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政党内閣と本格的政党内閣の違い~常道論について~
このサイトで私と同じ質問をされた方の記事を読んでいたのですが、 政党内閣と本格的政党内閣の違いについて、 結果常道論の有無とありましたが、 その常道論とはどういうものなのでしょうか。 私はいま原敬について調べていて、 初の政党内閣である第一次大隈内閣と 初の本格的政党内閣である原内閣の違いを明確にしたいので、 ご返答よろしくお願いいたします。
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- tanuki4u
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http://www.cirje.e.u-tokyo.ac.jp/research/dp/2004/2004cj107.pdf 日露戦後から第一次世界大戦の初めまで、政友会は衆議院の圧倒的な第一党で有り続けた。これを前提に、この時期、藩閥勢力と政友会が交代で内閣を組織する状態が続いた。いわゆる「桂園時代」である。政友会の成立によって、政党は政治システムの有力な構成要素となったといえる。 財政決定システムからの権力論とも言える論文。 要旨の部分が結構シャープだなぁ。 下位権力を上位権力は決定できる。 最上位権力はだれからも決定されない。 あるのは、慣習。 だから政党が慣習的に発言力をつけて、桂園時代に元老と政友会が政権を握った。政友会の権力の背景は衆議院での多数党であることと、伊藤博文、西園寺が元老であったこと。 図1 主要政党の衆議院における議席シェア この時期は、政友会が議会での圧倒的な多数派を形成していた。 原敬が政権を握れた理由に、元老の親分山県有朋の支援があったこともあります。 民政党が多数党になった段階で、元老じゃなくてもいいじゃん!もう山県もいないしさぁ。 イギリスだってそうしているよ なんてことから 慣習的に政党が内閣の責任を取るとなったので、常道やんと言われるようになった。
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E6%AC%A1%E5%A4%A7%E9%9A%88%E5%86%85%E9%96%A3 大隈総理大臣は、衆議院議員ではない。 首相の立ち位置が違う http://www2008.toyo.ac.jp/gs/kiyo/pdf/48/48-D-07.pdf 明治40年代からイギリスをモデルにした政党内閣制論 つまり桂園時代からだと思われる。 常道論ってのは、政党側が「イギリスをモデルにしましょうや」ってので桂園時代から言い出したことだから、大隈内閣時代にそのようなコンセプトがないので言い出しようが無かったんじゃないのかなと。