が熱田神宮から中島砦へ進出しようとしたときに家臣は馬の轡をとってそれを止めたというエピソードもあります。
みんな、分からないのです。分からないなりに得た情報をもとに行動し、その勝負に勝った者が歴史に名を残す、というわけです。ポーカーでいえば、相手のカードをすべて知っていたわけではなく、1枚か2枚の情報をもとに勝負するって感じでしょうね。
お礼
ありがとうございます。なるほど、人の考えや動向は時間と共に刻々と変化するから完全に知るのは無理なんですね。なんとなく身近な生活の中に通じるものが有ると思うと以外な感じがします。 イメージしてみたのですが、野球の試合でキャッチャーが相手チームのバッターの的球が予想できても必ずしもその球を狙って打ちにくるとは限らないし、完全に打ち取れるなんて有り得ないでしょう。どんなに悪くても三割くらいは打たれます。完全試合なんて、なかなかできないですよね。 情報戦を得意とした毛利元就や徳川家康も冷や冷やものの戦をしていたのかも。なんだか私の常識が覆された感じです。