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朝鮮の独立協会が建てた独立門についての学術論文
- 韓国の独立門は、日本が清に朝鮮の自主独立を認めさせたことを記念して建立された。
- 独立協会が自ら「清の冊封体制からの独立を記念した」という意図で建立した資料は少ない。
- 朝鮮語以外でも翻訳可能な資料があれば、ネット上で公開されているものが望ましい。
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↓ではダメなのでしょうか。 (朝鮮 独立門 協会で検索すると1ページ目に出てきます) 【近代朝鮮におけるナショナリズムと「シンボル」の機能に関する一考察】 独立協会の活動と独立門をめぐって(1896 1899)金容賛 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/ras/04_publications/ria_ja/36_09.pdf 4p:日清戦争の終戦とともに結ばれた日清講和条約(1895年4月17日)では、「大淸國確認大朝鮮國係獨立自主之邦」17)と明記され、朝鮮が完全なる独立自主の国であることを明確にする契機となった。 それに伴って1895年6月2日、国王高宗は、朝鮮全国の「臣民」に対して独立の喜びを分かち合えるよう、独立慶祝日を定めることを命じたのである18)。 5~6p この建設の目的について、「朝鮮が何年も清国の属国であったが、神様の恩恵で独立され、朝鮮大君主陛下が今は世界の首脳と同等な立場となり、朝鮮人民が世界にまたがる自由な人になったがゆえに、このようなめでたいことを無視するのは道理ではない。 朝鮮が独立したことを世界に知らせ、また朝鮮の後生に、この時から朝鮮が永遠に独立したことを伝えるためにも表迹(表象)が必要であり、また朝鮮人民が養生するには新鮮な空気を吸い、景色が良く静かな場所で運動をすべきである。慕華館に新しく独立門を建て、その周辺を公園にして千秋万歳自主独立した公園であると伝える志である」28)と、独立新聞は報じている。 また、独立門が意味する「独立」については、中国だけではなく、日本、ロシア、ヨーロッパ諸国の影響圏から独立することであると記してある29)。 徐載弼は、独立門の定礎式での演説を通じて、独立門を支えることとなる複数の石に例えて「国も大小人民が各自職務を尽くすことによって国が永久に独立となる」30)と、「独立」を実現する方法として政府と民間の協力が重要であると強調したのである。 これらの記事をまとめると、独立門に刻み込まれた「独立」とは、単に特定の国からの「独立」を記念するものではなく、周辺国から自立して国王が他国の首脳と対等な立場となったがゆえに、これを契機にして、自力で「独立」を達成していくという「自主独立」を意味するものとなったと考えられるのである31)。 したがって、独立門が記念する「独立」とは、「対象」よりも「目的」を表すものであったと言うことができよう。 その「自主独立」を達成するためにも、徐載弼は、人々を一国の国民として啓蒙しようとする彼の帰国目的を独立門の建設に付与したと考えられる。 ↑中の独立協会は、徐載弼と政府官僚が中心となって結成したものであり、 独立新聞は、徐載弼が発刊した新聞社です。 その後、失政と政争で破綻した朝鮮は、日本に併合を要請してきましたが。
お礼
どうもありがとうございます。韓国語版ウイキペディアの「独立門」のページに「朝鮮が清の冊封体制から独立したことを象徴するために」という一文を書き加えるために悪戦苦闘しておりました。ハングルが全く読めないのに編集するという暴挙を冒しましたが今のところ目立った反論はない模様です。一人噛み付いて来ましたが(^_^;) http://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8F%85%EB%A6%BD%EB%AC%B8
補足
ありがとうございます! その資料はさらっと読み飛ばしていましたが、徐載弼=独立新聞=独立協会と考えればいいのですね。助かります。