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ズルイ奴が最終的に徳をする方法とは?
- 世の中自体が不条理なものなので、哲学などを学び、真理を追究してもなかなか幸せになれない所か、幸せから遠ざかって行く気さえします
- ここで、いらない感情が「罪悪感」です。それさえ生じなければ「ズル道」にまい進出来そうな気がします
- 是非、罪悪感を生み出さない方法、気にならなくなる方法などありましたら、その秘技を教えてください
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なるほどねえ そう言う風に考える事も出来る訳だ 昔では考えられない考えかたですねえ 森進一の「おふくろさん」と言う歌を知っていますか?YOU TUBEにも出てると思います 聖書の事も書かれてた様ですが・・・私はクリスチャンでも何でもないんですがね 聖書には「蛇のように賢く、鳩のように純真でありなさい」と書かれています。 つまり口は弁護士 心は少年 とでも言いましょうか それを目指す方が生甲斐や責任感 自負心等 力となる心が得られますよ この世の中の不条理は私も高校時代からテーマにして取り組んで来ました 結論は 存在を目指す事です 存在する事が目的なのです。何かを存在させてもいい 子供でもいい 作ってもいい 未来に描いてもいい お願いですから、そんな情けない事を言わないで下さい 心と現実が分裂しますよ 本音と建前が真逆になって 苦しむ事になると思いますよ。
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- Mokuzo100nenn
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>老齢にさしかかった頃、自分の間違いに気付いたら悲惨なコトになりそうなので一生通用しそうなものが良いです 自分には既存社会を変えることもできないし、近隣の他人様を幸せにすることさえままならない。 自分は、存在価値の少ない、虫けらの様な存在であるという真実を、しっかり自覚することではないでしょうか。
- 雪中庵(@psytex)
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自己中心的な意識に社会性を強要するモラルや法規は、 長い間の社会内淘汰によって発生したものです。 ゲーム理論において、協調性をもって相互作用する集団に おいて、利己的な個体が発生すると、その個体は巨利を 得て増殖するが、その結果、その集団自体が劣化して 淘汰され、結局その「利己的な個体」の性質は存続しない、 という結果が出ています。 「罪悪感を感じない」性質は、その個体の所属する集団の 劣化という形で消滅し、存続し得ません。 「集団の劣化」とは、周りに迷惑をかける、という事です。
幸せに近づくために、哲学されているんでしょうか。 》そこで、どういう人間が最終的に徳をするかというと 》「ズルイ奴」です 》口は弁護士、心は詐欺師というやつです 心と行動が分裂している状態は、幸せな状態とは思えません。 》人の嫌味や批判を気にしない大らかな性格になるより、こっちの方が 》ずっと早そうだなと思ったのがきっかけです 嫌味や批判が多いのは、世間の体質で、常に比較せざるおえないのです。 世間って日和見的ですから、振り回されるのは、自分が消耗するだけ。 「仮想敵」を想定したり、世間の共同幻想から創られた「神」や「正義」 や「悪」に振り回されるのは、馬鹿げたこと。 共同幻想の「神」なんて、最初からいませんから。 もしかしたら、ルサンチマンから「敵」とみなし、共同幻想の「神」を 無意識に置こうとしたのかもしれない。 好意のある批判なのか、嫌味や悪意のある批判なのかを、感じ取ること は大切でしょう。 好意は受け入れ、嫌味や悪意は、静かに避けていくだけです。 優劣の他者評価に苛まれるのではなく、誇りを持てるかが肝心です。
- Y Y(@yy8yy8az)
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ズル道、に邁進するために罪悪感を消したい、と言うので最初の回答になりましたが、心を軽くしたい、のならば・・・・・ それならば“ズル道”の道は選択できません。 なぜならば、それでは心は軽くならないからです。 心が軽くなるのは、あるいはそう感じるのは、“良心”にしたがっているときだからです。 昔、歌手でもあった坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」が大ヒットしましたが、心が軽ければ自然と誰でも上を向いて歩けるのです。 この歌のメッセージは、くじけそうな若者に希望と自信を持てというもので、好ましいほうの心“良心”に上を向いて歩いて、そして鬱々とした重い心を軽くしよう、と呼び掛けているんです。 好ましい心「良心(優しさとか向上心とか)」に背かない生き方ができると、心の軽さを実感出来るので、些細な事でも馬鹿にせず行って、こちらの心の働きを元気に働かせましょう。
お礼
なるほど ・・・しかし、この曲を発売している元の会社はヤクザとも繋がってるでしょうし、九ちゃんが興業をするにもきっとヤクザがからんできてるはずです 一般人の心を軽くするビジネスで 一番徳をしたのは社会のダニである彼らかも知れないと思うといてもたってもいられなくなるのです 正直者が常にバカを見るならやってられないと思ってしまうのです 回答ありがとうございました
>口は弁護士、心は詐欺師というやつです これはディペートの基本ですね(^^)。技術的には、いくらでも上手くなれます。 >ここで、いらない感情が「罪悪感」です >人の嫌味や批判を気にしない大らかな性格になるより、こっちの方がずっと早そうだなと思ったのがきっかけです ディペート技術の向上を目指し、「罪悪感」を持ちたくないなら、「人の嫌味や批判を論駁して除ける」だけの自分に対する、論理的全面自己肯定根拠を持つ事です。・・・これはけっこう、やりゃ~出来るかも知れない。 しかしその後、口は弁護士を防壁とした、全面自己肯定根拠の論理的防衛を首尾一貫して行うのは、人間はスパコンではないので、けっこう辛いんですよ。 むしろ「人の嫌味や批判を気にしない大らかな性格になる」方が楽かも知れない。それが出来れば、全面自己肯定根拠の「非」論理的防衛はたやすい。 その上でも、ディペート技術の向上は可能だ。あんまりやって欲しくはないけれど、まぁ~必要な範囲で・・・(^^;)。
お礼
大らかな性格の方が道が近いならそうしたいです とにかく心が軽くなりたいんです 心が弱いので・・・ 楽しい回答ありがとうございました
- hekiyu
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”罪悪感を生み出さない方法、気にならなくなる方法などありましたら、 その秘技を教えてください” ↑ どうして罪悪感なるものがあるのか、考えたことが ありますか? 人間は、生まれて親や家族と接し、他人や社会と 記号や情報を交換して、人格を醸成していきます。 その人格を醸成していく間に、己内部に規範が 造られるのです。 親から怒られ、失敗して痛い目に遭う、そういうのを何度も 繰り返している間に、そういう内部規範が築かれ ます。 その内部規範に反する言動をやろうとしたり、 やったりすると罪悪感が生じるという訳です。 だから、罪悪感を除去することは非常に難しい のです。 50年かけて築き上げた内部規範を壊すのには 50年、いやそれ以上かかるかも知れません。 だからやるとなれば、脳を手術するんですね。 そういう技術があるのか、判りませんが。 生まれつき、脳にそういう欠陥があるひとが サイコパスです。 手術してサイコパスになったら、罪悪感が 無いので、詐欺だけじゃすまないですよ。 最後は死刑台が待っています。
ズル道とやらに罪悪感を感じたくないなら、自分のやる事なす事、徹底的に正当化するといいです。他人に何と言われようが「全ては神の思し召し、今回はたまたまめぐり合わせが悪かっただけだ」とか「これは誰々のせいだ、俺は全然悪くねぇ、むしろ被害者だ!!!」と周囲の人間がドン引きするほどのデカい声で言い切る根性が必要です。 その際「勘違いしてるんじゃないか」などと自己批判しちゃダメです。恐らく、徹底した自己正当化と責任回避が、ズル道の肝になる筈ですから。要は気合です。嘘吐きは、まず自分から騙すものです。自分の嘘を信じきれない人が、他人を騙し続けられる訳がありません。 最初は不安かも知れませんけど、大丈夫。人間、楽な事には、あっという間に適応しますから。 自国の都合のいい様に捏造した歴史認識を押し付ける為に、アメリカの威を借りて日本を非難している韓国大統領の朴槿恵みたいに、堂々と自己主張すればいいのです。 まあ、朴槿恵は国益の為にやっている訳ですけど、あなたにもこうまでして「得」をしたい理由があるのでしょうから、ひたすら「得」する為に真実に背を向け、死ぬまで自分と他人を欺き続けましょう。 私には真実以上に欲しいものなどありませんから、あなたの気持ちは理解出来ませんし、正直、弱い人だな~とか、本心では何がしたいのかな~、などと思ったりするんですけど、よく思われたいなんて甘ったれた気持ちが残っているうちは、ズル道すら中途半端で終わるでしょうから、それこそ大きなお世話って奴ですね。 多少の損得には目もくれず、ひたすら自分がしたいと思う事をするストイックな生き方なんか、もう古い! 堕ちる所まで堕ちてしまえば、もう堕ちる事はない! 失う物がなければ、もう何も怖くない! ま、精々頑張る事です。
- Y Y(@yy8yy8az)
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人間の心は「個」に向かう方向性、あるいは性質と「全体」に向かう方向性(性質)があるようです。 俺が俺が、という気持ちを「個」に向かう“力(ちから)”としてうけとめて、自分より他者の事を思う気持ちを「全体」に向かう“力”とした場合、人の心は「個」に執着しすぎると罪悪感を感じ、「全体」に気持ちが向いているときは、誇らしささえ感じたりします。 日常生活で人間は「個」と「全体」との間でふらつきながら生きているので、それは、いわば心が綱引きをしている状態、と思ってよいでしょう。 「個」に執着して起こる罪悪感は、執着する心の反応ではありません。反対の「全体」への方向性を持った好ましいほうの心の反応です。 “良心”があるから、または“良心”が、罪悪感を感じるんです。 だから、罪悪感を無くすには“良心”をできるだけ小さくして、俺が俺が、という自身への執着心を育てる必要があります。 心は肉体と同じように、また筋肉と同じように使うほどに丈夫に成長するので、出来るだけ好ましくない方の心(罪悪感を感じない方の心)を使って育てましょう。 そうすればいつの間にか、罪悪感は起きなくなります。 悪の世界にどっぷりと浸かることです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 やや特殊な道になりますが 次の文章の述べているところが 成就したと捉えるなら 《罪悪感》は要らないと知られます。 ▲ (ヘブル書8:7-13)~~~~~~~~~~~~~~~~~ もし、あの最初の契約(* むろん モーセの)が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。 「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、 新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。 「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、 エジプトの地から導き出した日に、 彼らと結んだ契約のようなものではない。 彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、 わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。 「それらの日の後、わたしが イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。 「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、 彼らの心にそれを書きつけよう。 わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。 彼らはそれぞれ自分の同胞に、 それぞれ自分の兄弟に、 『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。 小さな者から大きな者に至るまで 彼らはすべて、わたしを知るようになり、 わたしは、彼らの不義を赦し、 もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」 (エレミヤ書 31:31-34) 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
- hirohk
- ベストアンサー率9% (8/83)
貴方の考え方には賛成できません。 ズルして徳ですか?どう言う意味でしょう? 私の持論は「人間は心のままに人生を歩む」と言う事です。 結果、”自分の心に誠実に生きる”のが一番良いということでした。 (ただし何事もポジティブに・・・) ですから貴方が罪悪感なしにズルして人を踏み台に出来る人ならそう生きれば良いという事になります。 しかし、そういう事をすると心が罪悪感で痛いと言うなら、自分の心に正直な生き方をすべきです。 それが>老齢にさしかかった頃、自分の間違いに気付いたら悲惨なコトになりそうなので・・・ を避けるただ一つの道です。 人生は競争何て考えると苦しくなります。 自分らしく淡々と生きることです。 まわりの友達から遅れる事もあるでしょう? 反対に羨ましがられることもね? その感情を達観できれば人生穏やかに暮らせるのではないでしょうか? 中国では塞翁が馬と言う諺があります。 まさに人生とはそういうものです。 そうそう、 心に罪悪感を持って生きた人は大抵短命です。 それは心が病むからでしょうね。 殆どの人は性善説で生きていますからね。
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補足
存在するコトが目的ですか 深いですね ・・・しかし存在する、存在し続ける、となると、やはりずるい奴が生き残るのでは無いでしょうか? これはあくまでも社会的な幸せかもしれませんね 家族の中ではこんな考えで気が休まるわけ無いですもんね 愚問ですいませんでした