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一生懸命に生きて、死ぬこと。

こんにちは。 哲学と言うよりは、人生哲学の質問です。 私は、一生懸命生きることの勇気が持てないでいます。 しかしながら、日々を過ごす中で、或いはここで皆さんと話す内に、自分の消極性に気付き、このままではならないと思うようになりました。 単刀直入にお尋ねしますが、人生とは、如何に生くるべきでしょうか。 どうぞよろしくお願いします。

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回答No.23

>自由、ですか。なるほど。臨機応変にということでしょうか。 >或いは積極的な自由でしょうか。 「一生懸命生きることの勇気が持てない」 人は、勇気をもって積極的に一生懸命に生きるべきだ。 かろやかに生き生きと自由で楽しく、そして、みんなの幸せを望んで・・ こんな答えをお望みですか? 言葉が人生を変えることもある。けど、そんな時って、既に自分の内面に変化のエネルギーがあって、記号でしかない言葉が触媒になっているだけ。 「一生懸命生きることの勇気が持てない」ことを問題と感じた時点で既にあなたの答えは出ているじゃありませんか。  それは、それとして、どんな苦境に立っていてもどんな状況に追い込まれていても、誰もが、今までも「自由」だったし、今も「自由」だし、これからもずっと「自由」だってこと。こうして如何に生きるべきか道を尋ねることができる自由があるってこと。重要なのは生きるべき道よりもむしろ自由の方です。今のね。 一生懸命生きたがっているあなたのたった今の自由。  

noname#181644
質問者

お礼

やさしい御回答をありがとうこざいます。 勇気がもてました(^ω^)

その他の回答 (23)

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.13

そもそも一生懸命に生きる必要などありません。 確かに一生懸命生きている人はいますが、それは自分の設定した目標(志望校、男女交際、就職、家族を養う など)を達するのに一生懸命でないといけないから一生懸命生きているだけです。 むやみやたらに一生懸命生きようとすれば、その結果の満足度と労力の差によって虚無感に襲われるだけです。 人に限らず生物は押し並べて不精者です。 一生懸命やるのは追い詰めれて、イヤイヤするようなもんです。 一生懸命が美しいと言われているのは、あくまで建前です。

noname#181644
質問者

お礼

なるほど、自分の立てた目標に急かされるようでは本末転倒ですよね。勉強になりました。ありがとうございました。

noname#181697
noname#181697
回答No.12

単に自分らしく生きれば良いだけの話ですよ。まあ、それなりに知恵と勇気が必要ですけど。 人間というのは弱いもので、中途半端に妥協したり、何かにつけて自分に言い訳したり、誤魔化したりするものです。つまり、楽な方へ、楽な方へと転がっていってしまうんですね。 結局、人生というのは、自分との戦いなのですよ。テメェを曲げるというのは、自分らしい人生を捨てるという事だと考えて、踏ん張るしか無いんじゃないですかね。

noname#181644
質問者

お礼

素朴ですが芯の通るご意見でした。ありがとうございます。 自分を曲げず、愚直にやるところもあっていいと思いました。

回答No.11

誕生たか転生だか、生まれてきたという現象の自分の任務を生きていくことにしています。

noname#181644
質問者

お礼

どうして生まれ、死ぬのか、その答えは定かではないが、こうすればいいのでは、といったような答えが、最近見つかってきている気がします。 貴重なご意見、ありがとうございました。

回答No.10

 こんにちは。  うきよとんぼさんのご見解に賛成するところがあります。  別様に言うとすれば:  ★ 人生とは、如何に生くるべきでしょうか。  ☆ と問うてみたとき その《人生》とは だれのでしょうか? と問い返すのが 答えになるかと考えます。  人びと一般の人生について 語れというのでしょうか?  そうではないはずです。  自分自身の人生です。  人生をおのれの人生とすることが まづとっぱじめの課題ではないでしょうか。  れいんとーくさんは 人びとの気持ちをおもんぱかって 自分をおしころしていますか?  わたしのようにまでとは言いませんが もっと自己チューになってみてください。

noname#181644
質問者

お礼

自己中心的に生きてみるですか。思いもよらない回答ですが、案外効果がある気がします。 ご回答ありがとうございました。

回答No.9

人生は必ず死で終わる。 自分自身の権力や物質的な豊かさのために生きる限り、必ず敗北に尽きる。 社会生命(互いに助け合って生きている)としての自覚化により、人と競ったりお金をもらうためにイヤイヤ働かされるのではなく、自律的に社会行動(他我=愛による)をとる。 それによって、肉体の有限性、死による限界を超えて、(人との信頼の限りにおいて)無限の宇宙、永遠の未来における達成が信じられ、最大充足は果たされる。

noname#181644
質問者

お礼

私はきっと、愛の少ない人間です。 しかしながら、おっしゃるように、愛とまではいかなくとも、意欲持って仕事ができるよう、やって見たいと思いました。 ご回答ありがとうございました。

回答No.8

>人生とは、如何に生くるべきでしょうか。 実は、自由に生きているという事実があるだけなんだけどな。 人生とは、如何に生きるべきか・・という問いは、自分で自分の首をしめていらっしゃる。それも自由。 人生はこう生きるべきであるという何かがあるはずだとか、自分はこう生きるべきだとかいう幻想を自分で作り出して、自分の自由を放棄するという自由。 あなたが初めからそうしているように好きなように生きていい。 如何に生きるべきかを問うてもいい。

noname#181644
質問者

お礼

自由、ですか。なるほど。臨機応変にということでしょうか。 或いは積極的な自由でしょうか。 何処か勢いのある回答でした。ありがとうございました。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.7

>私は、一生懸命生きることの勇気が持てないでいます。 しかしながら、日々を過ごす中で、或いはここで皆さんと話す内に、自分の消極性に気付き、このままではならないと思うようになりました。 自身の話をしますね。 私自身は一生懸命生きているわけではないのですが、傍からみれば一生懸命といか なにが楽しくて生きているのかと思われているようです。 正直なところ、能力的に何もできないので、生活上の必要性に従ってましな技能を 磨いているだけです。 また、何十年後に死ぬという現実から逆算し、必要な行動をそこに埋めていけば 有意義でない行動はしたくないと自然に思います。 一生懸命生きるというか、現実を直視すれば、そう生きざる得ない。

noname#181644
質問者

お礼

現実を直視すれば、、と言うことですが、尤もだと私も思います。現実的にどうして居られるかということが大事と思うようになりました。 難しいですが、頑張って見たいと思います。 ご回答ありがとうございました。

回答No.6

こう生きるべきという正解はありません。 人生いろいろ、人それぞれのやり方で 社会に適応しようとしています。 これこそという確実なものを見つけて 心の支えにしたい 気持ちはわかりますが、絶対的なものはありません。 確実なものが何もないという不安に耐える 覚悟はいります。

noname#181644
質問者

お礼

共感いただき嬉しいです。 何か、目の前のことを一生懸命にすれば、道ができる、そんな気がして質問いたしました。 確実なものは何もない、そうだからこそ、頑張りたい、そんな気持ちでいます。 ご回答ありがとうございました。

回答No.5

哲学と人生哲学は如何違うのですか??? 哲学とは人生を論じる事です 昨日を思わない 今日を考えない 明日を願わない そう言う生き方が貴方を幸せにする事でしょう 人生は一生懸命生きたから良い 消極的だからダメというものではありません 貴方が生きたい様に生きれば それが貴方の幸せです 貴方は貴方自身をその主人として生きればそれで良いのですよ

noname#181644
質問者

お礼

ニュートラルな御回答ありがとうございます。 自分の考えよりも大きな回答をいただいたと感じています。 私は糞真面目になることがあるので、いい薬かと思いました。

  • fuku15154
  • ベストアンサー率14% (96/643)
回答No.4

難しいですよね… 私はなんで生きて、なんで死ななきゃならないのだろう…と不思議だし、納得できないし、何より死ぬのが嫌です。つらいなぁ… 楽しく、周りを幸せに、一生懸命に…とも思いますが…なんでかなぁ…とも思います。

noname#181644
質問者

お礼

こんばんは。 私は今、何でかなあ、、よりも、努力して進むことを良しとしています。 私は、特別な同級生を震災で亡くして居るのですが、その人もきっと、それで合っていると、言ってくれるような気がしています。 何でかなと問うことも大切なことだと思うし、きっと答えが見つかるとおもいます。なんでかなの答えが、人生を新たに始めることなのかもしれないと思いました。 ご回答ありがとうございます。

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