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人を許したいが出来ない

生きていると嫌いな人に会います 許すのが一番良いと分かっているのですがプライドが邪魔してか、狭量のせいか、どうしても出来ません どういう心持ち、考えをすれば許すコトができるでしょう? その人間を思うと怒りや憎しみがメラメラ沸いてきてしまい。不幸になれば良いんだと、不遜な考えが浮かんできてしまうのです・・・

質問者が選んだベストアンサー

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  • 10jk052
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.7

わかります。私もそんな悩みを昔抱えていました。 でも今になってよくよく考えれば嫌いな人間の為に自分が悩みこんでストレス 抱えて日常に支障をきたすなんて、なんてもったいない時間を過ごしたんだと思います。 人生は一度きり。時間は有限なのですから なんでその貴重な時間を嫌いな人間の為に奪われなきゃならない? いまの私ならそう思います。 そして今は奪われないための方法を私は見つけました。 例えば 合わない人間が職場にいたならば、その人に「絶対負けない!」と 意気込む心持で常に仕事に臨む。だから勉強もたくさんする。 そうすればおのずとその人よりはるかに優れた能力がついていると 思います。 人は自分よりはるかにちっぽけな人間を「嫌い」にはなりません。 「どうでもいい」と思うものです。 嫌いな人間の上に立ち言い方はあまりよくありませんが見下せる立場になれば そのような悩みは無くなると思います。

gaitu
質問者

お礼

これがよさそうですね!!

その他の回答 (11)

回答No.12

ケチな奴ほど、他人はケチだと言うものです。 イヤな奴ほど、全部他人のせいにしがちです。 全ての人を許す必要はありません、社会に害をなす (他人を不幸にする)人は、その影響力を制限すべき だからです。 しかし、最初に書いたように、自己顕示や私利私欲の 観点=肉体的な“自己”による、他人との競合による 「嫌な人」ならば、社会生命的自覚(お金をもらうために イヤイヤ働かされるのではなく、助け合いとしての社会 行動)によって、共に一つの生を構成する仲間として、 能力の大小によらず共同によって確実に強化される ものとして、対立の対象ではなくなります。

  • Tefu_Tefu
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回答No.11

こんばんは >生きていると嫌いな人に会います 例えば 不機嫌に怒っている人だとします 自分に災難が降りかかる前に 直ちに その人がいる場所から立ち去りましょう  >どういう心持ち、考えをすれば許すコトができるでしょう? 無事に逃げることができて安全を確保できたなら 九死に一生を得たとして喜びましょう そして 平静な気持で楽しく過ごしましょう^^b 人間には誰にでも譲らない領域があります  哲学でも云えることですが 嫌いな人と同じ土俵、同じ時空間で争わないことです 自分が優位な土俵に引き込んだ者が優位なのです 必ず自分の土俵で真、善、美を語りましょう 相手がそこでしか 貴方に勝てないのだと思い許してあげてください ソクラテス 貴方は詭弁でも自分の土俵で勝ったのですね(笑)

gaitu
質問者

お礼

ここにこそ逃げるが勝ち、が適用されるのですね わざわざ相手にするのもバカらしいですもんね そうしたいと思います

noname#187533
noname#187533
回答No.10

61歳の「男子」です。 >その人間を思うと怒りや憎しみがメラメラ沸いてきてしまい。 >不幸になれば良いんだと、不遜な考えが浮かんできてしまうのです・・・ ・・・ちょっとまってください。 そもそも「人を嫌う」ということは そのような感情をもつということではないですか? わたしもいまだに嫌なヤツには実に同じように思ったりします。 相手の不幸のあり方を具体的に様々に夢想したりもします。 まあこういうのを「呪い」というのでしょう。 そしてそれは実にまっとうな感情であると思いますよ。 くわしいことを書くと長くなるので端折りますがね。 要は人は、いや生き物は根源的に「フェアネス」を 求めるものだということなんですがね。 ただし、 きれい事を言いたいのではまったくないのですが 私の場合は 私がどんなに嫌う人でも じつは私は大好きなんですよ。 矛盾した言い方ですがね。 つまり私は根本は人が大好きなんです。 もう他人が好きでしようがない。 本当は人というものは皆そのはずなんですがね。 言ってみれば私はありがたいことに そのことに身をもって気づいているということでしょうか。 18世紀の哲学者J・J・ルソーは 「孤独な散歩者の夢想」の冒頭でこんなことを言っています。 「世間の人が私にどんなにつらくあたっても 私の愛からはだれものがれられない。」 (ただし今手元に同書がないのでうろおぼえの引用です。 この人は生涯経済的に恵まれていたことは一度もないんです。) この気持ちわたしはよーくわかるんです。 いい言葉でしょう?

gaitu
質問者

お礼

公平さ、をどっかでやはり求めているんですねきっと 言われて気づきましたこれも渇愛だったのだと 自分は律してるし、やってないのだから、お前も同じようにしろよ、との押し付けだったのですね 私の愛から逃れられない・・・そんな境地に行ってみたいものです 回答ありがとうございました

  • fuukakou
  • ベストアンサー率22% (200/870)
回答No.9

ちょっと考え方を変えて、 「嫌いな人」を許すんじゃなくて、「嫌いな人がいるのが嫌な自分」を許すとか。 世の中には嫌いな人もいるよね、でスルーする。 まず、自分の中で 怒りや憎しみがわく ことを許せば? みつを じゃないけど、人間だもの~!! と思ってストレス解消の方向に向かうとか。大声を出すといいらしいからカラオケで絶叫するとかね。

回答No.8

 自分の欠点を探しまくりましょう。  あの人のあんなところが嫌いだ、許せない、と思っている自分はどうなんだ、と、自分の悪いと思われるところを探しまくりましょう。  gaituさんが持っている、貴方の気づいていない欠点を、あの人は嫌っていて許せない、と思っているかも知れません。  自身を知ることで多少は他者を許す気持ちが起きてきます。

noname#182346
noname#182346
回答No.6

>もう書き込みしてこないで といわれてもブロックされたら書きたいとしても書けないやんか。 ご心配なく。言われてもわかろうともしないヒトにはそれ以上言いませんので。

gaitu
質問者

お礼

でも我慢できなくて書き込んでしまったんですね それが恥を忍んでまでどうしても私に言いたかったコトですか?

noname#187573
noname#187573
回答No.5

その人に感謝をして、ありがとうございますと言いましょう! 人を許せば自分自身も許されて心も楽になれます。

gaitu
質問者

お礼

感謝ですか・・・ 難しそうです・・・

noname#182350
noname#182350
回答No.4

 悪魔見たいな人間はその時点で不幸じゃありませんかね?自分の良心を壊して悪魔に成り変る訳ですからその時点でもう不幸なのではないでしょうか?    知らず知らずに人を傷つけてしまう人の場合は「あ!俺はこんな無神経なバカと付き合っていたのかバカと付き合っていた自分がバカだった」と思います。

gaitu
質問者

お礼

そうなんです、そう思うんです・・・ でも憎んでしまうんです やはりバカなのでしょうね・・・ とほほ

noname#210533
noname#210533
回答No.3

いいじゃないですか、それで。 人間に限らず、酷い目に合わされれば 相手のことを憎悪します。 それは、生き物が持っている能力ですから。 外の脅威から身を守ることを学習する機能が きちんと動けば自然に憎悪や嫌悪の感情は 生まれます。 問題なのは、頭でっかちに憎むのは悪いこと、 だから許して愛するのが正しいこと、と誰かが 言った言葉をちゃんと考えもせずに、金科玉条にして、 その実、自分はこんなに人間性が高いんだと周囲に アピールするために「明るくポジティブな私」という 仮面をかぶったりすることです。 仮面は、それをかぶり続けると知らず知らずのうちに その面に支配されるようになります。 高い人間性になるのではなく、高い人間なのだと 盲目的に信じ込むようになり、自らを省みない 頑なさや傲慢さを帯びるようになってしまいがち。 自分が何故、怒っているのかをきちんと捕えて 相手の非だけでなく、自分の非も冷静に理解できて、 なおかつ、恨みをコントロールしてだらけそうになる 自分にカツを入れるエネルギーにする。 例えばそのように、憎悪は愛情より遥かに即効性のある エネルギーとして働きます。 時々、憎しみは何も生まない、という人がいますが、 それは自分で深く暗い事を考えるのが苦手な人々が、 沢山の人に手渡そうとするバトンのようなものです。 それは、違う。 憎しみは、愛以上に、全てを産み出すのです。 技術も、金も、社会も、人間の成長や幸福さえ、 造りだす原動力にもなるのです。 勿論、破壊にも使われる。 丁度、原子力と同じように、緩やかに制御すれば 莫大な電力を安定して供給するけれど、核兵器と して使えば都市を焼き尽くす地獄の炎にもなる。 それでも、核物質そのものに善も悪もありません。 ただ、途方もないエネルギーだ、というだけです。 憎悪は生き物の自然な営みの一つ。 ただ、それを自分が持つ生命のエネルギーの一つとして 操れるかどうか、その力に呑み込まれずに使いこなす ことが出来るかどうか、そのように考える方が人として 自然だし、健全だと思います。 汚いもの、見たくないモノにフタをしてなかったことに するような考え方は、所詮、欺瞞です。 あるものは、あるのだから。 あなたは、憎悪と言う荒馬を乗りこなせるように 自分を深く見つめ、それを通して他人を深く理解できるように 成長なされば良いのだと、私は思うのです。

gaitu
質問者

お礼

憎悪を受け入れるのですか・・・ まだ私には方法が分かりません・・・

回答No.2

こんばんわ。 お気持ちが、凄~くわかりますよ! 私も職場で、いつもイライラメラメラしています から。 ただ、自分が諦め、許さなければ、自分だけが 損をして、ストレスが溜まるだけですから、もう許すように しています。 まぁ許すといっても、私の場合は、その方とは、極力距離を 取り、自分の意識の外に置いて、いない人と思うようにしてい ます。 万が一、何かで関わるようでしたら、心で、「この人~だから しかたない」とか「この人は~だから、相手にしないとか」っと 思うようにしています。 別に許さなくとも、相手にせず、相手にしても、あまり、その方の ことを考えないことが一番良いかと思います。 まぁこの世のいろいろな人がいますから、嫌な人に会った時は、極力 近づかず、考えないようにしてください。

gaitu
質問者

お礼

そうですね それが良いかもですね 時間の無駄ですもんね

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