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通信手段が未発達の状態での戦国時代・世界大戦

今だったら、「携帯が無かった頃はどうやって待ち合わせしてたの?」とか 「カーナビが無かった頃どうやって首都高走ってたの?」とかって、 若い人から尋ねられる感覚でしょうか。 通信手段が未発達だった状態で、 ・戦国時代、小国といえども広い日本で、どの地方を誰が仕切っているかを  きっちり把握して、そこに攻め込んで領土を広げていって天下統一するなんて  ことが何故可能だったのでしょうか?  狼煙とか情報収集の忍者?とかでしょうが、どれほど実効性があったのか…。 ・第一次・第二次世界大戦と、どうして海を越えて遥か遠方の国と戦争ができたのでしょうか?  太平洋上の島に敵国の拠点があって、そこに向けて戦闘機を飛ばしていくとか  現実感が全く湧かないので…。 ぼんやり疑問に思ったまま、永らくほったらかしにしていたのですが、 このモヤモヤがすっきりすると嬉しいです。 お恥ずかしい質問ですが、参考になるサイトや文献があれば照会いただけますと幸いです。

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  • lv48
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回答No.7

答えは無限に出てしまいますから、それぞれ一番重要だった物を ・戦国時代は寺(坊主)の情報。 人が死ねば、坊主が供養します。 坊主に聞けば、どこにどんな村があって、誰が死んだと分かります。 戦があれば当然、死人が出て誰よりも結果を知ることが出来ます。 寺のネットワークは全国ですから、大名と寺は切っても切れない関係です。 まれに、寺とも絶縁の秘境の里などがあり、見つかり次第、従属させられます。 江戸時代になると、これが発展して檀家制度(寺請制度)キリスト教の禁止が名目だが、実際は戸籍制度であり、年貢のとりっぱぐれが無いようにする目的。 戦国時代の領地争いも、年貢の取り合い。 年貢があがってくるか来ないかで、領地が分かる寸法です。 ある村が年貢の納め先を変える事で、領地が取られたと気付き戦になります。 (ヤクザの島争いと同じです。あるときみかじめ料があがらずに島が取られたと戦争になります) ・第一次以降は電報です。 http://okwave.jp/qa/q7139726.html http://www.mitsubishielectric.co.jp/security/learn/info/misty/stage3.html

photomania
質問者

お礼

「坊主に聞けば、どこにどんな村があって、誰が死んだと分かります。  戦があれば当然、死人が出て誰よりも結果を知ることが出来ます。」 「年貢があがってくるか来ないかで、領地が分かる寸法です。」 →いずれも、「おおっ」と思ってしまいました。  非常に興味深いご回答をありがとうございます。 また、三菱電機のホームページにこういう暗号の情報が載っているのも おもしろいですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

回答No.8

戦国時代。 敵味方の両方に親戚関係が有るのが普通でした。部下をいれれば確実に 親戚が敵側にも居たのです。そして家来といえども自分の家を守るのが最優先。 つまり親戚縁者の情報交換が最重要で確度の高い情報でした。 忍者や噂話は親戚情報を補完する役割です。そうであるからこそ戦国時代に於いても 縁結びは重大なる決断を要したのです。 世界大戦の太平洋ですが、ほとんどの島に人が居住しており普段から行き気が有りました。 経済や旅行により様子は判っていました。問題は軍事情報ですが収集活動で集められました。 なぜ行けたかの理由はエンジンが発達したからです。 北海道の小さな漁船がオーストラリア近くのマグロ漁場で漁をして帰ってきていた方が 感心します。漁船用電子誘導機器の無い時代、漁師は天測航法だけで太平洋を越えて漁をした。 そうして戦後の食糧危機に対応した。いたこ1枚下は地獄という漁船であらくれ漁師は天測 し航行し漁場から魚を持ち帰った・・・設備や道具に贅沢をこらせない漁師の方が軍隊 より尊敬に値すると想うのですよねーーー

photomania
質問者

お礼

「敵味方の両方に親戚関係が有るのが普通でした。」 →まったく知りませんでした。こんな情報源が最優先&高確度だったのですか。 「設備や道具に贅沢をこらせない漁師の方が軍隊  より尊敬に値すると想うのですよねーーー」 →確かに、軍隊は財が優先的に投入されてますもんね。  それよりも不自由な漁師の方が遠方まで行かれていたのは凄いことですね。 ありがとうございました。

noname#224207
noname#224207
回答No.6

>・・・ことが何故可能だったのでしょうか? 可能だったのではなく結果論です。 確実に自分の身の回りの敵を潰していった結果です。 信長も大阪や北陸を平定するのに相当手間取っています。 大阪や北陸を平定した後に味方がどんどん増えたというか敵対する人間が減っていきました。 中国地方を平定する前に殺されてしまいました、 秀吉の時代になると軍事力よりも政治力の時代に移り、政治的駆け引きで当面敵対する人間がいなくなっただけです。 関係者全員が同じ速度の通信手段と情報の精度を持っていれば、それが現代より遅かろうが精度が粗雑であろうが何の支障もありません。 現代の技術がなければ広範囲の支配権を手に入れることが出来ないということはありません。 アレキサンダーもジンギスカンも日本列島などよりもはるかに広い土地を支配下に収めました。 アレキサンダーにせよジンギスカンにせよ、攻め込んだ土地に充分な予備知識があったわけではありません。 行く先行く先を潰していった結果です。 上杉謙信にしても、ぐずぐず武田信玄などとやり合っていないで、さっさと京都へ攻め込めば歴史は変わっていたでしょう。 曲がりなりにも関東管領の任状を持っていました。 いずれも結果論です。 第一次世界大戦であれ第二次世界大戦であれ同じです。 いずれもすぐ隣の地から戦線を広げていっただけです。 米国にたいしてもハワイの軍港を潰しただけです。本土まではとうとうとうたどり着きませんでした。 近場の東南アジアで戦線を広げただけです。 英国に対しても、本国には指一本ふれていません。 シンガポールを攻め落としただけです。 >太平洋上の島に敵国の拠点があって、そこに向けて戦闘機を飛ばしていくとか 現実感が全く湧かないので…。 地理上の位置関係が分かっていますからそちらへ向けて飛行機を飛ばすなり船を行かせるだけです。 別にカーナビなど必要がありませんでした。 トマホークミサイルではありません。誤差何メートなどという精度は必要がありせん。 海と空だけの空間で目的地へ飛ぶ技術は海軍の航空隊のパイロットは訓練を受けていました。 陸軍の航空兵は陸地の目標がないところを飛ぶ訓練を受けていなかったため、中国大陸へ移動する際には海軍機の先導を頼んでいました。 神風特攻隊もあの辺にいると、先導機につれられて行きました。 先導機は途中で帰ってきています。 末期には迷子になって燃料が尽きて落ちてしまった機もいるようです。 だれも確認して報告できる人はいませんでした。 米軍も特攻機が現れてからあらんかぎりの銃弾を空に向かって打ち続けていました。 自分の艦隊の上で撃ち落とすのなら。来る間に戦闘機の大編成で撃ち落とせばすむはずです。 レーダーがどうのといっても当時の対応能力はお互いにこんなものでした。 お互いに精密な情報を持たず、あっても使いこなせなければ、情報の精度というのはこの程度で充分です。 戦国時代も同じです。 攻め込んで敵に出会ったら勝つだけです。 信長も寡勢で戦ったのは桶狭間でだけです。 後は常に過剰な兵を用意していました。 >このモヤモヤがすっきりすると嬉しいです。 時間というものに対する感覚の違いがピンとこられておられないからかと思います。 ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学 本川達雄 中公新書 時間の比較社会学 真木悠介 岩波書店 などという書籍があります。 誰もがいつでも24時間を同じ長さで感じているわけではないということが理解できるかと思います。 距離についても同じように考えればピンときます。

photomania
質問者

お礼

ありがとうございます。 「秀吉の時代になると軍事力よりも政治力の時代に移り、政治的駆け引きで当面敵対する人間がいなくなっただけです。」 →そうだったのですか。てっきり合戦でどんどん支配下に収めていったのかと思っていました。  勉強不足でした。 「関係者全員が同じ速度の通信手段と情報の精度を持っていれば、それが現代より遅かろうが精度が粗雑であろうが何の支障もありません。」 →このご回答を求めて質問した訳ではなかったのですが、これはこれでスッキリした部分もあります。 「地理上の位置関係が分かっていますからそちらへ向けて飛行機を飛ばすなり船を行かせるだけです。」 →なるほど、自身の位置、目的地、を、きちんと把握できていたのですね。 「時間というものに対する感覚の違いがピンとこられておられないからかと思います。  ゾウの時間ネズミの時間」 →読んでみます。さっそくアマゾンで注文しました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.5

>戦国時代 別に家康や秀吉は全国を完全支配していたわけではありません。伊達政宗とか、毛利輝元なんていう戦国大名が各地にいて、その大名たちが秀吉や家康に臣下の礼をとったから「天下統一」となったのです。各地の戦国大名はある種の独立国家であり、自治権がありました。だから江戸時代も幕府はずけずけとそれぞれの藩(大名)のところへは入っていけないのです。だから幕府も各藩にスパイを送りました。「行くと戻れぬ薩摩飛脚」なんていわれたのは、幕府のスパイも薩摩藩にバレると殺されるので薩摩藩の内情は幕府もなかなかつかめなかったのです。 またその他にも、商人などの人の流れはあったわけです。商人は大名にとってビジネスの相手であり、スパイでもあります。その商人が「今大阪ではこんなことが起きている」というような情報を手に入れてきますし、その商人が大阪の他の商人から情報をもらえば、他の地方の情報も手にい入ります。ただし、もちろんそれはリアルタイムの情報ではないし、時として誤報も混じるわけです。 商人の他には、お坊さんも自由に行き来できましたから、そのお坊さんからの情報も入ります。戦国時代に外交官として活躍した僧侶がいたのは、そういう理由です。その宗派によるネットワークからの情報がいろいろ入るわけですね。 質問者さんがおいくつか分かりませんが、社会人なら出入りの業者さんから同業他社の動向を聞くことがありますよね。あそこは最近経営がヤバいらしいですよなんてのが伝わってきます。それと同じなんですよ。そして得てしてそういうルートから入る情報のほうが重要であることがありますよね。 いつの時代でも、そういうネットワークからの情報というのが重要なのです。 >第一次・第二次大戦 20世紀になると、通信手段はかなり発達してきますので、現代とはあまり変わらんですよ。ただリアルタイムじゃないだけって話で。それこそ恋愛で例えれば、今はLINEやメールで数秒でその人へ連絡できますが、昔はハガキや手紙だったから届くまで数日かかっていたというだけです。 飛行機が敵のところへ間違いなく飛んでいけるのは、手で航法計算をやっていたからです。だから計算間違いをするとそこへたどり着けない・笑。実は太平洋戦線では、空母攻撃隊が敵空母を発見できずに帰ってきたってよくあったんです。それは日米双方で起こりました。 太平洋戦争末期の本土空襲となると、敗色濃厚で日本軍も士気が下がってきて、迎撃する日本軍パイロットも死にたくない。で、日本軍というのはレーダーや無線機が不毛でしたから、迎撃機が出撃するときに「何時何分にどこどこを通過を確認。おそらく何時何分に横浜に到着と推測される」と指示を受けて出るんだけど、死にたくないからわざとそこに行かないで適当にグルグル回ってくるんですね。それで帰還して「いやあ、探したのですが見つからなかったっす」としれっとやったのです。 今は営業マンも携帯のGPSで会社から監視される時代ですが、携帯電話もポケットベルもなかった時代は営業マンは会社を出るともうつかまらない。だから営業回りに行くフリをしてパチンコ屋でサボるとかみんなやっていたのです。 ちなみにおじさんの世代は携帯もポケットベルもない時代に恋愛をしていた世代なので、約束の時間に相手が来なかったら、「どうしたのかな、事故にでもあったのかな」なんてヤキモキしながら待ち合わせの場所でずーっと待っていたのです。「約束をすっぽかされて待ち合わせの場所で何時間も待った」なんて、おじさんの若い頃にはよくある笑い話(時には笑えないのですけど)でしたよ。 なんとなく当時の空気感を知りたければ、星の王子様の著者であるサン・テグジュペリの「夜間飛行」という短編小説がお勧めですよ。まだレーダーがなかった時代に夜間飛行機が遭難するとどうなるかって話です。

photomania
質問者

お礼

「別に家康や秀吉は全国を完全支配していたわけではありません。伊達政宗とか、毛利輝元なんていう戦国大名が各地にいて、その大名たちが秀吉や家康に臣下の礼をとったから「天下統一」となったのです。」 →なるほど、このあたりが勉強不足で良くわかっていないので疑問が生じたのかもしれません。  なんとなく天下統一というのが、中央が完全に日本全国をぎちぎちに支配していると  勘違いしていたようです。  「臣下の礼」っていう言葉も初耳でして…。ちょっと勉強したくなりました。 「恋愛で例えれば…」 →非常に分かり易い例えをありがとうございます。 「空母攻撃隊が敵空母を発見できずに帰ってきたってよくあったんです。それは日米双方で起こりました。」 →やはり失敗も多かったのですね。 「なんとなく当時の空気感を知りたければ、星の王子様の著者であるサン・テグジュペリの「夜間飛行」という短編小説がお勧めですよ。」 →さっそくアマゾンで注文しました。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

・戦国時代、小国といえども広い日本で~ 戦国時代の情報源は、様々ですが、行商の者や僧侶、噂話も重要な情報源でした。 一つの情報源のみに頼っていた訳ではないです。 新しい土地では、手の者に事前に調査をさせた情報と、地の者の案内や味方に付いた豪族からの情報等とを併用した様です。 活用出来るかどうかは大名次第でしょうし、また情報はリアルタイムではないので、「賭け」の要素は強かったでしょうね。 また情報として欲しがったのは近隣のモノで、遠方のモノはさして重要でなかったのは、秀吉の統一事業においての遠方大名の対応に見られるのではないでしょうか。 中央の情報に疎いと思われる行動が、見えたりします。 ちなみに天下統一を考えていたのは、確実に言えるのは信長のみで、他の大名は領国経営で手一杯でした。 ・第一次・第二次世界大戦と~ 測量技術は高度に発達しており、大航海時代には既に天測航法により自船の位置を正確に把握して航海していました。 島の緯度や経度による位置や海岸線の大きさなどは、通常、世界に公表されています。 領土として国際的に認められるには、正確な位置情報が、領海を決定するには海岸線の特定が、それぞれ不可欠です。 拠点があるかどうかは、諜報活動によって求められるものですので、これは独自に調査しなければなりませんが。

photomania
質問者

お礼

ありがとうございます。 「新しい土地では、手の者に事前に調査をさせた情報と、地の者の案内や味方に付いた豪族からの  情報等とを併用した様です。」 →併用で分析していたのですね。  (そのあたりも、歴史家の方が過去を探って調べてくれたのですよね。) 「情報として欲しがったのは近隣のモノで、遠方のモノはさして重要でなかったのは、  秀吉の統一事業においての遠方大名の対応に見られるのではないでしょうか。」 →興味が湧きましたのでまた調べてみようと思います。 「測量技術は高度に発達しており、大航海時代には既に天測航法により自船の位置を正確に把握して航海  していました。  島の緯度や経度による位置や海岸線の大きさなどは、通常、世界に公表されています。  領土として国際的に認められるには、正確な位置情報が、領海を決定するには海岸線の特定が、  それぞれ不可欠です。」 →そうですか。100年前なんてまだまだ未熟だと思っていたのですが、  私がイメージしていたよりも、ずいぶん進んでいたということのようですね。

  • afv2021
  • ベストアンサー率52% (188/360)
回答No.3

戦国時代や幕府による安定的な統治がなされていなかった時代、小国の領主や豪族は、全国の情報など得る手段は持っていないし、得る必要もほとんどなかったのです。 近隣諸国との関係が重要で、例えば織田信長と今川家の争いも、どちらに組すれば生き残る事ができるのかを心配するのは織田家と今川家の領地の周辺地域の極限られた範囲のみであり、関東や関西の小領主は全く知らなくても困らなかったのです。 全国や広い範囲での情報を必要とするのは、少なくとも大名や,野心を持って領土拡大をねらっていた下克上などを平気でしていた一部の武将のみです。 狼煙などは実際に戦争になり、敵が進軍してくるのが明らかな場合に、見張り台や見張りとして放った斥候などが緊急で、手段を選んでいられない場合に行なったものでしょう。なぜなら、狼煙を上げたら味方に伝わりますが、敵にも丸見えですから。 出来る限り直接報告を持ち帰る斥候を準備するのが戦での当然の準備です。余裕があれば早馬を準備し、馬を乗り継いで最前線から本拠地まで連絡をさせるでしょう。 戦になるかどうかと言う情報については、実際に戦を準備するとなると、足軽となる兵士を募集する事から始めるのが常ですから、人を集め始めるとなれば、近隣の町や村にも声がかかるわけで、その噂が少しずつ波及していくことで、隣国や周辺地域に伝わる事で、「あの国では戦争を準備しているぞ!」という事になるわけです。 忍者なども大名クラスにでもならない限り、常備できるものではないですから、小領主や地方の豪族などは、あくまで近隣の噂が頼りであり、噂から真偽を確かめる為に、信頼できる配下を送り出して、情報を収集するというのが普通でしょう。 積極的に全国や遠くの地域の情報を収集することを重要とは考えていないのが普通の事だった時代なのです。 旅の商人や、修行僧、旅芸人や山師など、広範囲な行動範囲を持つ特殊な人々がもたらす遠い地の話が僅かな情報源だったでしょう。 第二次世界大戦では、既に有線、無線の通信手段があったので、自国の領土では有線で、海や航空機では無線で連絡を取り合っていましたので遥かに早い情報伝達が出来ていたはずです。 第一次世界大戦以前では、やはり斥候や偵察部隊を送り込むのが主流ですし、特別に速度を重視して馬を乗り継いだり、伝書鳩や海では快速艇で直接情報を持ち帰っていたりしたのです。 また、望遠鏡を駆使して、手旗信号なども利用されたと言うのが、いまでも海軍で手旗信号が教練に用いられる伝統になっています。

photomania
質問者

お礼

興味深いお話をありがとうございます。 現在の技術がある状況からその当時を想像すると、 なぜそれでうまくいっていたのか非常に不思議な感じがしますが、 きっと、失敗だらけ?だったんでしょうね。

回答No.2

今 忍者やスパイと言ってもピンと来ないかも知れませんが 当時は今の想像以上に 忍者や間者 早馬に飛脚という技術が発展していました 彼らの多くは修験道で経験を積んだ修験者だったりで 普通の人が通れない道を通ったり 色々な技術が使えました

photomania
質問者

お礼

ありがとうございます。 間者・修験道 といった言葉は知りませんでした。 いろいろとしっかり勉強してみたいと思います。

  • ssssan
  • ベストアンサー率18% (132/730)
回答No.1

目に見える狼煙以外は忍者等でしょうねー、等には藩に属してない漂泊系とか旅芸人とかですねー山の尾根を通って全国定期的に放浪してた民族等生活の糧は御椀.しゃもじ等を作って定住民と米等と物々交換してて全国放浪するので情報は嫌でも入って来ます。 忍者だって各藩お抱えでそれぞれ呼称が違ってますし、草とかラッパ乱派とか何種類も有りますねー、それがトンスルが忍者はトンスル起源とか茶道もトンスル起源とか嘘バレバレを恥ずかしも無く吠えまくってますねー、半島の何処とか呼称とか何代目等、説明出来なければバレバレの事なのに、他のトンスル起源説も皆同じです。

photomania
質問者

お礼

ありがとうございます。 ただ、後段は、質問に対して何を示唆してくださっているのか良く分かりませんでした。 理解不足ですいません。