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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:公募の疑問)

公募の校長制度と民間企業の成長の違い

このQ&Aのポイント
  • 公募で校長を選ぶ制度のメリットとデメリット、それに対する疑問を考えます。また、民間企業と公立学校の成長の違いについても考察します。
  • 民間企業では経験を積みながら出世の階段を上がりますが、公立学校では公募で校長を選ぶ制度が広まっています。校長の経験や指導力に疑問を感じる声があります。
  • トヨタなどの民間企業では自らの経験を後輩に伝えて成長を促していますが、公立学校では経験のない校長が若い教師にアドバイスをすることはできるのでしょうか?民間企業と公立学校の成長の違いについて考えてみましょう。

質問者が選んだベストアンサー

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  • shirouuda
  • ベストアンサー率17% (14/78)
回答No.38

大工の棟梁は、木をまっすぐ切れなければ、つとまらない。職人頭なのだから。 工務店の社長は、木をまっすぐ切れなくても、つとまる。経営者なのだから。 校長は、棟梁に近いのか?社長に近いのか? 答えは、「棟梁に近い。」。 料理長の公募は、公募といっても、一般公募では無い。その証拠に、私が応募しても門前払い。料理経験も調理師免許も無いからだ。この「公募」という言葉の定義もせずに議論するのは無駄な時間。 まあ、生徒総数2000人ほどなら、「社長」の方がいいかも知れないが、数百人の生徒と数十人の教師が相手なら、「棟梁」だな。 民間企業で勤めている人でも、会社を動かす側の人、仕事を創造できる人なら、これらが理解できているだろうけども、動かされる側の人にはわからないだろうなあ。

papabeatles
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。校長は経営者か技術者かと聞かれれば技術者に近いと思います。  校長は、教師の授業を見て適切に評価ができることが求められます。これをおろそかにしては日本の教育は成立しません。現場をしらない人はそんなのは教頭がすれば良いとおっしゃいますが?教頭こそマネージャーのような仕事をしております。  もちろん校長も教頭を何年か経験しておりますので教頭にも適切にアドバイスをすることができます。  本田総一郎がスパナの持ち方から教えて若い技術者を育てたように校長は若い教師を育てていかなければ日本の教育に未来はありません。  教育を語るには不適切な人たちがあまりにも多いことに驚かされました。暴論をこれ以上書き込んでいただいても日本のためになりませんので閉め切りたいと思います。  今後とも、どのような校長人事を維新の会がするのか注意深く見守りたいと思います。  

その他の回答 (36)

noname#187913
noname#187913
回答No.37

教員や教師がその教え子に出来る事は卒業までのケアに限られます。卒業後その子は自分の力で自分の居場所を確保し、社会人として生きて行きます。 教員としての経験が数十年に及ぶ時、最初の頃に教えた生徒児童は既に40歳~50歳になっており、社会の中に於いてその地位と役職に応じた責任の中でそれぞれの仕事を誇りとして生計を立てています。 今、大手企業の中間管理職となった元教え子と、教員一筋の元教官を比較する時、民間の感覚に於いてどちらが優れているか比較以前の問題であると言って過言で無い位、元教え子達はその教員の数段上を行きます。 この感覚が理解出来ない限り、外部から人を入れる必要性に開眼する事は出来ないと思います。 ちなみに、ご自身の置かれている状況がよく理解出来ていない様ですが、この質問と回答は全国のネットユーザーに一言一句漏れ無く公開されています。当然質問者の方の元教え子も見ています。 数十年に及ぶ教員経験があれば教えた生徒児童の数も相当数に上る筈です。その子達全員にこの質問とお礼と補足と私の回答を全て読ませた時、一体何人の元教え子が『先生の仰る通りです。この回答者の言は誤っています。』と答えるでしょうか。 自らの行為を省みない批判は、単なる愚痴と罵詈雑言に過ぎません。 公募の意義は既に回答済みです。30年も教師経験の有る者が37歳の元新聞記者よりも社会に校長として認められないと言う事実に蓋をして、あたかもその経験30年の教師が『選ばれない事がおかしい』と言う論理は、元教え子達にも通じないと思います。(何しろ元教え子の多くは私と同じ民間の感覚を理解する者となっていておかしく有りませんから) 『何故公募?』と言う疑問は同時に、公募を必要とする程『自浄能力を自分達が無くしていると言う事実を社会から突き付けられている』と言う問題の本質に全く気付いていない事の証左であろうと思います。 質問者の方の元教え子の多くはとうにご自身より高い知識と見識を持って社会の中で生きています。それを教育された事を誇りに思うのは当然ですが、永久に自分の方が上とお考えなら、それは妄想です。

papabeatles
質問者

お礼

教師の教え子が教師よりも高い地位についているってすごいことじゃないですか?  ある校長は同窓会に招かれていったら教え子がみんな校長よりも給料が高くて同情されたそうです。  でもそれはその校長が立派に人を育てた結果だと思います。  貴方も社会的にはある程度の地位にある方なのでしょうが、貴方を育ててくださった教師に対する尊敬の念は無いのでしょうか?  何回も質問しております。校長を民間人にすることは理解しております。しかし、それが公募なのはなぜなのでしょうか?公募って「ハローワーク」って言葉も公募だったそうですが、私は公募で人を選ぶのはタレントのオーデションぐらいしか知りません。その公募で選ばれたタレントも多くは数年で消えていくます。  公募である明確な理由をお聞きしたいと思います。  

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.36

>学級でトラブルを抱えた時も自らの経験をもとにアドバスをすることもできます ならばなぜ、いじめや教育問題が引きも切らないのでしょうか? 校長の手腕に限界があるからです。 昔取った杵柄で、教育など語れないところまで来ているからです。

papabeatles
質問者

お礼

教育が難しいのは今も昔も同じだと思います。  ベテランの教師である校長がリーダーシップをとって指導しても問題が解決しないこともあるのは事実だと思います。だから公募で選んだ民間校長に任せるのは無謀だと思います。  これは教育委員会で適切に指導するべき問題です。  それで校長を公募した私立学校はどこでしょうか?

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.35

今までの教育組織に限界を感じているからでしょう。 校長は「ヒラメちゃん」と呼ばれています。即ち“上しか見ない”・・・教育委員会の役職に収まることに汲々として、自分の任期中は学校で何も起こらないことを願い、仮に問題が起きても抜本的な解決をせずに時間に任せる方法をとることが多いです。 それが今の教育の疲弊の大きな要因です。 教育ドップリの人間に任せたところで、革新的な学校運営など期待できるはずがありません。 経験でアドバイスといっても、自己保身に則った上での指導ですし、長年の教育的慣習に浸かった教師に、新しいことをやれといっても動きません。 的確にアドバイスが出来なかったから、このような今の教育になってしまったともいえます。公募というのは、それを払拭する期待を持ってのショック療法です。 少なくとも、新風は吹き込まれるでしょう。

papabeatles
質問者

お礼

 間違いです。校長で教師人生を終わる人物がほとんどでです。校長になったらヒラメになる必要はありません。教育委員会は実は校長よりも給料が安いのはご存知ですか?県職員でなく、市職員になるので給料が下がるそうです。だからと言って教育委員会に行くことを拒否した教師はいません。  民間人を校長にすることには反対しておりません。何故公募なのか?を明確にご教授いただきたいと思います。

noname#187913
noname#187913
回答No.34

ご説明申し上げている事の趣旨をご理解頂けていない様です。 『校長が教職員のトップ』であるのは、『教職員のみのトップ』では無く、事務方も含めた『組織としての学校全体』のトップであると申し上げています。 いかに一教職員として有能であっても有機的組織の長となるには授業のテクニック等の末梢の事ではなくて、広く組織を円滑に運営する能力が求められていると言う事です。 以下は平成12年の文部次官通知です。ここに書かれている事が間違っていると仰るなら、現場の教員が文部次官通知に不同意と言っている事になります。 『学校教育法施行規則等の一部を改正する省令の施行について(通知) 文教地第二四四号 平成一二年一月二一日 各都道府県教育委員会、各都道府県知事、各指定都市教育委員会、各指定都市市長、各国立大学長、国立久里浜養護学校長あて 文部事務次官通知 学校教育法施行規則等の一部を改正する省令の施行について(通知) このたび、別添のとおり、「学校教育法施行規則等の一部を改正する省令」(以下「改正省令」という。)が平成一二年一月二一日文部省令第三号をもって公布され、平成一二年四月一日から施行されることとなりました。 今回の改正の趣旨(前文略筆者) 記 一 改正の趣旨 (校長及び教頭の資格関係) 校長(学長及び高等専門学校の校長を除く。以下同じ。)及びこれを補佐する教頭については、教育に関する理念や識見を有し、地域や学校の状況・課題を的確に把握しながら、リーダーシップを発揮するとともに、職員の意欲を引き出し、関係機関等との連携・折衝を適切に行い、組織的・機動的な学校運営を行うことができる資質を持つ優れた人材を確保することが重要である。このため、教育に関する職の経験や組織運営に関する経験、能力に着目して、地域や学校の実情に応じ、幅広く人材を確保することができるよう、学校教育法施行規則(以下「省令」という。)における校長及び教頭の資格要件を緩和するものであること。』 一読して分かる通り、『教育に関する職の経験』が問われています。教育に関する経験は『学校で授業をした経験』のみを意味すると言った様な瑣末な物では有りません。役所や企業等に於いて実務や関係法令の教育に当たった経験も広く含んでおりますが、それにしても現役の教員にかなり優位に働いてしかるべき文言ですが、では実際にはどうでしょう。 『教師でも公募に応募できるのでしょうが現実に採用されていないようです。』 仰る通りです。『教育に関する職の経験』をも問われながら、現役の教員は採用されない。何故でしょうか。 『関係機関等との連携・折衝を適切に行い、組織的・機動的な学校運営を行うことができる資質』に於いて問題が有るからではないですか。 『30年以上の教師経験がある人物が37歳の新聞記者よりも校長として優れている』のでは有りません。『関係機関等との連携・折衝を適切に行い、組織的・機動的な学校運営を行うことができる資質』に於いて37歳の新聞記者より劣っていると判断されたと言う事ではないですか。 教員のナンバー1を決めようと言うのでは有りません。社会の中の組織としての学校の長を決めようと言っているのです。 校長が教職員のトップであるのは、事務方も含めた全ての学校関係者のトップである事の結果として、組織としての学校に所属する教員のトップであるだけで、それは結果論です。学校運営と切り離したところで学科の授業を一元的に見ると言う事と直接の因果関係はありません。それは学校運営と『授業の技術論』を混同した論理です。 社長から教えてもらえないから車が組み立てられません等と言うトヨタの社員はいません。何度もお聞きしますが教頭や学年主任は何をしてるのですか。全て校長がするなら校長以外は全員平教員なのでしょうか。 それぞれの職種にそれぞれの責任が付随します。質問者の方の言を借りるならば、トヨタの社長は現場で車を作っている責任者である工場長がなるべきだと言う事になります。 これが如何におかしな理論であるかご自分でも分かる筈です。社長と工場長は違います。一教員と校長も同じ理由で違います。ご理解頂けませんか。

papabeatles
質問者

お礼

民間人を校長にすることには反対はしておりません。問題が公募です。何回もお聞きしますが、私立学校で校長を公募したと所がありますか。日本経済を支えていると言っても過言でない早稲田や慶応が公募することが考えられますか?  今度ぜひ校長を公募している私立学校をお教えいただきたいと思います。  外国の学校でも構いません、ハーバードなんか進んでいるからきっと公募かもしれませんね。

noname#187913
noname#187913
回答No.33

ご質問の意図がやっと分かりました。 校長を教員のトップだとお考えの様です。そこが全ての誤解の始まりです。そんな時代はとうの昔に終わっています。 校長は事務方も含めた学校と言う組織のトップであり、教員のみのトップではありません。先の回答から何度も申し上げている通り技術としての教鞭のあり方の指導責任は教頭が負う(教頭が「教」の「頭」とよばれるのは何故か考えれば分かる事です)べきもので、校長の役割はその組織と組織外の物(広く「社会」と呼ばれる物)とのパイプ役であるべきと言うのが昨今の常識となっています。 社会を知らない校長(先の回答で例を挙げた北海道の校長の様な)が増えすぎた為に、その管理下にある教員の多くが、本来社会の常識で有るべき事の一部を「自分達とは関係ない」「自分達は教育者である」等々、「社会を知らない先輩教員」から教えられた「歪んだ価値観」をまるで正しい事として継承して行く負の連鎖に陥っています。 何も知らない子供達を指導教育する時に、社会を知らない純粋培養(学校を出て社会を知らないまますぐに学校に就職する訳ですから極めて純粋培養に近い)の教師はある程度の数必要かもしれませんが、校長まで純粋培養では学校が組織全体として社会に適応出来なくなるのは目に見えています。 逆に校長から学校の統括権(公的な報告権や人事権)を取り上げて『校長は授業の良し悪しだけ見ていれば良い』と言う風に変えて、学校と言う組織のトップを事務長にする事も可能かも知れません。 そうすれば質問者の方の仰る通り校長は思う存分に教員の指導に当たれます。 お望みの学校の有り方はそうでは無いのではないですか。校長が『学校と言う社会的組織』のトップであり続ける為には、今の多岐にわたる教育に対する社会的要請に応える為には、『校長自身』も変わらなければなりませんし、配下の教員の意識も今の様な『校長は教員のトップ』と言う意識から『学校と言う社会的組織のトップ』と言う意識へ変えなければなりません。 何度も言いますが、これは既存の教員・教育委員会を始めとする教育関係者等の中だけで自助努力で可能な変革ではありません。 『公募』されるのは『有能な校長』になって欲しい人であって、『有能な教師のトップ』では有りませんので誤解の無い様に願いたい所です。 ちなみに『公募の条件』に『元教員は除く』と言うのは聞いた事が有りません。教員が自分達で出来るとお考えなら自分達が立候補されれば良いだけです。法人と呼ばれる物の持つ社会的意義や社会的責任や、そこに於けるコンプライアンスの重要性やその具体的推進の方法について、公募で来るであろう者達よりも自分達の方が高い見識と豊かな経験が有るとお思いならそうされれば良いだけの話です。 私自身は『法人と呼ばれる物の持つ社会的意義や社会的責任や、そこに於けるコンプライアンスの重要性やその具体的推進の方法』に関して、例えば上場企業の中間管理職以上に『高い見識と豊かな経験』を持っている純粋培養の教員と言うのを想像する事が出来ません。一人もいないと断言はしませんが、極めて稀であることは間違いないと思います。

papabeatles
質問者

お礼

「校長を教員のトップだとお考えの様です。」 学校教育法でそうなっています。維新の会も学校教育法に関しては何も言っていないと思います。  すみません学校教育法ぐらいはご理解しておられますよね?  ですから、民間人を校長に登用することも認めております。でもそれが何故公募なのですか?の疑問には誰も答えておりません。教師でも公募に応募できるのでしょうが現実に採用されていないようです。30年以上の教師経験がある人物が37歳の新聞記者よりも校長として優れているとした事実を説明していただきたいと思います。

noname#187913
noname#187913
回答No.32

教育者と言う者をいったい何だとお考えなのか。 世の人間は全員が互いに教育者であり被教育者です。いわゆる教員は国語算数理科社会といった『教科を業として教える事が出来る』に過ぎません。教員免許はその教員の人間性や人格を一切担保しません。 世の人々が教育を与える者と教育を受ける者に二分され、教員のみが教える側だと認識されているのなら、思い上がりも甚だしいと断じざるを得ません。私に限らず今の多くの社会人は昔と違って教員免許を持っていると言うだけで、その教員の人格や性格が正常である等とは判断しません。単に教科を業として教える事の出来る人と言うだけで、単なる一般人に過ぎない。 『我々は人を教え導く者である』等と言う思い上がりが、先の回答で述べた通り、逆に残業に対しても本来受けるべき手当てを『受けない事が聖職の証』で有るかの様な飛躍した理論に繋がっていると思います。 昨日(6月3日)北海道札幌地裁で小学校6年生の女の子の自殺を巡る訴訟について民事判決が出ました。 (朝日新聞) 2013年06月03日 15時03分 判決などによると、彩花さんは08年4月、自宅のトイレで首をつって死亡した。(途中略筆者)当時の校長が町教委に提出した事故報告書の死亡原因が『自殺』でなく『多臓器不全』と記載され、後任の校長が両親側の抗議で後に自殺に訂正したことから、「自殺を隠蔽(いんぺい)するなど適切な対応をとらなかった」とした。 首をつった事の報告が『多臓器不全』。確かに頚椎を圧迫した事による多臓器不全で呼吸や鼓動が止まり、医師の診断としての『死因』が多臓器不全であっても、町教委に報告するのに首をつった事に一言も触れず多臓器不全とは、なぜこんな報告が可能なのか民間の感覚では理解出来ません。 ちなみにこの問題となっている校長は公募でしょうか、教員からの生え抜きでしょうか。何故彼はこんな報告をしたのでしょうか。学校の名誉や自身と関係教員の保身以外には理由が考えられません。 狭隘な世界でその価値観を洗脳される事の怖さを知る事の出来る一例ではないでしょうか。 私が回答している事はひとえに、狭い世界の価値観の中だけで偉いの偉くないのと言う事に固執していると、広く社会的価値観と言われる様な物を見失い、例示した校長の様に誤った価値観の暴走を招きますよと言う事です。 公募の意義は『違う価値観』を入れる事にあります。そこが一番大切だと思っています。

papabeatles
質問者

お礼

教育界に民間人を登用することは異存がありません。しかしそれが公募となると大きな疑問符が付きます。 例えば、以下のような人事は公募でしょうか? http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130604/plc13060419070018-n1.htm  絶対に違うと思います。自民党の情報網を使ってスカウトした人事だと思います。  日銀総裁だって民間人を登用することもあります。  私の疑問は公募って何故っていうことです。明確に回答いただきたいと思います。  また教育界に民間人を登用するにしてもそれは教育委員会のレベルの話だと思います。  校長は全ての教師の授業を公正に評価することが求められます。どの教師も年に数回の授業研究会で授業をしますが、その時に校長が明確な評価をしないことはあり得ません。民間人の校長にそんなことができるのかも疑問ですが?たとえば乃木大将のように多くの青年将校を指導したような人物ならそれも可能かなとも思います。

回答No.31

象徴的作用はあるかもしれない。 たとえば働き手の少なく困ってる産業の社長が校長先生になったとしたら、子供たちの認識度がそういうものになり、将来それ関連の会社を目指すかもしれない。 その会社が社会的意義性があり、かつ非常に認知度が低いのであれば、その象徴的作用が、もしかすると社会的な合理性をもたらすのかもしれない。 アバウトな説明ですけど、あくまで公募をやる人と公募を受ける人の心持ちに次第によるものと思う。

papabeatles
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  民間の会社がしっかり頑張っていることを学生に伝えることは良いことです。しかし、それは学校に講演に行くことで伝えられるのではないですか。高校なんかそんな人物がよく講演していますよ。  小学校にも多くの方にゲストティチャーとしてきていただいております。  まさか校長公募に応じるほどの人がゲストティチャーになったことがないなんて常識的にあり得ないですよね。

  • buck
  • ベストアンサー率14% (97/678)
回答No.30

>だって、自前で校長を育てることができなかった組織ですよ。 今回の大阪府の公募は、小中学校で各1名、高等学校で20名程度に過ぎない。 大阪では府立高校が200校以上あるようなので割合は10%以下。 残りは教員なのだから人材はいるということ、人材の育成はできているということではないのか。 校長職の一部の教員以外の人材を登用すからといって人材の育成ができたいないと何故言える。 著しく見識に欠ける質問者のことだら根拠はないのだろうが、可能なら補足してみていただきたい。 多分、無理だと思いますが。 大阪の教育委員会や日々教育に携わっている先生達への非常に失礼な物言いで、撤回して謝罪すべきだと考えるが、質問者の存念は如何か。 >プロ野球の監督が公募ですか?Jリーグが公募ですか 公募ではない。 Jリーグの場合、そもそも、ライセンスが必要だし、野球についても選手経験が必要と考えられているから選手経験、コーチ経験者から選考しているということだろう。 今回の校長公募は、教員以外の経験者に広く人材を求めるということだか比較するのが無理であると言える。 >料理長が公募ですか?店長が公募ですか? インターネット上の転職サイトには、料理長候補、店長候補の求人があふれています。 料理長にいたっては、料理長候補専用の求人サイトまで存在している。 どうせ思いつきで料理長とか店長を持ち出してみただけであろう。 一度、世の中でどのような公募がされているか調べてみたらどうか。 独立行政法人が一企業の社長や取締役に相当する理事長や理事を公募している情報も見つけることができるはず。 第三セクターの鉄道事業者では、公募した社長が実績を上げている例がある。 千葉のいすみ鉄道の社長は、マスコミにも何度も取り上げられ本も出版している。 公募は広く行われているという事実を質問者は知ったほうがいい。 >中途採用はスカウトでしょう。 違います。 世の中の事実を自分の都合の良いように捻じ曲げるの止めるべきだ。 http://www.toyota-careers.com/ http://www.sony.co.jp/SonyInfo/Jobs/careers/ トヨタもソニーもキャリヤ採用を実施していて、インターネットから誰でもエントリーできるのでスカウトではない。 ついでの教えておくが、このようなキャリヤ採用は多くの企業が実施している。 これらの企業も人材の育成ができたいないというのでしょうか。 補足してもらいたい。 >時間をかけて説得するでしょうから引き継ぎの問題を解決できるでしょう。 公募でも同じで、要は当人が責任をもって引継ぎをすればいいだけのことでしかない。 職と責任を放棄するということにはならない。 >政党の推薦は論外ですか? 論外。 また、政治家個人でも同様。 政治が公務員の採用にどんな形でも介入すべきでない。 >それこそ公務員の狭い人脈の中で民間人の人材を見つけることは難しいのではないですか? だから公募という方法で人材を得ようとしているんじゃないでしょうか。 >当然思想調査みたいなことはするのでしょうが また、憶測でしょうか。 とにかく可能であれば補足してほしい。 頓珍漢な論理の飛躍と、事実誤認(捻じ曲げ)そして憶測なしで。 できますか。

papabeatles
質問者

お礼

回答読ませていただきました。  しかし、何故37歳の新聞記者が校長になったのか明確な回答がないのが残念です。  民間で公募をしていると言っても過去の実績を評価してもらって採用されているわけでしょう。  校長の公募とは全く質が違うと思います。 「千葉のいすみ鉄道の社長」の件は不見識でしたがそれも倒産寸前だった会社の話でしょう?決してこれが一般的ではないと思います。もちろん倒産寸前の会社を立て直したのだから素晴らしい業績であることは理解します。  「トヨタもソニーもキャリヤ採用」  これはただの途中採用ですよね。入社してからの実績でスッテップアップしていくのでしょう。  校長は違いますよいきなりトップですよ。教育に熱意がある人物なら3年ぐらい担任をさせてその実績を持って校長にすることもできます。何故教育界ではそれができないのですか?未だかって明確な回答はいただいておりません。   トヨタが店長を公募していなかったので安心しました。  他の店長を公募している会社があったらお教えください。

noname#187913
noname#187913
回答No.29

『公募の方が中立性を疑われます。当然思想調査みたいなことはするのでしょうが、その中立性はどうやって確保するのでしょうか?』 何を仰っているのか全く分からない。応募者の思想信条を調査して、思想信条を理由に採用を拒否すれば大変な事になると言う、中学生ですら知っている事を本気で仰っているのなら無知の極みとしか言い様が有りません。教員に限らず一般職や、民間ですらそうした事があれば、責任者(市の場合なら教育長か、場合によっては市長)の首が飛んでもおかしくない。 結局質問者の方の仰る事は先の回答で何度も申し上げている通り『自分達と同じ価値観を持つ者だけを選別する』と言う差別意識である事が露呈したのではないですか。 憲法に定められた思想信条の自由を認めず、『当然調査する』と仰った時点で公務員の資格ももちろん子供達に官業の業として教育をする資格も疑われる事がお分かりで無い様です。 悲しい事ですが、この国には質問者の方と同じ様な考えしか持てない教員が相当数居る様です。この意識の改革は、その教員自身には一生掛かっても難しい事でしょう。逆に、はっきり『無理』と申し上げた方が正解でしょうか。 公募は先に公募を望む者があって、公募になったのでは有りません。 先の返答で質問者の方が露呈した通り、教員(特に公務員たる教員)がそう言う風であるからそうなったのです。身から出た錆と言う言葉が有るのはご存知の通りです。

papabeatles
質問者

お礼

校長公募で思想調査はしないのですか? では何故なんの実績もない、維新の会の提灯記事を書いた新聞記者が選ばれるのですか?   この事実を論理的に説明していただきたいと思います。37歳ですよ。  この事実一点をとって政治的中立に関しては非常に疑問符が付く人事だと思います。  もしこれを否定するのであればこの元新聞記者がその学校の教頭よりも教育者として優れている事実を示していただきたいと思います。  もちろん「貴方は何党を支持しますか?」なんて聞かないと思いますが、面接で質問をするとたいていのことはわかるのではないですか?

  • buck
  • ベストアンサー率14% (97/678)
回答No.28

質問者は頓珍漢な方向に考えが飛躍し、かつ自説に固執するだけだ。 >だから乃木大将を推薦した人物がいてそれを天皇陛下に奏上したのでしょう。 いえ、違います。 事実関係をよくわからずに乃木大将はスカウトだと主張していたのか。 >何故大阪や東京は校長という人材を育てることができないのでしょうか? 何故、人材育成ができないということになる。 校長の一部に公募した人材を充てるだけであとは教員からの登用だろう。 人材育成ができているということじゃないか。 あんたの大好きなトヨタやソニーも中途採用で外部の人材を活用している。 トヨタやソニーも人材育成ができていないことになるのか。 >私は何も判断はしておりません。 公募はだめだと判断しているじゃないか。 >責任ある地位を放り出して校長に公募ですか? 責任をもって引継ぎをすればいい。 質問者の主張するスカウトだって、在職者であれば仕事を辞してくることになるはずだ。 >何故公募なのですか? 公教育の中立性の維持、人材採用の透明性の確保をためには公募という手段は適当だ。 質問者の主張する政党の推薦というのは論外。 スカウトなれば教育委員会が、校長職に適材となる人物をリサーチする必要があるが、教育員会のその能力はあるのか。 また、その必要があるのか。 あるとは思えない。

papabeatles
質問者

お礼

教育委員会が1500人以上からの人物中から公正に数人の校長を選ぶことができると思う方が不自然だと思います。だって、自前で校長を育てることができなかった組織ですよ。プロ野球の監督が公募ですか?Jリーグが公募ですか?料理長が公募ですか?店長が公募ですか?  中途採用はスカウトでしょう。  当然校長を民間人からスカウトするとなれば、時間をかけて説得するでしょうから引き継ぎの問題を解決できるでしょう。  政党の推薦は論外ですか?それこそ公務員の狭い人脈の中で民間人の人材を見つけることは難しいのではないですか?  政党でなくて議員の豊富な人脈を活用しなければ人材を見つけてくることは不可能だと思います。  公募の方が中立性を疑われます。当然思想調査みたいなことはするのでしょうが、その中立性はどうやって確保するのでしょうか?

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