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苗字と名前の間に「の」つくのはなぜ?
源の義経とか、藤原の鎌足など、苗字と名前の間に「の」がつくのはなぜですか?北条時宗とか、九条兼実は、つかないのはなぜですか?それともう一つ質問ですが、源義経の長い名前(正式名称?というのでしょうか。)を教えていただきたいのですが。。ふと、疑問に思ってしまいました。よろしくお願いします。
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>あと、八色の姓についてお聞きしたかったですが、、、、、、 八色の姓の時代のことは、よく知りませんが、朝臣・真人・・・といった姓(カバネ)は、平安時代以降は形骸化していて、公文書などで姓(セイ)とセットで用いられる修飾語みたいなものになっています。苗字の発生などには関係ないでしょう。 >角田先生は、平安研究のことをされている方ということは、存じています。 でも、考古学も北欧史も、研究なさってるんですよね。よくわからない方です。
>近代の国文学者が勝手につくったのですか あまり自信は持てないのですが、基本的にはそうだと思います。 角田先生(文衛)によると、そもそも明治以前は、「姓+本名」(平時政)、「苗字+通称」(北条四郎)、「苗字+通称+本名」(北条四郎時政)、という書き方しかなく、「苗字+本名」(北条時政)は厳禁であったそうです。私としては「苗字+本名」も見かけるような気もしなくもないのですが、取りあえず角田先生の説に従っておきます。 しかし、現代、彼らに言及するには、先述の区別に従っておけばよいでしょう。ただ、男性で名前を音読みする時、姓でも「の」を付けずに発音する人は比較的多いように思えます。まあ、そこら辺は癖の問題でしょう。 >平安時代の定子(ていし)とか彰子(しょうし)などホントはさだこ?とかあきこ?だったのですか 本来は訓読みすべきでしょう。 ただ、訓読みの方法は沢山あり、本当は、なんて呼んだかわからないため音読みにしています。定子は「さだむこ」じゃないですかねぇ。 しかし、音読みにしても、有職読みというものがあって、式子内親王は漢音で「しょくし」と読むのが、伝統的です。彰子の院号は上東門院ですが、これも濁らず「しょうとうもんいん」と読みます。まあ、この辺はどうでもいいのですが。
お礼
ありがとうございました。角田先生は、平安研究のことをされている方ということは、存じています。あと、八色の姓についてお聞きしたかったですが、、、、、、 ありがとうございました。
下の方(tenten7さん)の参考URLのNo.4で答えているものです。 あそこでは、ややミスりイーディングな回答をしてしまい、補足しておきたかったのですが、締め切られてしまったので、ここで補足させていただきます。 >まず、「姓」と「苗字」「称号」を区別しましょう。間に「の」を挟むのが「姓」で、そうでないのが「苗字」「称号」です。 と、書きました。 確かに、この区別は本則です。従って、現代の辞典や歴史解説書の類ではこの区別は厳密に貫かれています。 しかし、実際の昔の資料には、「ホウジョウのナニガシ」や「タイラナニガシ」と書かれていることが、しなしばです。すなわち、この区別がどの程度通用するのかは疑問が残るところなのです。 その辺は、誤解のないようにお願いします。
補足
ありがとうございます。いろいろ勉強になりましたが、八色の姓(ちょっと違うかも、名称が。。)は、関係してるのですか?それとも近代の国文学者が勝手につくったのですか?平安時代の定子(ていし)とか彰子(しょうし)などホントはさだこ?とかあきこ?だったのですか??なんかよくわかんないです。質問とはずれてますがすみません。よかったら教えてください。
参考URLにて以前同じようなご質問に 詳しい回答が載せられていますよ。 北条時宗は平時宗(たいら の ときむね) 九条兼実は藤原兼実(ふじわら の かねざね)
- jj3desu
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源九郎義経です。 源義朝(みなもとのよしとも)の九男と言う意味ですね。 童名:牛若) 官職を入れて、源九郎判官義経とも言います。 ...の....は、ちょうど今「炎立つ」を読んでいるんですが「清原清衡」きよはらのきよひら のがないと変だな?なんて思いながら同じ疑問を持っていました。 正解が出るのを楽しみにしています。
お礼
ありがとうございました。大変に興味深いこととなりました。角田先生は日本史だけだとおもって、いましたがいろいろされているのですね。平安時代の辞書(名前を忘れてしまったので。。。。)は、すごくいろいろかかれていると思いました。 うらやましいです。。。。。。。