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日本赤軍
日本赤軍(国際指名手配)とは何のために発足されたのでしょうか 詳細が書いてあったサイトが削除されており、Wikipediaにもあまり詳しい理由が書いてないので
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日本赤軍というのは共産主義者同盟赤軍派から生まれました。 つまり母体は共産主義社同盟(通称ブント)です。 日本赤軍について調べようと思ったらまず「共産主義者同盟」から調べて それから「赤軍派」最後に「日本赤軍」の順序で調べて行く必要があります。 こういう順序でWikipedia で調べればかなり詳しくわかってきます。 ここで詳しく書いていくとすごく長くなってしまいますから ごくごく簡単に書いてみます。 まず戦後共産党(今の共産党)は一時期非合法の暴力革命路線を走ったんですが、 うまくいかず穏健路線に路線変更。 そんな共産党に失望した革命主義者は共産主義者同盟を結成し共産主義革命を目指して 60年安保闘争を戦いますが結局失敗して分裂します。 その中には暴力革命路線を主張する一派もありました。 やがて70年安保闘争が始まり 共産主義者同盟はいろんな考え方の各派が合流することで再結成されますが、 その時日本赤軍の母体グループは暴力革命路線を主張する赤軍派として姿を現します。 このころ赤軍派は世界的な革命運動との共闘路線をとるべきだという考えを持っていました。 結局70年安保でも革命を起こすことはできず共産主義者同盟はまたも分裂してしまいます。 赤軍派はその後も暴力革命路線をあきらめず、次々と資金強奪事件や武器強奪事件を起こし 軍事訓練を行うのですが、これまた次々と検挙されてしまいます。 そういう状況で、これではダメだ。早急に外国の革命勢力との共闘で世界的な革命運動を 起こさなければ勝てないという考えが強く出されることになり 一部のメンバーはハイジャック事件を起こして北朝鮮へ出ていきます。 北朝鮮へ行ったメンバー以外にも重信房子を中心とするグループは海外へ密出国し 中近東のパレスチナ系の武装勢力と接近します。 国内に残ったメンバーは他の暴力革命組織と合流して連合赤軍を結成。内ゲバ事件や あさま山荘事件を起こしますが、結局壊滅してしまいます。 海外へ出ていった重信房子を中心とする一派はやがて日本赤軍と名乗り テルアビブ空港乱射事件などを起こしながら革命を目指して暴力革命闘争を続けたのですが メンバーも歳をとり、資金の流れも細くなってついに解散しました。 要するに日本国内で革命路線をとっても共産主義暴力革命は成就しないから 海外に拠点を築き、海外の反米暴力革命組織と共闘して 世界的な暴力革命の流れを作ろうとした訳です。
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