※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ゲノム科学と日本列島に棲息する人種の相違)
ゲノム科学と日本列島に棲息する人種の相違
このQ&Aのポイント
ゲノム科学とは、日本列島に棲息する人種の相違を研究する理系学問です。
日本人の形質は、北米大陸や華南地方、オーストラリア大陸、ミクロネシア諸島の原住民との混血が反映されていると思われます。
しかし、日本列島には古代中国やゲルマン化する以前のコーカソイド種が侵入していた痕跡は見つかっていません。
わたしは文系学部の卒業ですので、できれば東大・京大の理系卒業生などのゲノム科学に詳しい方にお尋ねしたいのですが、わたしの観察する処、日本人の形質は北米大陸の原住民や華南地方の稲作地域の原住民、さらにはオーストラリア大陸の原住民やミクロネシア諸島の原住民などの混血した姿を如実に示しているかと思うのですが、藤原清河や阿倍仲麻呂が仕えた唐の玄宗皇帝の時代には安禄山などというalexanderを音訳した如き胡族が中国史に顕れる点、ゲルマン化する以前のコーカソイド種が日本列島に侵入した形跡を現代の日本人の躯から発見する手立ては有り得ないものでしょうか?
ヘンリー5世の遺骸であるや否やをカナダ在住の後裔を以てDNA鑑定の治験に拠り真実性を主張する報道が在りましたが、中国・朝鮮や現代の日本人の殆んどと異なり極一部の"日本人"には家系を伝える古文献が存在しています。わたしは、必ずや三輪王朝を営んだ王室や主勢力が現代の皇室とは全く人種的起源を異にするグレコ・バクトリア王朝の遺民であったことを論証すべく研究を続けています。
日ユ同源論が見られる日本で、なるほど日本で観察される人の多くにドイツ語の名を称える米人の眼差しと酷似する様相を観察し得、西アジアに棲息したユダヤ族の後裔が多く日本列島に上陸した経緯を憶測し得るものがあります。戦後ドイツにおけるタブーや日本における偏見排除の非合理的な風潮が学問的な真実の発見を妨げていることは事実であり、わたしは日本列島において領域国家を形成し得た"人種"は"古典時代"のギリシア人より派した種であったと主張して憚ることはありません。
日本語を解する科学者はわたしの主張を嫌悪するようですが、わたしは日本列島で史上初めて王権を成立させた勢力はコーカソイドの人種であったことを主張して止まず、現代の日本列島に棲息する人間の躯から上の主張を支援する理科的主張を果たす人が日本列島には在り得ないのか質問を公開したいのです。
お礼
返事を遅らせて申し訳ありません。長らく系図学に埋没して、現代日本人社会からすっかり乖離してしまった自分ですが、出雲族の伝承がその祖神とされる須佐男命の称から山口県萩市内に所在する須佐湾との関連を想起させ、三輪王朝が日本列島に上陸した第一波と予想し、さらに第二波を河内王朝の主体的勢力と看做し、紀伊・有田郡下の阿テ川荘の称や同荘が日高郡を近くすることから、有田郡一帯に遺る日高見国伝説や、『常陸国風土記』に見られる紀チクコ命が開拓したとの伝承を見せる筑波郡をも日高見国と伝える記述、北上川流域に伝わる日高見国伝承から、アテルイの率いた蝦夷とは古王朝の遺民であったのではないかと憶測するのですが、天武天皇の後裔が即位した皇統が天智天皇の孫の皇統に復する光仁天皇の即位に尽力し、光仁―桓武父子の王朝にて左大臣を任じた藤原魚名の生母が片野朝臣なる謎めいた女性であったことや、桓武天皇の生母が大和乙継の娘という百済王朝の遺民との伝を遺す人物の子であったこと、桓武平氏の太祖と言える葛原親王の生母もまた多治比氏という河内・丹比(たじひ)郡を本拠とした古族を出自とし、系譜上で葛原親王と平高望との間に位置する高見王の称など、藤原魚名らが擁立した光仁天皇の子である桓武天皇の生母、子息らの血族を勘考すると妙に外来の民族の血統を尊重したかのような意図が推測され、桓武天皇が河内・安宿(あすかべ)郡に在地した飛鳥部奈止麻呂の娘である百済永継との間に生した良峯安世(藤原冬嗣に次ぐ史上二人目の蔵人頭)を生し、百済永継はその後に藤原内麻呂との間に日野家祖となる真夏と摂関家の高祖と言える冬嗣を生しており、藤原魚名の四男とされる藤成の後裔が東北の産金を支配した奥州藤原氏の祖とされ、魚名の三男からは院政期に顕れる四条家祖を派し、藤原冬嗣の六男の子とされる高藤の後裔が院政期に躍動する葉室家祖や戦国期に室町幕府政所代・蜷川氏や美濃守護代・斉藤氏と姻戚関係を重ね江戸時代には高藤の後裔において嫡流と看做される甘露寺家を派していることなど、日本史の裏面に伏在する名家の血統には特定の血統―古代王朝の血統を継承したような家が長く存続した史実を踏まえ、わたしは鎌倉時代から江戸時代に至る武家政治もまた同様に歴史の裏面で躍動した古代王朝の遺民の存在を憶測するのです。