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「ラベンダーは青い」の一節について…
マザー・グースの「ラベンダーは青い」の一節について、 お尋ねします。(地方によって、いろんなバージョンが あるようですが…) "Some to the plow, dilly, dilly, Some to the fork" ここは、 「あるものには、鋤仕事をさせ、ディリディリ あるものには、鍬仕事をさせよう」 といった訳でよいでしょうか。 私としては、鍬仕事も、鋤仕事も同じ畑仕事 なのだから、いまいち、しっくりこないのですが...。 なお、この「ラベンダーは青い」の全歌詞を 下に、書いておきますね。 『Lavender's blue』 Lavender's blue, dilly dilly, Lavender's green; When I am king, dilly, dilly, You shall be queen. Who told you so, dilly dilly, Who told you so? It was my own heart, dilly dilly, That told me so. Call up your men, dilly, dilly, Set them to work; Some to the plow, dilly, dilly, Some to the fork. Some to make hay, dilly, dilly, Some to cut corn; While you and I, dilly, dilly, Keep ourselves warm. です。
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- oignies
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回答3の説明をよんだうえで語学のプロとして訳語をえらばせてもらうなら あるものは、鋤につかせよ あるものには、鍬をもたせよ がよいのではないでしょうか。 もしくは、 鋤につくものに 鍬をもつもの と訳すのが賢明と思います。 (あるものを日本語にしない)
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
plow と fork には下記のような相違があります。 1. plough(イギリス綴り) plow (アメリカ綴り)は、語源的には1対の牛が一日に耕す面積、で、下記の上の図のようにもともと牛が引く農具です。 http://www.learnersdictionary.com/search/plow%5B1%5D 2. fork の形では、現在は食事の道具に使われ、農具は、下記のような pitchfork です。 https://www.google.com/search?q=pitchfork&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:en-US:official&client=firefox-a#client=firefox-a&hs=0L7&rls=org.mozilla:en-US:official&q=pitchfork+picture&revid=1310215915&sa=X&ei=14i-UZfuGMfUqAHZiYCACQ&ved=0CG8Q1QIoAA&bav=on.2,or.r_qf.&bvm=bv.47883778,d.aWM&fp=c56df5e37c0fd5df&biw=1920&bih=880 3。私としては、鍬仕事も、鋤仕事も同じ畑仕事なのだから、いまいち、しっくりこないのですが...。 と言うことですが 1 は牛が土を掘り返すために使う農具、2 は人間が干し草を運ぶ道具、なので、農作業の伝統が異なる日本の文化で、訳語に「鋤」と「鍬」だけだと無理はあるでしょうが、 「あるものには、耕す仕事をさせ、ディリディリ あるものには、干し草を運ばせよう」 とでも区別すべきかと思います。
- drmuraberg
- ベストアンサー率71% (847/1183)
既によい回答が付いているようですが、一言。 鋤仕事と鍬仕事では浮かび上がる情景が全く違います。 鋤仕事は、牧草を集め干草を作る農作業。牧草地のイメージです。 鍬仕事は、土を掘り起こし農作物を作る作業。畑に芋でも植えるイメージです。 どちらも農作業(畑仕事)だから同じというのではこの差が消えてしまいます。 ちなみに鍬仕事は畑仕事と言いますが、鋤仕事は畑仕事とは言いません。 牧草地を牧草畑とは言わないからです。
- blackhill
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熊手通りすがりに質問が目に留まりました。昔、亡くなった母が地元のコーラスで歌っていたのを思い出します。 さて、フォークというのは食器のフォークと同じ形で、干し草などを突き刺して運ぶ農具のはずです。辞書には熊手とありますが、熊手(rake)は集める道具なので形状が違います。 次節の干し草を作るという表現は、もちろんフォークを受けているのでしょう。 たまたま見つかった訳詩を紹介します。 ラヴェンダーは青い ララ ラヴェンダーは緑 僕が王様なら ララ 君は女王さ 誰があなたに ララ そういったの? それは僕の ララ 心がいったのさ 家来たちを呼んで ララ 働かせなさい 鍬を使って ララ 熊手をふるって 干草を作り ララ 麦を脱穀し その間わたしたちは ララ 抱き合ってましょう ラヴェンダーは緑 ララ ラヴェンダーは青い 愛してくれるなら ララ 君を愛するよ 鳥たちは歌い ララ 羊は遊ぶ 僕たちは二人 ララ 安らかに暮らそう 踊るのが好きよ ララ 歌うのが好きよ わたしが女王なら ララ あなたは王様 誰が君に ララ そういったの? わたしだけの ララ 秘密の独り言
お礼
早々に、ご丁寧なご回答をいただき、誠にありがとうございます。 訳は、どなたが訳されたのか分かりませんが、上手に訳されて いらっしゃいますね。 でも、そうですか…。"fork" は「熊手」なのですか。 そして、「熊手」が次のスタンザの「干し草作り」を 受けているのですか。 "plow" "fork" の順番なのは、脚韻の関係なのでしょうね。