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河岸段丘ができる前の河川の流路や河床幅や水深
- 河岸段丘について、どのような河川の流路や河床幅、水深が存在していたのか疑問です。
- 段丘面が現在のように形成される前の河川の流れ方や地形について知りたいです。
- 河岸段丘の形成過程で、どのような河床勾配や流水量が関与していたのか興味があります。
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川路の氾濫原で行ったボーリング柱状図を見たことがありますが、 15mまで掘っても基盤(花崗岩など)は現れていませんでした。 川路地区には天竜川の氾濫原堆積物が10m以上堆積しているようです。 参考URLのPDFを見ていただけるとわかりますが、 500年間に川路地区での天竜川筋は、大きく変遷しています。 よって、天竜峡と鵞流峡の岩盤は、ひと続きではないと考えられます。 地盤の傾動か断層による相対的な沈降かはわかりませんが・・・。 また添付した図は、天竜峡の西、大明神原の天竜峡IC付近の地質断面図です。 最も高い地形面は10万年前以上、中央の窪地は7万年前以上に形成されたと推定されています。 花崗岩を覆う礫層と粘土は、天竜川本流の堆積物です。 10万年以上前は、天竜峡付近も川路地区のように堆積の場だったのでしょう。 下流の下條村阿知原付近は、大明神原の地形面より高位であることから、 このあたりが今の天竜峡のようになっていたのかもしれません。
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- toshineko
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ご説明してきたとおり、天竜川の東西に広がる平坦面は河岸段丘ではなく、 天竜川支流が形成した(複合)扇状地であるというのが今の知見です。 典型的な河岸段丘といえば、こちらのほうが王道でしょうか。 http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/11gatukara/sinanogawa/sinano/tosi/tunan/tunan-html.html 段丘ごとの比高が大きく、非常に見事な段丘群でした。
- toshineko
- ベストアンサー率44% (258/575)
伊那谷の形成過程について、良いHPがありましたのでご覧ください。 http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/ 館内展示・野外観察地 → (3)地形地質模型 へ進んでください。 「傾きながら隆起している赤石山脈」の画像をクリックすると見られます。 100万年前木曽山脈が隆起を始めてから、山麓に大規模な扇状地が形成され続けています。 9万年前頃から断層運動が盆地内にも達するようになり、 5万年前に最も天竜川が東へ押しやられたようですから、 完新世の堆積前の地形は、今とほとんど変わりなかったでしょう。 天竜川の氾濫状況はこちら。 http://www.ckk.or.jp/saigai/2011/36-01/36.html 天竜峡など狭さく部がボトルネックになり、上流側で氾濫しています。 この氾濫が大規模になると、扇状地末端の未固結堆積物が侵食されるのでしょう。 伊那谷の沖積層は、この氾濫部分にだけ堆積していると言って差し支えありません。 天竜川は、赤石山脈と木曽山脈から押し出されてきた土砂を、 下流の遠州灘に押し出すための排水路でしかありません。 ※ちなみに諏訪湖が造られたのは、約20万年前といわれています。 伊那谷の形成過程から見ると、より後期の出来事です。
補足
ありがとうございました。 ご回答をいただきながら、長くみていないで大変失礼しました。 天竜川の氾濫状況のサイトをご紹介いただき、とてもありがとうございます。 先日、別件で地学の専門家の方にお話をうかがったところ、河川の(一見側方侵食されたような地形)は、土石流の作った地形であり、そうした所では跡には平坦面が残るとのことでした。河川の下流側に固い地質の部分があり、そこに峡谷のような狭窄部があればなるほどそうなるのかなとも考えています。しかし、天竜川のこの部分は下流に天竜峡の狭窄部があり、上流に天竜橋がありその上流に鵞流峡という狭いところがあります。どこからの土石流が鵞流峡を流れ出て天竜峡に狭まれて川路駅付近を大きく側方浸食することができるのかが、まだ腑に落ちません。 川路駅付近 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.82273064414&latitude=35.452420220747 松川町付近 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.91869620652&latitude=35.588226316807 ただの水流(混濁泥水)ならば、浸水・土砂災害は起きても、側方浸食を大きくするようには思えません。更新世の寒冷期ならば植生も少なく土石流は頻繁に起きていたでしょうが、完新世でどのようなものでしょうか。特に、上下に水門があるようなところで、中間部に左右に広く浸食するものなのか、スッキリとしません。 また、上下に固い基盤岩のようなものが水門を作っている場合、中間部の河床高度は大体は平坦になるように思えてしまいます。先堀のようなこともあるのでしょうが、この川路付近の広い沖積層の下の基盤は深掘りされているのでしょうか。 伊那谷の形成過程のHP http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/ 館内展示・野外観察地 → (3)地形地質模型 http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex02-13topography-sub03.htm http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex02-13topography-sub04.htm http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex02-13topography-sub05.htm 『9万年前頃から断層運動が盆地内にも達するようになり、5万年前に最も天竜川が東へ押しやられたようですから、』 紹介していただいたサイトの図だと、100万年ほど前から隆起沈降が激しいようです。天竜川のこの付近で沈降(あるいは隆起)が南北の狭い範囲で起きて、鵞流峡や天竜峡付近は隆起したかのようになったのでしょうか。中間部の相対的に陥没した凹低地に、東西の隆起した山地から崩れ落ちた岩石や土砂が流れ込んで溜まるというような可能性もあるのでしょうか。 【急激に隆起する木曽山脈が崩壊して扇状地をつくるので、天竜川は伊那山地側に押し付けられています】という記載は、西から東に(現在の天竜川に垂直に)流れ込む支流のような流れが過去に色々とあって、そうした木曽山脈から東に崩れたものが、現状の川路駅付近の広い堆積面を作ったと読むのでしょうか。 https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php?lat=35.45150&lon=137.84194&z=13&layers=seamless_geo_detailed 『完新世の堆積前の地形は、今とほとんど変わりなかったでしょう。』というのは、具体的には、どのような状態・地形なのでしょうか。
- toshineko
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moto_koukouseiさん、飯田に来られたのですね。 伊那盆地の段丘地形は、河岸段丘ももちろんありますが、 大きな要因として以下のものがあります。 1)南アルプス側の上昇の大きい形動地塊 2)木曽山脈の上昇による木曽山脈山麓扇状地の発達 3)伊那谷断層群による連続した断層崖地形 特に3)により、天竜川が河岸段丘を形成したと思われているところが大きいです。 まず天竜峡と川路の氾濫原面の関係ですが、 国道153号が屈曲している場所に、NE-SWで北落ちの活断層が想定されています。 学校がある地形面は、3~6万年前に形成された段丘面ですが、 大明神原は完新世に形成された地形面です。 また水神橋付近でも、下流の鵞流峡との間にNW-SEで北落ちの活断層があります。 下流がダムアップしたために広い氾濫原ができ、洪水時に侵食崖が形成された。 そう考えてよいでしょう。 飯田美術博物館では、昨年「5万分の1 信州南部活断層地質図」を発行したしました。 定価4,000円、送料210円だそうです。 興味がおありならご購入されてはいかがでしょう。
- 参考URL:
- http://www.iida-museum.org/
補足
ありがとうございます。 「5万分の1 信州南部活断層地質図」の購入はちょっと、、、(高いし) http://www.jishin.go.jp/main/chousa/02jul_ina/f02.htm http://www.jishin.go.jp/main/chousa/02jul_ina/ > 国道153号が屈曲している場所に、NE-SWで北落ちの活断層が想定されています > 水神橋付近でも、下流の鵞流峡との間にNW-SEで北落ちの活断層があります 北落ちの断層があるのですか、、、、 それならば、下流にダムが出来た状態になってせき止め湖が出来そうだとは思います。 http://yahoo.jp/box/8F_rTF 諏訪湖が中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動で地殻が引き裂かれて生じた構造湖で新生代第三紀の終わり頃にできたとすると、天竜川が断層で途中に氾濫原を作った時期は、いつ頃のことなのでしょう。 大明神原(更新世段丘Q3:170)が完新世に形成された地形面で、学校がある地形面(完新世H:1)は、3~6万年前に形成されたということなら、、、、、? http://yahoo.jp/box/WG-ExL 広い氾濫原ができ洪水時に侵食崖が形成されたのだと、こういう地形になるのでしょうか。 鵞流峡、天竜峡のところは狭い峡谷のような感じですが、それぞれの上流は峡谷に比べるとのっぺりした地形で、川路駅付近は東西・南北ともに広がった河原・氾濫原のように見えます。 地質図を見ると、K1-2(130)(白亜紀深成岩・珪長質)の場所が、「153号屈曲部を開口部とし、天竜峡を底とする細長い口」を取り囲んでいるように見えます。完新世の地質の部分は水神橋よりも上流側に広がりながらずーっと延びています。 あたかも高水敷があり、側方に土手のように山麓があるような地形ですが、洪水時に氾濫原の側方に侵食崖を作ったのだとすると、どんな洪水だとこのようになるものでしょうか。 そもそも、完新世の堆積が始まる前、どのような地形がどのようなことで形成されていたのでしょう。 天竜峡や鵞流峡のあたりはかなり低くく、幅広い河床が上流から下流まで連続した地形であったけれども、あるときの地殻変動でダムのように堤状態で隆起してしまったのでしょうか。
- toshineko
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moto_koukouseiさんこんばんは。 見識の高いご意見、いつも感心しております。 さて、現在段丘面に当たるところの河川の流れですが、 扇状地によく見られる「網状流路」であったと考えます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E7%8A%B6%E6%B5%81%E8%B7%AF また扇状地では、河川の首ふりがよく行われ、扇の側面方向に移動することが多いようです。 段丘崖はこの時に形成されるのだと考えます。
補足
ご回答 ありがとうございます。 回答は見たのですが、「網状流路」のことも知らずにいたので、参考サイトを読んだり、読んでもわからずに、また探し回っていたこともあって、お礼が遅くなり、申し訳ありません。 とても勉強になったのは確かなのですが、私の基礎知識の不足や集中力理解力の不足、記憶力の減退がまぜこぜになって、質問事項は理解できていません。 網状流路は、岩床状態の場合とそうではない場合とがあるようですが、私が疑問に思っている天竜峡とその上流の地形に該当しないような気がします。 www.suiri.tsukuba.ac.jp/pdf_papers/ercbull22/2209.pdf 扇頂を頂点とした流路の変化「首ふり現象」や網目状の流路の形成で、側方向に侵食地形を作るというのが、この天竜渓谷の上流の地形を見たとき納得できません。側方侵食するには、それなりの流速でぶつかっていくか、側方がとても柔らかい土質でないと難しいように思います。 河川の出口が狭い天竜峡に限定され、上流部の河床勾配もさほどにはない状況で、広い河原が形成される(=周囲に比べれば比較的緩やかな緩斜面を作る側刻がおきる)ものなのか、わからないでいます。 豪雨時の土石流が谷間低地を埋め、谷底平野を形成し、平常時の河川が下刻して河岸段丘を作るというのは、勉強になりましたが、天竜峡の上流にある河原・氾濫原の低地地形を侵食で作れるのか、それがわかりません。 library.jsce.or.jp/jsce/open/00550/1997/03-0038.pdf 河川・河道内でヤナギ群落の消長が平坦面を作る要素になることがわかったことも、とても良かったです。 もとの質問文が適切ではなかったのかもしれません。 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.82117377083&latitude=35.450568462892 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.84883956285&latitude=35.481863056218 河岸段丘ではないように見える天竜川の天竜峡の上流の平坦地は、どうしてできたのでしょうか。 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.8388525825&latitude=35.470582189119 ここには河岸段丘のようなものがある。 ここでは段丘面を下刻しています。 しかし、それなりの段丘面もある。 どうしてできたのでしょうか。 この距離だけれども、上流とここでは、たまたま、河床(段丘面)の固さが違ったのでしょうか。
補足
『天竜川の東西に広がる平坦面は河岸段丘ではなく、天竜川支流が形成した(複合)扇状地であるというのが今の知見です』=『ご説明してきたとおり』 https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php?lat=35.46716&lon=137.85018&z=13&layers=seamless_geo_detailed 断層・木曽山地の隆起&伊奈谷の陥没で出来た地形に、凹地の伊那谷に木曽山地から崩れた岩石土砂が溜まり、それを天竜川が均して平坦面に仕上げたのでしょうか。 http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex02-13topography-sub05.htm