- ベストアンサー
上野発の夜行列車
上野発の夜行列車は津軽行きである そこには冬景色が待っている 北へ向かう人の群れは無口である ・ ・ ・ ・ ・ 津軽という本州最北端 さいはての地 心の旅といえば 北 雪国 これって 九州の人まで含めた心情なんだろうか? 博多発の夜行列車は・・?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
全然答えになってませんが、今から30年くらい前の話です。 当時自分は神奈川県におり、夏の蒸し熱さに辟易して、突然ふるさと北海道に逃げ帰ろうと、思い立った時があります。 ところが貧乏だった。北海道行きへの切符を買えるかどうかもわからない・・・。しかし几帳面ではなっかたので、近くのスーパーで買い物をしたお釣りを、机の引き出しの中へぞんざいに投げ入れていた。 ・・・この貯金を使えば、もしかすると切符を買えるのでは?。そう思い立って机の引き出しを開けてみると、無数の10円玉と1円玉が、目の前に現れた。 1円玉100枚(100円)と、10円玉100枚(1000円)を丁寧に重ね、ガムテープで側面を固定して筒にし、それらをカバンに詰め、自分は上野駅に行きました。 「これで切符は買えますか?」。そう自信なさそうに言って、ガムテープで固定した小銭の束を切符売り場のおじさんの前に投げ出した時の、その自信のなさと言ったら、泣きそうなほどだった。例えば(当時の)東京駅では、こんな事は絶対に出来ないとわかっていたから・・・。 「いいですよ(^^)」と言った、そのおじさんの優しい目と言ったら、泣きそうなほどだった・・・。上野は優しいなと思った。 そのおじさんは、手練の早業でガムテープの束を分解し、手練の早業で数え上げて切符を渡してくれた。当時でも上野から札幌までは、1万円以上したと思う。たぶん当時は、そんな奴らばっかりだったのだろう。 12時か13時発の上野発の急行、「八甲田」に載って「ピー」という汽笛を聞いた時、マジで泣いてしまった。おじさんがくれた、たった一枚の切符を握りしめ・・・。 それから12時間ほど「八甲田」に揺られ、青森に着いたのは午前0時くらい。当時青函トンネルはなかったので、青函連絡船の始発の連絡待ちで、4時間ほど待合室で座る・・・。仮眠場所など当然あるわけもない。 早朝4時に青函連絡船に乗り、また4時間かけて函館へ。函館でさらに1時間の急行待ちをし、6時間かけて札幌へ。おじさんのくれた、たった一枚の切符を握りしめながら・・・。 当時は、そんな時代でした(^^;)。
その他の回答 (4)
NO.4 です。 なるほど。 多少強引なところはありますが、まあ、納得です。 モノトーンへの回帰、やすらぎ、自由への旅 そうかもしれません。 敗北とか、絶望とか、そういったものは、上野駅で持っているもので、いったん北帰行がはじまったらそんなものはすっかりなくなってしまっている、上野駅に置き捨てて、脱皮して、軽くなって旅立つ、そういうことかもしれませんね。単純化というのはある意味救いなのですから、北へ帰るのは母の胎内へ戻る、幼児化つーか救われるためでしょう。冬景色は悪いものではありません。複雑な豊穣を捨てて素っ裸になって白い、美しい氷点へ戻る、原点へ戻るということでもあります。まあ、貧乏は仕方ありません。人間はもともと赤貧から始まったのですから。原点というのは最高の自由の地ですしね。
お礼
ありがとうございます。 ちょっと強引でしたか・・・(笑) でしょうね まあ 基本的にはそうしたものもある、という事で了解願えればと思います。 実際に 津軽海峡冬景色を聞き直してみると 実にメロディといい、歌詞もいい 石川さゆりの歌もいいが、ギター演奏なんかもいいと思います。 日本人の情感に訴えてくる、といいますか 何となくぐっときますね。 上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪のなか・・ 待っている世界は自由で広く さみしいところ といった感じ 過去へ戻ろうとしても 戻りきれないというもどかしさ ここには 現在から過去への心の旅が描かれているように思います その風景は鮮やかな世界から、静かな世界へとつづいているようです。 >美しい氷点 なるほどです。
>上野発の夜行列車 基本的に都落ちの感覚です。 >そこには冬景色が待っている 北へ向かう人の群れは無口である 夏にたつときも待っているのは観念的な冬景色です。 >津軽という本州最北端 さいはての地 そういうことです。そこが北であっったのは単なる偶然です。ともかく賑わいから荒地へ、勝ち組から敗北へ、豊穣から赤貧へ、過密から過疎へ、饒舌から閑暇な無音へ、希望から絶望へという多分に観念的な心情だと思われます。もちろん、ですから東北人だけに限ったことではありませんが、東北人をここになぞらえていることには意味があると思われます。東北人は北海道原住民(そして琉球人)を除いて最後に日本人になった種族です。彼らの怨念が篭もっているともいえます。大河ドラマでも繰り返されています。140年ほど前にも彼らの末裔が大虐殺されたという事実もありますし。 >これって 九州の人まで含めた心情なんだろうか? 日本人のひとつの典型的な心の景色なのだと思います。ただ、基本的に東京を中心としたものです。東京から離れることが基本です。 >博多発の夜行列車は・・? 無関係です。
お礼
ありがとうございます。 >夏にたつときも待っているのは観念的な冬景色です。 そうなんです 津軽海峡は いつも冬景色 波荒く暗い海 さいはての海・・ とまあ 心の風景にちがいない じゃ 何の風景なんだろう ということで思いめぐらしてみました 補足にて書こうと思っていましたが ここで書きます 以下、雑感・・ 風景の記憶 富士山をはじめ日本には美しい風景が数多くあります。 昔、新日本紀行という番組があって、それらの美しい風景と、そこに住む人達の姿を紹介していました。 まあ、TVを通して旅をするという形で、日本のあちこちに行ってみるという内容でした。 今思い返してみると、何となくですが その頃には、すでにカラーTVが普及していて実際に近い映像だったと思うのですが どうも色彩感があったようには思い出せない TVの画面上に色彩はあっても、そのまま受け取ってはいないような気がするのです。 もしかすると 今現在の、実際に見ている風景のみだけがカラーであって 記憶の中ではモノクロになっているのかもしれない そんな気もします。 夢をモノクロで見るというのも、そうしたところからきているのかもしれません。 風景の記憶が、最小限の色彩感によって構成されているとすれば やはりモノクロになっているのかもしれない 白と黒、明暗という情報処理の認識があるのかもしれません。 思い出そうとする時、そこに色彩という着色を施す作業を、半ば無理に行っている感じすらします。 風景の実像はカラーには違いないが、記憶としてはモノクロになっているのかもしれないという気がするのです。 そうした事を考えてゆくと 記憶の中で 時間軸と共に、過去にゆくに従って、風景の情報の色彩感は薄れ、モノクロの度合いが増してゆく 或いは、明暗の認識になってゆく ような気がします。 別な見方をすれば、単純化されていく、といってもいいかもしれません。 心理的に見れば そこには、煩わしさがない、一種の解放感みたいなものがあるように思います。 色彩の数の度合いを減らしてゆけば、心の解放感が増すという この事は、写真をやっている方もモノクロについて同様な事を言っていますから、当たっているかもしれません。 北へ行く、行きたいという心情は、そういった心理からきているのかもしれない 色彩感のない世界への旅、心の自由への旅 といった感じなんでしょうかね・・ 美しいといわれる日本の風景で、モノクロ的、明暗の美しさを伴っていない風景はないようにも思います。 そこには心の自由さがあり、歌にも詠まれてきた・・ そんなふうにも思います。 北への旅は、静かなモノトーンの世界への旅・・ 段々そんな感じがしてきました。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
友人のフランス人もそういう心情だそうですから、九州の人はもちろん、フィリピンの人も、コンガの人もそういう心情であることは間違いないでしょう。 博多発の夜行列車 ムーンライト 新大阪行き です。 そこには新幹線が待っています。 新大阪から都へ向かう人の群れはおしゃべりに違いない。 特に大阪のおばちゃんはうるさい。
お礼
ありがとうございます。 やっぱり外国人でもそうでしたか 九州の人もそうなんでしょうね。 仮定ですが 南半球の人達は、北半球の人達と反対ではないのか といったことが考えられると思います。 南半球の人達にとっては、北ではなく南こそが、最果てを目指すイメージを持っているのかもしれない 日本と同じくらいの緯度で、正反対の南緯の地だったら、そうした感覚が強いかもしれない などと思ってしまいます。 そのへんを調べてみるのも面白いかもしれませんね。 あと 北へ向かう心情といいますか 荒涼とした中での自由さ、みたいな感じがあると思います。 色彩感のすくない風景から得る心の自由のようなものです。 都が華美な色彩にいろどられた世界だとすれば その反対の田舎や辺境の地への憧れもあるといった感じです。 そこには一種の解放感を求める心があるようにも思います。 >博多発の夜行列車 ムーンライト 新大阪行き です。 ムーンライトとはお洒落な名前ですね どんな夢を見るのでしょう 人はいろんな夢をみます 賑やかな夢 静かな夢・・ 大阪や東京へ行く夢は きっと賑やかな夢なんでしょう おしゃべりな人の群れも賑やかな夢の一部・・ そんな感じでしょうか。
- mesenfants
- ベストアンサー率31% (43/136)
思いつきのたぐいですが―― 日本列島は大文字のローマ字「L」を左右反対にした形に近いと思います。 北海道から見れば、九州、中国・四国・近畿・東海・関東まで横並びで、 東北が垂直に屹立しているわけです。 夏の暑さ、冬の寒さなど、九州も東京も同じようなものです(北海道から見れば)。 そこで―― 「上野」から垂直に北上することの孤絶性が出てくるように思われます。 博多から神戸へ、という名歌もありますが、あれはどうしても私的な「男と女」的な、性愛的な含意になるようです。 ――さらに、日本民族もかつて大昔、北へ向かって移動した記憶があり、 東北から、東京へ出るのは、いわば「戻る」ことであり(移住に失敗したことであり)、 そかから東北へ帰るのは二重に失敗したことを意味するようです。 九州や関西から東京へ出てくる心情は、以上とはまた違うものがあるでしょう。 (東京で東北弁はあまり聞きませんが、関西弁はよく聞きます) また、北海道から見れば、「内地」はみな同じで、どこかエキゾティックでさえあります。
お礼
ありがとうございました。 >「上野」から垂直に北上することの孤絶性が出てくるように思われます。 おくのほそ道 みたいな感じなんでしょうかね・・ >どこかエキゾティック なんでしょうかね・・
補足
博多発の夜行列車に 自分が乗ったら こんな感じかな・・ 博多発の夜行列車 降りたときから 東京駅は 人のなか ビルの谷間 ゆきかう人の群れは無口で たそがれせまる有楽町 私も一人 居酒屋でコップ酒 ニ杯飲んで 三杯目は財布をみる ああああ・・ ここは東京の ど真ん中 ごらんあれが二重橋 記念写真を いつかは母と撮りたいな 東京タワーや浅草も見せたいな いつかは いつかと まだ遠い 私は一人で 四畳半のかごに住み こごえそうな 油もないストーブはつけず ああああ・・ 八百八町の古アパート ごらんあれがジャイアントパンダ 熊猫と書く 見知らぬ親子が指をさす ペンギンもいれば サメもいる きっとどこかに はるかなスカイツリーは電波塔 さよなら あなた 私は帰ります ちょっとだけディズニーランド寄っていきます ああああ・・ ミッキーと白雪 大花火 さよなら あなた 私は帰ります 風の音が胸をゆする お台場の ああああ・・ なんで振り向く パグの顔 (お粗末でした )
お礼
いい話ありがとうございました。 北海道がふるさとでしたら、行きたくなるのも自然ですね むしょうに行くたくなる という気持ち なんとなく分かります コンクリートジャングルはもういい といった感じだったのでしょうか ちょっと切ない感じもしました 石川さゆりの歌は やっぱりお好きなんでしょうね・・
補足
答えにはなっていないと仰るが 別な 津軽海峡冬景色を聞いたような感じがします。 心の絵をありがとうございました。 小さな詩を書いて終わりにしたいと思います。 皆さんありがとうございました。 次々に思い浮かぶシーン 二度と戻らない風景は 自分がそこに居たという記憶 切ないほどに積もって今がある 振り返って 手に取る写真は色褪せて 残っている光と影 回想は淋しい 早めくりしても しなくてもいいという自由 せめてきれいに彩ってあげよう すべては一度だったから 拙い絵筆で ほんのすこし色をつけてあげよう