• 締切済み

関東を広東と呼ぶ(書く)事があった?

関東の名前の由来は、室町時代からそういう区分けがあったとか 関の東西で呼ばれたとかありますが、 室町時代は大雑把にいえば1400年頃であり、関が原でも1600年頃です ところが、1953年出版の三木茂著の研究論文に「広東」の記述があります 三木氏個人の感覚で書かれた誤字?なのかどうか、 以前に広東と呼ばれていた時期があったのか、教えてください

みんなの回答

回答No.4

江戸時代に箱根関が設けられてから,関東・関西が用いられるようになりました。 それ以前は東海道は足柄山,東山道は碓氷峠より東を「坂東」西を「坂西」と言いました。 古代には東方の遠国は単に「東国」とされ,万葉集には「東歌」が収録されています。 古典の類でも,「関東」は余り出てこないと思います。 「坂東武者」や「東えびす」はよく見掛けます。 「広東」は初見です。矢張り著者若しくは印刷上の誤字かと思われます。

g13-00
質問者

お礼

回答ありがとうございます 1番の回答へ詳細を書きましたが、確認したところ私の思い違いでした。 広東で問題なく、関東は間違いでした。 お手数をおかけしました。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.3

三関 ・福井県敦賀の愛発(あらち)の関 ・岐阜県関が原の不破の関 ・三重県の鈴鹿の関 を指します。 平安時代に愛発の関が廃れ、三関には滋賀県大津付近の逢坂の関が加わりました この三箇所で、日本を二分し 関東日本・関西日本に分けました。 後に、箱根の関から東を関東地方、不破の関(岐阜)、鈴鹿の関(三重)より西の京都周辺を関西地方、 その中間の不破/鈴鹿~箱根に至る地方を東海(中部)地方としました。 ※広東は 校正見落としの誤字では。活版組む時、文選工さんが間違えたとか\(^^;)...マァマァ 蛇足ですが 関西では おでん を関東煮 と称しますが、 これは 中国の 広東から伝来の料理なので 広東煮と称されたのが、 なまって 関東煮となったという説ありますね。

g13-00
質問者

お礼

回答ありがとうございます 校正は気がつきませんでした 印刷か手書きだったかどうかうろ覚えなので今度確認してみます (関東煮:調べてるときにみました。)

回答No.2

不和の関から西は関西 東が関東という位置づけです 関東は坂東とはよばれましたが広東は聞いたこと無いです

g13-00
質問者

お礼

回答ありがとうございます >関東は坂東とはよばれましたが広東は聞いたこと無いです 了解です。 私も聞いたことがなくて???だったので質問してみました

  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.1

少なくとも私は聞いたことがありません。 京都を中心とする地域から見て、箱根の関よりも東が全て関東という認識です。 現在では「関西人」などということが多くなっていますが、本来は「関西」という 言葉はなく、近畿地区周辺のみが人間が住む場所であり、箱根を超えると 「東人」のすむ地域という認識だったはずです。 1980年以降ならばワードプロセッサが普及した時代であり、 関東→かんとん→広東の入力ミスと考えられます。 しかし、1953年ではワードプロセッサのほとんどが単漢字入力の ものであり、読み入力ミスよりも類似文字ミスがほとんどの時代でした。 もし、よろしければ「広東」がかいてある本の出典を教えてください。

g13-00
質問者

お礼

早々のご回答ありがとうございます ワープロは1960年頃かららしいので、ワープロではないみたいですが 手書きではなかったような気がします。 一字毎の活版印刷での誤植は考えにくいのですが・・・ 出典を確認していますので、お待ちください 確認後、また教えてください

g13-00
質問者

補足

出典を確認しましたら、私の思い違いでした 三木茂氏は、メタセコイアの発見者で論文を書かれていますが、その表の中で原始品種の発見場所として中国地方、九州、本州と並んで広東と書かれていたので、関東と早合点した次第です。 ある種の発見場所が広東そのものでした。 お手数をおかけして申し訳ありませんでした。