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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大阪 指導主事の公募)

大阪で指導主事の公募が行われる

このQ&Aのポイント
  • 大阪では指導主事の公募が行われています。指導主事は教育委員会の中でも重要な役割を果たし、教師の研修会や会議の指導助言を行います。
  • また、指導主事は学校の教育内容について適切な助言指導をする義務があります。今回の公募では他の市町村で指導主事の経験がある人を対象としています。
  • しかし、指導主事は非常に激務であり、研究授業などの準備や質問に対する勉強が日常のように続きます。このため、元校長たちは指導主事の職を選ぶことはなく、大阪には指導主事が不足する可能性があります。

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回答No.2

No.1です。 失礼ですがやはり永年の保守的思考・守旧的発想・前例踏襲主義が骨の髄から染みついておられるようにお見受けします。 成り手が無ければ、無しでやってみればいいじゃないですか。 システムがおかしければ、システムを変えてみればいいじゃないですか。 民間では、 伝統ある武田薬品が外国人社長を迎えた、 NTT独占だった電話事業に、当然電話事業の経験も何もない孫正義が携帯電話で新規参入を図った際、当時世間は彼を笑ったが、今やソフトバンクは言うまでもない存在になった・・・ 等々、全て世の中は変革でありチャレンジなのです。 教育は別だ、子供たちを実験台にする気か、失敗したらどうするんだ、・・・? この手の変革の必要性を言えば、教育屋さん(教師・教育委員会等)は必ずこう答えるのですが、じゃあ、日本国ではこのまま未来永劫1万年先もこのままの体制でいくのですか? 世の中すべてが変革していく中で教育屋さんの業界だけがガラパゴスで居続けるのですか? 変革・チャレンジを怖れているのは、子供たちを人質に取り、子供たちを大義名分に用いている教育屋さんのみであり、保護者を含む社会全体が教育屋さんの業界に大きな変革を望んでいることを謙虚に自省されるべきなのです。 ・・・と、まあいくら言っても今更ご理解されないでしょうが。

papabeatles
質問者

お礼

橋本市長が言うように本当に大阪の教育委員会はぶっ潰れつつあります。 教育の全責任を公募の校長に任せたのですからそうなのかもしれません。  教育界に実験はタブーですが、それで全面的にうまく行くとお考えならやってみたらいいでしょうと思います。  しかし今回の指導主事の公募はみっともないです。指導主事はその教育委員会が責任を持って育てる人材です。公募で呼ぼうと思っても、みんな校長になっていますのでほぼ100%応募する人はいません。  それなら指導主事なんて誰でもできると開き直ることができなかったのでしょうか?  いずれにしても来年度の人事が楽しみです。最悪、指導主事は欠員でもいいじゃないですか? 公募の校長が何でもリードするのでしょう?職員研修も公募の校長が民間の手法でやればいいですよ。  ただし指導主事がいなくても法律的に問題ないってことはないと思います。

その他の回答 (3)

回答No.4

そうやって失敗事例をあげつらって、現状維持を図ろうとする。 それを「守旧」と言い、そのスタンスである限り永久に向上・レベルアップは望めない。 何事も改善・改革を図る過程での失敗・問題は当然であり、そこからまた様々なことを学び、次のステップアップに繋げていくのが、人においても組織においても当然だと思わないのですか? ・・・と言うと、また >教育界に実験は「タブー」です。 ですか? あなたのような改善・向上の意識がない方が、現役ではないことが、せめてもの救いと考えます。 まあ、現役の教育屋も大半は同様ですが。

papabeatles
質問者

お礼

何故大阪では指導主事がいないのですか?公募の校長が職員を指導することができなかったからでしょう? 十分に失敗しているじゃないですか?  本当に公募に応募する指導主事経験者なんかいませんよ、貴方校長の地位を捨てて応募しますか?  校長で定年退職したのに応募したらなんて言われますか?  「教育に実験はできない」は私が教育実習に行ったときに言われた言葉です。実習生だからと言って授業の失敗は許されないとの厳しい言葉だったと思います。何か間違っていますか?  もちろんその上で教育界はいろいろと変わってきております。私が経験しただけで言えばゆとり教育、学校五日制、総合的学習、情報教育、国際理解教育、人権教育、英会話教育、エイズ教育、生活科これらの実践はみな日本中の教育委員会が同意して始められたことです。大阪のようにかってに始めたことではありません。しかもゆとり教育は失敗したとも言われております。  大阪が実験的にやって良い理由は何もありませんし、常識人が見れば十分に失敗しております。

回答No.3

No.2です。 >教育界に実験は「タブー」です。 >指導主事の公募は「みっともない」です。 まさしく閉鎖的・保守的・守旧的・外面糊塗的な組織・職業で生きてこられ、骨の髄までそういう体質が染みついてしまわれた「証左」のお言葉ですね。 それが貴君が生きてこられた教育屋という狭く小さな組織・職業以外の、無限大の世の中で受け入れられると本当に思ってるの? 世間では「奇異」としか映っていないことが全くわからないんだろうね。 現状に問題があるのなら、新たな改革案を論じ試行してみる、それに問題があれば新たな別の改革案・修正案を論じ試行してみる・・・・が普通の考え方。 現状に問題があるにも拘わらず、現状の体制・方法を変えることには問題ありとして、「どうせそんなの(改革案)上手くいくはずないから、勝手にやってみれば。結果が楽しみですなあ。」という趣旨の評論家的な言葉も、教師という無責任・万事他人事・守旧的な体質が染みついた証左ですなあ。 仮にも、教育屋ではなく教育者であるという自負が少しでもあれば、そんな趣旨の言葉が出るはずはないのですがねえ。 貴君の一言一言が、そうやって教育屋の(否定的な)体質を世間にあからさまにしていっていることすら、自覚できてないんだろうなあ・・・

papabeatles
質問者

お礼

まさしく日本に小学校が始まっていらい明治時代から指導主事の制度は続いていると思います。 長年若い(と言っても40歳ぐらい)教師を教育員会指導主事にスカウトして、指導主事が学校訪問や各種の会議や研究大会をリードしてきました。  先にお話した通り指導主事は非常にハードな仕事ですが、この仕事をすることです年後の校長が約束されていますし、その後の出世もニンジンのようにぶら下げられます。  しかし大阪ではこの出世のニンジンが使えません。ですから指導主事になりたい教師も教頭になりたい教師もいなくなったのではないですか?  日本の教育史上前代未聞のことです。  私はご存知の通り校長公募には反対ですが・・・・・・  大阪では公募の校長でなければ指導力がないと言うことになっているのでしょう?  それなら若手の教師を指導主事にするようにリーダーシップを発揮すればいいじゃないですか?  それこそ教師なんかにさせなくても民間の経営の視点で研究会を公募の校長がリードすればよいと思ます。  幸い学力テストもありますので、他県と比べることでどちらが優れているシステムかはっきりいたします   公募でない普通の地域ではどこでも自前で指導主事を育てております。公募の方が進んだシステムだと維新の会は思っているわけですから指導主事を公募すれば良いと思います。  私はあなたに言わせると旧式な人間ですから元指導主事で大阪の民間人の教育長の下で指導主事をしたいと思いません。  新システムの校長公募で指導主事が成立するのか?しないのか?来年度の人事が楽しみじゃないですか?

papabeatles
質問者

補足

http://f-sekiya2005.cocolog-nifty.com/novel_miyagitani/2014/01/post-ce3b.html 教育失敗学と言うサイトです。 教育の失敗は大阪でなくてもたくさんあります。今回は校長公募の失敗が指導主事の不在という結果を招いたようです。  維新の会のことですからなんとかなるのでしょうね。

回答No.1

いずれにしても、いくら同業者(教師・教育委員会)が「力量がある」云々を強調したところで、それは同業者内での内輪での話であり、社会からは「今の教師・教育委員会は全くまともな体・能力を成しておらず、外部の血をいれなければどうしようもないところまで堕落・腐敗している」と見なされているから、こういった意見が出されることを、謙虚に自戒するところから始めるべきではないですか? 今の教育屋さんに対する社会からの批判に対する、教育屋さんからの反論は、どれもこれも、警察批判に対する警察側の組織防衛を主眼とした抗弁や、相撲協会への批判に対する相撲協会側からの反論と「全く同じ」であること、具体的に言えば「今さら外部の血はいれたくなく、下のほうにチョロチョロと外部を入れるなり、実効性の無い〇〇外部委員会を作ってお茶を濁すだけで、身内だけで今まで通りやっていきたい」というものですね。 「警察のことは警察にしかわからないんだから」「相撲のことは相撲にしかわからないんだから」・・・、様々な角度からの従来からのやり方と全く異なった手法を取り入れることを排除し、その結果が警察・相撲協会の腐敗・堕落に繋がってきたことは自明。 そして教育屋さんたちも「学校のことは教師・教育委員会にしかわからない」・・・、噴飯ものと言わざるをえません。

papabeatles
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 教育委員会・指導主事はその市町村の教育を完全にリードするシステムです。 しかも今回は校長公募と違って素人なら誰でもいいと言うわけではありません。 橋本市長の論で言えば教育の全責任を負うのは校長ですからそんなもの無くてもいいと言いたいのでしょうか?  そうなると誰も指導主事になりたい人なんかいなくなります。この人事は本人は嫌と言えば絶対にできない人事ですので本当に指導主事がいない教育委員会になりそうです。  これまでは指導主事になれば人よりも早く校長になれる言うことでなり手が多かったのですが、今は校長はみんな公募になるのですから誰も指導主事になりたいと思う人はいません。  まあ、大阪は別世界だから指導主事がいない教育委員会でも何とかやれると橋本市長は思っておりのでしょう?