• 締切済み

日本人は大陸から追い出されたって本当?

日本人は大陸から追い出されたって本当ですか?韓国の人がそんなことを言ってました。本当に確かな根拠がある話なんでしょうか? 白人はアフリカから追い出された者の子孫で、黄色人種はヨーロッパから追い出された子孫で日本人はさらに大陸を追い出された子孫というのは本当でしょうか? 私にはとても疑わしく聞こえるのですが。 それなら陸上動物は海を追い出され、鳥は地上を追い出され、東京にいる人は地方を追い出されたんでしょうか?さらなる発展のために新たな場所を求めたのではないでしょうか? 今みたいに地面を耕して土地に定住する生活じゃなくて獲物を狩って生活をしてるなら獲物が移動したなら追って移動するのは当然ですし、獲物がいないとこに残った者は獲物がいるとこから追い出されたとも言えるのではないでしょうか? この発想は土地を生活の基盤と考える現代の思い込みから出たものではないでしょうか? 今の繁栄の度合いを見ると移動した方がおおむね発展したり豊かな生活をしてるとこを考えて、移動しなかったのは移動から落ちこぼれた者なのではないでしょうか? 詳しい方教えてください。

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  • gib45
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回答No.9

no3です。 no6さんが指摘されたようですので、私からも迷いましたが補足しますね。 一般的(有名)なのは4,5万年前に大陸に移動。 1万年前に日本に上陸。 簡易農耕というのはこの説に合わせたものです。 ここからが問題ですが進化論の肯定、否定にて変化するので前回は 記載しなかったことです。 ウルム氷河期は8.5-1.5万年前程と言われてますね。 狩猟だけで人類が維持するには厳しく、農耕を試行錯誤したという考えです。 最古にて2万4千年前のイスラエル遺跡で大麦、1.4万年前の中国で栽培稲 1.2年前で栽培麦など発掘されてます。 寒冷期に試行錯誤したということですね。 この話題を出すと収集が難しくなるので前回では書きませんでした。 古代農作となると粟や豆などが一般的になるので大きく前提が変わります。 ここでややこしい話になりますがネアンデルタール人は知能がホモサピエンスと 遜色ないとの結論になってます。 3万年前前まで大陸はほぼネアンデルタール人がだったと。 早い話が進化論を肯定するか否定するかで大きく変わりますね。 つまり発掘された、今後発掘される遺跡がホモサピエンスかネアンデルタールの 者か人骨がセットで発掘されないと証明が困難ということです。 日本での最古の人骨化石が3万年前だと記憶してます。 最古の土器が9万年でしょうか。 質問者さんが10万年前と思ったのはこれからだと推測します。 2000年頃に日本の考古学者が土器を9万年前の地層に埋めて発見するという 偽装疑惑が話題になりました。 この学者以外が手掛けた以外に9万年前と主張されてる土器、遺跡はあります。 年代測定など疑問点もあるので3万年前のは疑問視されることが多いです。 北京原人、ジャワ原人が人ではないと否定されてます。 北京原人などは捏造だったと結論が出ていますね。 そうなるとネアンデルタールが最古の人類となります。 これが4,50万年前だったでしょうか。 近年のドイツでの発表で日本人にネアンデルタールの遺伝子が含まれてる との発表がありました。 すると日本人が最古で人類の祖先、またはホモサピエンスとネアンデルタールとの 子孫ということになります。下手すると日本が人類誕生の地という可能性も出ます。 こうなるともうグチャグチャですね。 なので日本の3万年前の日本上陸は否定的として書いておきます。 でないと進化論を含めて前提が歪んでしまうので。 ですが質問者さんのいう10万年前以前からいたというのも否定できません。 先に書いた9万年前遺跡が本当であれば北方から南下したのが先住でありますからね。 8.5万年前だったかな?。阿蘇の火山にて西日本側がほぼ死壊滅状態で人が住めなかった ことを含めれば東北などに別のルートの先住民族がいたということになりなりますからね。 こうなると現代の日本人の多数派の縄文人、弥生人から別の議論になります。 最終的に、現在ではどの説もはっきりと断定できないと追記しておきます。 ですが最初に書いたように「追い出された」のではなくどの仮説がたどり着いたと しても試行錯誤、探求によるものだと思いますよ。

noname#224207
noname#224207
回答No.8

No.6です お礼を頂戴しました。 お礼に追加のご質問等がありましたで説明させて頂きます。 >日本に人が来たのは10万年前の氷河期らしいです。 10万年前というのはホモサピエンスがアフリカを後にした時期です 日本へやってきたのは3万年~4万年前とされています。 当時はすでに日本列島は大陸から切り離されていました。 船に相当するもので渡海してきたと考えられています。 石器の原料である黒曜石は神津島が産地だったことが知られています。 つまり少なくても縄文時代の人達は黒潮を横切って神津島と往復できるだけの航海術を持っていたということです。 >野生動物と大差ない原始人に腐敗ってそんなに問題なんでしょうか? すでに野生動物とは異なる知能を有していました。 >貯蔵という概念は当時あったんでしょうか? 物を蓄えるという発想がなければ道具類を制作したり保有することはあり得ません。 当然食物も食べ残せば蓄えていたでしょう。 蓄えると言う発想がなければ土器などを制作する動機に至らなかったでしょう。 現在の人類は複数のヒト属の中から淘汰されて生き残ったものとされています。 メアンデルタール人などは現在の人類の祖先ではないと考えられています。 この淘汰の最大の要因と考えられているのが知能です。 原始人だから知能が低いとお考えになられると誤解が生じます。 >農耕や遊牧が効率的なのは確かですがそのころに遊牧なんてないと思います。氷河期じゃ農耕なんて大変だろうし 当初の説明にもお断りしたように畑作だけを農耕としていません。 人為的に特定の植物を植えるという行為も含んでいます。 三内丸山遺跡の栗などがその例です。 プラントオパールの研究からもアワなどの特定の植物を集落の周辺に植えていたことが知られています。 稲も現在の水稲ではなく陸稲であった可能性が指摘されています。 従来は縄文時代と弥生時代の区分に農耕の有無が目安とされていましたが、現在はこの区分が不適切であると考えられています。 考古学において栽培や農耕という言葉の定義を見直す必要があるとされています。 >石器を調べるとマンモスの群れを追って日本列島に入ってきたらしいです。 ??? 日本のマンモスの化石は北海道で発掘されています。 日本列島が大陸と地続きであった時代にも津軽海峡は存在していました。 北海道と本州の生態系が異なるのはこのためです。 ブラキストン線と呼ばれています。 マンモスが渡れない津軽海峡をマンモスを追って渡ると考えるのは無理があります。 いわゆるマンモスハンターと呼ばれる人達のことかと思いますが、本州で類似の生活をしていたと考えられているのは野尻湖周辺にいた人達です。 対象はマンモスではなくナウマンゾウです。 ただし、この野尻湖周辺の人達は定住していました。 他の地方へマンモスハンターとして拡散して行った形跡はありません。 日本人のルーツは北方系と南方系の二つがあったとされています。 鹿児島県にも青森の三内丸山遺跡に匹敵する上野原遺跡というのがあります。 いずれにしても渡海が必要です。 大型動物を追跡していただけでは拡散移動の動機にはなりません。 >アフリカで干ばつで草がなくなったら草食獣が移動してそれを追って肉食獣が移動します。気候が変動して今まで食べていた餌がなくなれば草食獣が移動してそれを狩る者が追うのは当然ではないでしょうか? このような動機で人類がアフリカを後にして各地へ拡散していったとは考えられていません。 人類が拡散していった動機については色々な説がありますが定説はありません。 人類というのは歯の形状から植物質を主とした雑食性の動物です。 人類の骨格からしても動物を追い回すのには不向きです。 動物性タンパク質源としては手近な小動物を捕獲していたと考えられています。 その一部がユーラシア大陸の北部へ移動した際にマンモスなどの大型の動物を捕獲していたと考えられています。 動物を追い回すのが主体ではなく豊富な食物を提供する森林を移動拡散して行ったと考えられています。 人類の拡散や日本人の起源については下記のサイトをご参照下さい。 参考 日本人の起源 www.geocities.jp/ikoh12/ 日本人の起源を多角的、総合的に考古学・人類学・民俗学・遺伝学・言語学・神話学・ 免疫学・農学・動物学などあらゆる分野の情報が掲載されています。 >遊牧民も家畜の草がなくなれば場所を変えますよね。 あてもなく彷徨する訳ではありません。 一定のエリア内を巡回します。 中近東の国々でパキスタン、アフガニスタン、タジキスタンなどという国名の末尾のーstanというのはこのエリアの意味です。 国境とか国家とは別な概念です。 縄張りといったような意味合いです。 蛇足 朝鮮半島では考古学の発達が極めて遅れていますが、現在までの発掘結果では、なぜか日本の縄文時代中期に相当する時代が空白になっています。 すでに中国大陸では高度な文明が始まっていたにも関わらず痕跡が見当たりません。 人々が暮らしていた痕跡が再び現れるのは日本の弥生時代以降です。 DNA鑑定でも朝鮮半島の人達と日本人は明らかに違うことが知られています。 逆に朝鮮半島の南部は海洋を自由往来する和人が沢山居住していたと考えられています。 朝鮮半島の人達の一部が日本列島へ移住したのは、古墳時代以降と考えられています。 当初のご質問の「追い出された云々」というのは古墳時代以降の渡来人のことを指すことになります。 有史以来朝鮮半島から仏教などが伝来して来てはいますが、韓国の人達が小中華思想に基づいて日本は韓国から行った人間が作った国だ、というのは相当に無理があるかと思います。

noname#220629
質問者

お礼

私の記憶違いでした。氷河期は20,000年前でした。 私の聞いた話ではシベリアの方からマンモスを追ってサハリンの方から歩いて入り、マンモスを食い尽くしたあとさらに食べ物を求めて南下したという話でした。 それを示すシベリアで使われた物と同じ石器が北海道から茨城県にかけて遺跡から見つかってるとのことです。 その後春秋時代の中国の方の人が南から船で入って、それと混ざったものが大雑把に今の日本人という話でした。 モンゴルでは貯蔵は知ってますけど、それは彼らに言わせれば怠け者らしいです。常に新鮮な牧草を見つけることが求められるそうです。 http://www.nobitown.com/dom021202.html 変化がなければ同じ場所を回ればいいですが、環境が変化したら別の場所に牧草を求めなければならないでしょう。 まあ韓国の人が言うことは確かな証拠がない限り無視することにします。 ありがとうございました。

noname#220629
質問者

補足

あと津軽海峡ですが、20000年前の氷河期には最寒冷期があり凍りつくことがあったそうです。

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.7

追い出されたの表現が日本人を蔑む意図で使われたのでは? 弥生人は大陸半島から日本に来た人です。 多くの韓国人は「百済の王子が戦争に負けて、逃げて日王(天皇)になった」と信じてます。 現実は逃げてきた多くの半島人を暖かく迎え入れたのが事実と思います。 義経がジンギスカンや琉球王になった話のレベルです。

noname#224207
noname#224207
回答No.6

お聞きになられた韓国の人の論点と質問者さんの論点と言いますか視点が多少ずれているかと思います。 韓国の人が言っているのは、日本へ渡ってきた渡来人と呼ばれる人達の話を拡大していわれているのかと思います。 有史以来朝鮮半島で王朝が滅ぼされた際に滅ぼされた王朝の一族が日本列島へ逃亡してきていました。 これ等の人達を時の日本の政府が受け入れて居住地を提供していました。 現在でもこれ等の人達が暮らしていたと考えられる地名が沢山残っています。 大阪の白木神社は別名新羅神社です。 祭神の天日槍命は新羅の脱解王の子とされています 脱解王は219年ごろに在位した王とされています 大阪に貨物駅として百済駅があります。 地名は市町村合併の際に消えましたが古くから百済と呼ばれいた地域です。 663年(天智天皇六年)百済の王子善光を住まわせたのが始まりで、その後百済人がぞくぞくと避難してきました。 716年(霊亀2年)滅亡した高句麗からの王族を関東地方に土地を与えて移住させていました。 その土地を新羅をはばかり高麗としました。 現在も埼玉県の日高市に高麗の地名が残っています。 近くに高麗川もあります。 これ等のことを追い出された人と言えば言えなくもありません。 ただ受け入れた日本側の王朝が既にありましたので、渡来人の事例だけで日本人のすべてがその末裔だとするのは無理があるでしょう。 「追い出された」という表現ですと、アメリカはイギリス国教会から迫害を受けていたピューリタンの人達が移住してきたことが始まりですので、アメリカもヨーロッパから追い出された人の末裔だということになります。 白人や黄色人種に関する話は、元々はキリスト教の正当性を証明する一つとして唱えられたコーカソイドという人類の分類方法に基づいた考え方です。 参考 コーカソイド - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/コーカソイド 韓国は現在キリスト教徒が全人口の30%いるとされています。 日本とは違いキリスト教に由来する逸話が広く浸透していますのでこの影響でしょう。 参考 韓国のキリスト教 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/韓国のキリスト教 人類の発祥がアフリカだとされているのも、現時点で見つかっている化石の最も古いものがアフリカだということです。 肌の色が何色だったのかは不明です。 白人が発生した時期も地域も正確には分かっていません。 最近のDNA鑑定では、日本人は特有のDNAを持っていて朝鮮半島の人達とは異なることが証明されています。 参考 【人種学】日本人と朝鮮人は別人種(5)・日本人の遺伝子 ... - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26584569.html 稲作も従来は朝鮮半島から渡来してきたとされていましたが、最近では、中国南部から直接渡来してきたとされています。 参考 長江中・下流域からの直接の渡来 www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_04chugokutairiku_karan... >獲物を狩って生活をしてるなら獲物が移動したなら追って移動するのは当然ですし、 「移動するのが当然」とは言えません。 狩猟では獲物は腐敗し易く貯蔵設備がありませんでしたので、その日暮らしになります。 獲物を求めてあてもなく老若男女を引き連れた集団が移動するのは無理があります。 獲物を持ち帰ってこられる範囲に限られます。 つまり集団が拡散する動機付けは余り強くないということです。 獲物を生きたまま貯蔵する、すなわち遊牧の発達を待つ必要がでてきてしまいます。 狩猟採取だけでは人口は増えないと考えられています。 より効率の良い農耕の方が人口が増えやすいと考えられています。 農耕も畑作だけではなく特定の植物を人為的に植える行為とまで拡大しますと、三内丸山遺跡での事例のように栗などを人為的にに集落の周辺に植えて採集の効率化を図っていましたので、非常に古い時代から行われていたことになります。 集団から分離した小集団が新たな土地を求めて移動して行きますので、全体としては居住地域を拡大する動機付けにはなります。 上記のように人類が拡散した理由についてはいろいろな説があり定説はありません。 >今の繁栄の度合いを見ると移動した方がおおむね発展したり豊かな生活をしてるとこを考えて、移動しなかったのは移動から落ちこぼれた者なのではないでしょうか? 貨幣経済が発達した現在の都市集中とは意味合いが異なります。 歴史的に見るのであれば、むしろ。旧来の社会体制が衰退して行くのに対して新しい体制を目指した集団の方が後に繁栄すると言えます。 日本の歴史で言えば、旧体制の京都に政権の基盤を置いた平家や室町幕府が旧体制に飲み込まれて行ったのに対して鎌倉幕府や江戸幕府が旧体制と距離を置ことで繁栄しました。 考古学的には弥生文化も縄文文化の延長線上ではなく、新しく西国で発生した文化です。 古墳文化も弥生文化の延長線上ではないと考えられています。 古墳文化も途絶え、新たな大和朝廷文化となっています。 新天地で新しい社会制度を作ることが難しい場合は旧来の社会制度を抹殺してしまう必要があります。 歴史的には中国では易姓革命という思想があり、旧王朝を抹殺することが繰り返されてきました。 日本でも明治政府は旧来の藩幕制度を抹殺した上で繁栄しました。 この明治憲法に基づく社会制度を抹殺した上で繁栄しているのが現在の姿です。 蛇足 韓国の発展が今一つなのは、事大主義思想があり、繁栄の頂点にある国の後追いを続けた結果でしょう。 後追いをしている間にお手本が衰退していきますので、新しい時代に対応できないという事態が繰り返されてきました。 李朝鮮も清が北方民族の王朝で、漢族の王朝を正統に受け継いでいるのは我々だという小中華思想が支配していました。 新しい時代に対応した新興国の明治政府など歯牙にもかけませんでした。 結果として明治政府に併合されてしまいました。 現在は中国とアメリカの間をウロウロしているでけで、独自の社会体制を構築する動きが見られません。 このような意味では質問者さんがご指摘の「移動しなかったから落ちこぼれてしまった」ともいえるかと思います。

noname#220629
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本に人が来たのは10万年前の氷河期らしいです。野生動物と大差ない原始人に腐敗ってそんなに問題なんでしょうか?というより貯蔵という概念は当時あったんでしょうか?貯蔵という概念がなければ常に新鮮な肉を求めることになるのではないでしょうか?農耕や遊牧が効率的なのは確かですがそのころに遊牧なんてないと思います。氷河期じゃ農耕なんて大変だろうし、石器を調べるとマンモスの群れを追って日本列島に入ってきたらしいです。マンモスの遊牧なんて聞いたことないです。 アフリカで干ばつで草がなくなったら草食獣が移動してそれを追って肉食獣が移動します。気候が変動して今まで食べていた餌がなくなれば草食獣が移動してそれを狩る者が追うのは当然ではないでしょうか? 遊牧民も家畜の草がなくなれば場所を変えますよね。とくに人類が移動した時って気候が大きく変わった時だと聞きました。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.5

 「追い出された」と表現するか、「積極的に新天地を求めた」と表現するかは別にして、人類はアフリカから出たものですね。母系で引き継がれるミトコンドリアのDNA分析で、そう考えるのが定説になっています。  ではなぜ新天地を求めるかというと、残念ながらそれまでの場所で不満があった場合です。  ヤマメとサクラマスが同じ生物であることは有名ですが、川での餌取り競争に負けたメスが海へ行きます。北海道のような餌が少ないと、海へ下る割合が大きく、九州のように餌が多い所では、少ないというのが確認されています。  つまり、餌取りに不満がなければ降海しないのです。  もっとさかのぼれば、海で生まれた魚が川へ行ったのも、海には天敵が多かったからだと言われています。汽水域に危険な捕食者が来ない、だからそこにいる。やがて川魚に進化したわけです。  これを、「追い出された」と表現するかどうかはご自由に、ということでしょうね。  人間も同じでしょう。不満があると新天地を目指すことになったものと思います。もちろん新天地を目指す力と勇気を持った者だけが移動します。  餌を奪える乱暴者か、勇気がなかったり病気などで移動できない者が残ります。  そして、サクラマスがヤマメに比べられないほど巨大になるように、海から川に登った魚がカルシウム等のミネラル不足をカバーするためそれまで持たなかった「背骨」を得たように、新天地をめざす体力と勇気があったものは、生き残った時、おおむね本家に安住した者を越えてしまっています。  良い土地に安住すると大成しない、進化できないのです。病気で移動できなかった者はもちろん大成しないのです。 > 韓国の人がそんなことを言ってました。  韓国は、例えば孔子は韓国人の子孫だとか言っていますが、韓国国内にいたらその才能を発揮できなかったでしょう。植物も同じで、桜やワサビは韓国発祥だとか言っていますが、同様です、日本に来てから大繁栄している。  彼らの言うことが本当なら(ウソです。例えばソメイヨシノは自生できないのに韓国に自生しているとか言っている)、みんな、韓国を追い出されて、その後に開花しているのです。  「追い出された」という彼らのいう表現が本当なら、彼らの先祖が孔子の先祖を追い出したことになる。桜やワサビを追い出したことになる。  追い出された者の子孫が有名人で、追い出して今残っているのが自分たちだという指摘は、決して彼らの先祖を賞賛することにはなりません。  自分たちの先祖が、いかに孔子の先祖の才能を見抜けなかったか、ワサビの薬効に気がつく能力がかなったか!。早い話が「私の先祖は無能だった」と言っているという話になります。  つまり自分自身の先祖を、ひいては自分がそれら乱暴者、無能な人間の子孫であるとして、侮辱していることになります。どうしてそのことに気がつかないのでしょうね。  そして、今や朝鮮半島は彼ら自身が「ヘル(地獄)朝鮮」などと自嘲する状態になっています。  おそらく、競争に負けたのは事実でしょう。それで、ドンドン世界に拡散したのでしょうが、それを恥じることはありません。  もっとも、日本に来たのは、ユダヤの12部族の内の10部族で、意識して東へ東へと移動してきたという話もあります。  また、トルコの北方にいた民族のうち、肉好きが南下してトルコ人になり、魚好きが東へ行って日本人になった、という話も(トルコなどに)あります。競争に負けたわけではなく、単なる食べ物に対する嗜好の問題だった、と。

noname#220629
質問者

お礼

回答者さんの言うように餌の問題で、例えばアフリカで干ばつで餌がなくなったら草食獣が移動してそれを追って肉食獣が移動します。 私はそんな餌のないところに残るのは弱いやつじゃないの?と思ったのです。人類が移動したのって地球の気候が激変したころだと聞きましたし。 回答ありがとうございます。

回答No.4

何か勘違いがあるようですが、人類が世界に広まったのは単に拡散したからであって、島や新大陸を目指して海を渡ったわけではないですし、新天地を求めて内地の奥深くまで進出したわけではありません。拡散した結果、生存圏を広めたにすぎません。 これを間違えると、アフリカ大陸を飛び出しただの南米大陸を目指しただの、あるいは住んでいたところを追い出されただのと、非科学的なことを言い出すのです。 また現状から、発展してるしてないとか、移動から落ちこぼれたなどというのも、非科学的なことです。 これを、目くそ鼻くそを笑うと昔の人は言いました。

noname#220629
質問者

お礼

まあそれが自然な考えだと思います。 彼らの説にはいくつかの思い込みがあります。 一つはいちいち理由がない限り人はずっと同じところに住み続けるということ、二つ目は当時住むという概念があった、三つ目はそこから移動する者は必ず嫌々するということ、四つ目は移動する場合は移動元は移動先より必ず良い場所である、五つ目は場所によし悪しがある、六つ目は土地という概念が当時にある。 私の言ってるのは彼らの説が正しいならじゃあここがおかしいじゃないかという話です。 当時にあの土地になにか素晴らしいものがあるから行こう!とかここは俺らの土地だ!とかいった考えがあるとは思えないです。 回答ありがとうございました。

  • gib45
  • ベストアンサー率26% (160/593)
回答No.3

まぁ、色んな説はありますけどね。 白人はアフリカにてアルピノが追い出された子孫云々とか。 ちなみに日本人は大陸経由と東南アジア経由という説が濃厚です。 焼畑や同じ植物ばかり栽培した結果、砂漠化云々言われてますが ヒマラヤ山脈の影響で砂漠化が進んだという説が近年は濃厚ですね。 栽培方法も原因の一部でしょうけど。 追い出されたというよりは適切な環境を求めて移動したと言うほうが正しいと 思いますよ。 簡易的な農作は紀元前7000年前と言われており、最古では9000年前に 農耕の跡が発見されてます。人類は古代より農耕を行ってたという証拠ですね。 つまり狩猟に依存せずに模索した結果でしょう。 肌の色も環境に特化した為だと私は思います。 インド人などは白人に色がついたような外見ですしね。 ただし、ひとつ追い出された歴史はあります。 任那日本府ですね。朝鮮半島に倭国の出先統治機関がありました。 簡単に言えば倭国が管理する小国があったと言うものです。 外交拠点などであり国ではないという意見もありますが、これは ご自身で調べたほうが面白いでしょう。 古墳など発見されてるので、日本統治の証拠だと言われてますが 韓国政府は調査をしたがらずに埋直したりしてます。 ともあれ、日本府は侵略されて消滅しました。 日本に逃げ延びた者も多く存在します。 天皇に朝鮮の血が混じってるというのもこの時の逃げてきた 子孫が天皇家と婚姻関係にあった為です。 現在の朝鮮人(韓国、北朝鮮)はエベンキ族の末裔と言われてます。 証拠としてはシャーマンやトムポールなど独自の文化があります。 結果的にエベンキ族と古代朝鮮とは無関係の民族です。 だからかもしれませんが、韓国は5000年やら1万年の歴史があると 主張して意味不明になってますね。 韓国からすれば上記の経緯を見れば「日本人は追い出された民族」としたい 理由もお察しでしょう。 結果として我々日本人の先祖が現代日本の基礎を作った 訳ですから誇るべきことだと思いますよ。 結論として「追い出された末裔」と言われるいわれはないでしょう。

noname#220629
質問者

お礼

結構農耕は古いんですね。それでも縄文人が日本に来たのは10万年前の氷河期時代ですから農耕の土地争いではないのは間違いないでしょう。国のような概念もないですしね。 私も追い出されたというよりは適切な環境を求めて移動したと言うほうが正しいと思います。彼らの説には根拠がないし、現代の国の感覚で見てると思います。 ありがとうございました。

  • mokha_02
  • ベストアンサー率28% (17/60)
回答No.2

確たる証拠が無いのでなんとも、もし追い出されたというならその手の文献が残っているはずですが。いずれにせよ島国だから独自の文化が育めたわけで大陸と距離を置けたのは結果的によかったんじゃないですかね

noname#220629
質問者

お礼

日本に人が住んだのって氷河期ですからね。そういった証拠もないみたいですし、現代の国の感覚で見てるんだと思います。 ありがとうございます。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

どこから聞いた話か知りませんけど、そのネタ自体が怪しいです。そんなことを言う人もいるという程度のことで、推測でそんな話をしたにすぎないと思います。韓国人の言うことなど信用できません。彼らは日本人を良く言うはずが無いからです。

noname#220629
質問者

お礼

まあ証拠がある話ではないので ありがとうございます。

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