ちょっと漠然としたご質問ですね。もう少し絞っていただけると回答がつきやすいのではないかと思います。
それに小説の主人公というのは、たいてい何かしら心を病んでいるものと相場が決まっています。
物語と小説とどう違うのかという文章を読んだことがありますが(誰のどういう本だったかまったく失念)それによると、物語というのは主人公がまともで周りに妙なことばかりが生じるもの。小説というのは周りがまともで主人公が妙なことばかりするもの、なのだそうです。なるほどなあ、でした。
小説というのは市民社会の成立、進展とともに歩んできたものでしょうから、十九世紀以降の小説と呼ばれるものの主人公は、何かしら心のうちに尋常でないものを秘めていると解していいでしょう。そしてそれは多くの場合、病んだ心の状態であると言えなくはないでしょう。
古典といわれる小説のいずれかを開くだけで、そうした主人公たちが思い、悩み、行動し、愚行を繰り返しているのを目の当りにすることができると思います。彼らに共感できるかできないかはわれわれの問題となります。
少し抽象的に過ぎましたので具体例を挙げておきます。
スタンダールに「赤と黒」という小説があります。この主人公は、自分が世に出るためには権力か金が必要だと考えます。そしてそれを得るためには手段を選ぶべきではないと考え行動するのです。
バルザックの「従妹ベット」では放蕩貴族がココット(高級娼婦)に入れ揚げて財産のすべてを失います。
ドストエフスキーの「罪と罰」では、社会に害悪となる人物(小説では金貸しの老婆)は自ら手を下してもよい、そのほうが社会にとってもいいことだし、老婆もほんの少しだけ寿命を縮めるだけのことだと理屈をつけ、行動してしまいます。
これらの主人公が何か異常なことに取り憑かれていることは明らかです。