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愛する人を幾人も持ち得る場合

愛する人を幾人も持ち得る場合、しかもみんな真剣である場合、 たとへば甲の人に感じ得ぬ美点を乙のものが持つ場合の心持、 そうした人間の心持は許せるものであるか?

みんなの回答

  • usamr
  • ベストアンサー率21% (110/521)
回答No.5

たしかにNo.4さんの仰るように、相手の理解あってこそ成り立つ関係かもしれませんね。 全てが許せるのは愛あるゆえ…逆に愛あるからこその嫉妬ということもありますか。 多情な方および、そういう人間に魅力を感じるといった人の精神構造はやはり理解しがたいものがあります。  

noname#152554
noname#152554
回答No.4

>そうした人間の心持は許せるものであるか? ↑ 「許せない人」もいれば、「許せる人」もいるでしょう。 >愛する人を幾人も持ち、しかもみんな「真剣な愛」 ↑ と、これだけ読めば「美しい文章」にも映ります。 しかし、「相手の理解が有ってこそ」でしょう? (^^; 理解が得られなければ、「確実に修羅場」と化すと思いますが・・・。

  • usamr
  • ベストアンサー率21% (110/521)
回答No.3

多情な方は、なにかと大変でいらっしゃるのですねぇ。 凡人には理解できない境地でございます。 あれもこれもは、むしろお子ちゃまの心理と言えるかと・・・

noname#89428
質問者

お礼

ありがとうございます。 与謝野晶子さんの言葉にありまして、私もどうなのかなぁと 思い、そのまま質問いたしました。 与謝野晶子さんは、多情な方でした。 ありがとうございました。

noname#140423
noname#140423
回答No.2

甲と乙にも許し賜れよ。 そして丙の病気も承れ。

noname#89428
質問者

お礼

なるほど ありがとうございました。

noname#142920
noname#142920
回答No.1

その心持は、分かる人には分かりますが、分からない人は許せません。 また、自分がこのときこの人には許せた場合でも、他のとき他の人には許せないこともあると思います。 叶恭子さんは、これが分かる人だと思いますよ。

noname#89428
質問者

お礼

”自分がこのときこの人には許せた場合でも、他のとき他の人には許せないこともある” そうですね! 納得です。 ありがとうございました。

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