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日本語を勉強中の中国人の質問:デイビッド・セインの本について教えてください
- 日本語を勉強中の中国人がデイビッド・セインの『日本人が「使いすぎる」英語』について質問しています。
- 質問内容の要点は、デイビッド・セインの本で説明されている内容や添付された画像の意図について教えて欲しいということです。
- また、「ありがとう、でも大丈夫です」、「No,thank you」、「けっこう」などの表現についてニュアンスや正しい使い方についても知りたいとのことです。
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質問者が選んだベストアンサー
結構 という言葉は表現の仕方によって肯定と否定の両面の意味合いがある 質問者さんが肯定的な意味合いしか学んでいなかったのが混乱の原因です No thank you セインはこのフレーズを単独で使うと否定的な表現になる、と言っています 結構と同じく、表現の仕方で否定的な意味になるという事です 質問者さんが結構という言葉の肯定的な意味しか知らなかったのと同様に 多くの日本人がこのフレーズを肯定的な意味でしか認識していない、と とセインは言っているのでしょう セインはアメリカ人で日本人ではありません、テキストの表現を使用すると 和式英語(ネイティブ表現でない)になるという心配は不要でしょう 結構です、を ありがとう、でも大丈夫です に無理に置き換える必要はありません ただし表現の仕方によって否定的な意味合いになる という点に注意してください
その他の回答 (7)
動画は見ませんでしたが、添付された画像の状況では、100人のアメリカ人がいたら100人、 "I am fine." "I am doing fine." です。 No, thank you. と反応するところは聞いたことがありません。正解、間違っている、というよりも、どんな言い方が使われているかに重きを置くのが、英会話上達の早道です。 Mp, thank youがどうして間違っているか追求するよりも、より自然な英語を、理屈なしに覚えてゆくことを強くお勧めします。 英会話については、日本で勉強するより、母国の中国で勉強なさるほうが、上達が早いと思います。(中国語の英会話の本を参照になさると、日本風英会話の弊害が防げると考えます。)
お礼
ご親切に回答していただきありがとうございます。参考とさせていただきます。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
初めにセインさんの間違いは、もう気がついた人が沢山居る(下記)事を、指摘しておきます。 http://avery.morrow.name/blog/2012/02/david-a-thaynes-scam-on-the-japane/ 1。 かつて一回質問させていただきました。申し訳ありませんが、うまく状況を説明していなかったので、皆様の回答を拝見してよく理解できませんでした。 理解できない方が自然です。 2。 「ありがとう、でも大丈夫です」、「No,thank you」、「けっこう」はそれぞれどういうようなニュアンスでしょうか。 これには、もう既に優れた回答がありますので、、、 3。 「No,thank you」という英語は和式英語でしょうか。使ってもよろしいでしょうか。 いいえ、これは立派で、しかもごく普通の丁寧な「英語」です。日本語ではありません。 4。 「けっこうです」は婉曲的な断りをする丁寧な日本語だと日本語の勉強で習得しましたが、失礼な言葉になるのでしょうか。 いいえ、おっしゃる通りです。 5。 「けっこうです」と言う場合に、「ありがとう、でも大丈夫です」と言ったほうがよろしいでしょうか。 いいえ、「結構です」、の方が「ありがとう、」より丁寧です。 この漫画、ヘンですね。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。難しいですね。参考になりました。
- jjubilee
- ベストアンサー率75% (367/485)
>「ありがとう、でも大丈夫です」、「No,thank you」、「けっこう」はそれぞれどういうようなニュアンスでしょうか。 少し難しいかもしれませんが、じっくり読んで頂きたいです。 1)「ありがとう、でも大丈夫です」という表現は、最近の若者が「大丈夫。」という言い方でよく使いますね。 これは両者とも「(頂かなくても)大丈夫です。」そして正反対の「(頂いても)大丈夫です。」の両方の意味があるのです。状況に応じてその表現を聞いたものが「何かをあげたり、あげなかったり」します。そしてもしその何かが欲しくてももらえなかった場合でも、黙って笑って済ますのです。(そして家に帰ってぶつぶつと文句を言うのです。「あの時、あれ欲しかったな!」なんて。)しかしまたその人たちと会っても何事もなかったように過ごすのです。これが日本の社会です。 なぜこのようなことが生じてきたかというと、中国の社会と日本の社会の地理的・歴史的な決定的な違いがあるのです。中国は多民族国家で、自己主張を強烈にしないと生きていけない社会だと聞いたことがあります。しかし日本という国は歴史的には狭い国土の中に90%以上の人間が農民で、狭い平地を田畑にしてそこにへばりついて生活しないと生きていけませんでした。その上、支配者たちは一般の人間たち(農民・工業従事者・商人)をグループで生活させてきました。たとえば、長屋(5,6世帯の家族)が横に長い平屋に住まわせ、その中の誰かが罪を犯すと連帯責任を負わせその長屋全体が処罰されたのです。これは近代になっても似たようなことが起こりました。戦時中の「隣組」などは実は政府の草の根のスパイ組織でした。何か反政府的な思想・行動をとったものは引きずり出されたのです。このような状況の下で、なるべく波風を立てず、他人と同じように生活をし、同じ考え方をもった振りをし、いつも皆同じ、言葉も自己主張することなく、自分の意に反した行動をとられてもにこにこ笑って生活せざるを得なかったのです。このような民族としての癖・慣習は近代になってアメリカナイズされても根底の態度・言葉に厳然と残っているのです。 現代の学校でも集団宿泊訓練とか生徒同士に監視体制を作らせ、戦時中の軍隊の「班」というものを生徒間に作らせ、「班長」を選び、誰か悪いことをするとその班長が全責任を取らされ叱られるのです。何も悪いことをしていない班長が叱られ、他の生徒は悪かったと思っておとなしくなる仕組みです。この「班」という英語は"group"というよりも"squad"の方に近いでしょう。 「みんな同じでなければならない」という根付いた思想は、中国の方にはわかりにくいでしょう。だから言葉もどちらに取られてもいいような「(あってもなくても)大丈夫」や「(あってもなくても)結構」という"ambivalent"「両面価値」の表現ができあがったのです。学校でもいずれかの意味でも突出した生徒はいじめに遭う可能性が高いのです。「極度におとなしい生徒」「友達のいない生徒」「極度に優しい生徒」「頭の良い生徒で優しいタイプ」の生徒は、他の生徒とはやはり異なっているのです。そのような環境から争いをさけるような「大丈夫」という若者独自な言葉も生まれてきたと言っていいでしょう。 これまで述べてきたことは、多少誇張しています。争いごとが少しもないとか、いじめばかりあるとか、それは少し極端です。大昔に中国から「儒教」という実践哲学が日本に入ってきました。しかし支配者階級はその中の「易性革命」という思想は教えから削除してしまいました。「天子(支配者)が民衆の意に反した政治をすると、民衆はその天子(支配者)を取り替えてもいい」という革命思想です。もちろんこれは江戸時代のことですが、そのころから民衆はすごく争いを起こさないおとなしい民衆へと育成されてきたわけです。明治維新というのがありますが、あれは日本の民衆内部から起こった革命ではなく、諸外国特にアメリカに開国され、結果として明治政府ができあがったというわけです。少し話がずれましたね。 日本では、子供の頃から「みんなで~しましょうね。」「・・・君、どうしてみんなと遊ばないの?」などと皆同じことをするように育てられてきています。次第に言葉の言い回しも、皆が同じように感じ、皆が不平を言わないように育てられています。それでも人が人を非難する時は「みんなが、あいつのことをおかしいと言っている」などという表現をします。この場合の「みんな」とは誰のことでしょうか?架空の「みんな」のことです。 というように争いごとが起こらないような言葉遣いを皆がしているというわけです。しかし皆がこのやり方を踏襲しているとは限りません。かなり個性的な人間も増えてきました。 >「No,thank you」という英語は和式英語でしょうか。使ってもよろしいでしょうか。 *** これは和製英語ではありません。完全な英語です。日本語として使っている人はごくわずかでしょう。それも本当の英語を知らない人が「ノー、サンキュー」と日本式の発音で言っています。このような人はこれ以外の英語は知らないと言ってもいいでしょう。前回淡雪さんの質問の絵の解説は日本人の私でさえあまり理解できませんでした。この絵の説明の仕方があまりにも曖昧で、「日本語という言語世界」と「英語という言語世界」をどちらの側の世界で考え説明しているのか説明者がはっきり分からずに説明しています。音楽のハ長調(C-major)のメロディーをヘ長調(F-major)のメロディで解釈しているようなものです。この調性のことを社会学用語・心理学用語で「ゲシュタルト( Gestalt)」という考え方がありますがこれが崩壊している絵の解釈です。ですからこの絵だけから、理解するのは中国の方でも日本人でもはっきりとは分かりません。分かっている日本人がいるのはこの絵の解釈で分かっているのではなく、本人の今まで生きてきた日本の社会の慣習から理解しているだけです。この絵の解釈の矛盾点を正確に説明することはできますが、今日はずいぶん長く書きましたので、またの機会にでもいたしましょう。 >ここからは日本語の質問に入ってしまって申しわけありません。「けっこうです」は婉曲的な断りをする丁寧な日本語だと日本語の勉強で習得しましたが、失礼な言葉になるのでしょうか。「けっこうです」と言う場合に、「ありがとう、でも大丈夫です」と言ったほうがよろしいでしょうか。 *** 「結構です。」とぴしゃりと言ってしまうと、"blunt rejection"のように聞こえます。「ありがとう、でも大丈夫です」の方が断然いいです。"Thanks but no thanks."とほとんど同じと考えていいでしょう。 >私のなかは「けっこうです」は礼儀正しい丁寧な日本語の言葉という認識があるので、この本の説明が理解できなかったわけです。 *** 昔は「結構な」という形容動詞(形容詞の一種)は、"positive expression; affirmative"な意味に使いました。「結構なお味でございました。」なとと言うと「おいしゅうございました。」ということですが、最近ではこれを言うと、気取った言い方と取られるでしょう。 かなり難しいことを言いましたが理解できない箇所がありましたら再質問してください。今日はこれでお休みなさい。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございました。いろいろとても参考になりました。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1464/3823)
添付された画像について、デイビッド・セインは 日本人のご婦人が ”英語のやり取りで” 本音は「ありがとう、でも大丈夫です。」 と丁寧にお断りしたつもりが、ここで 「No,thank you」、と言うと アメリカ人には 「けっこう です!」 と無下に(つっけんどんに) 断られた と受けとられますよ。 と注意を促している状況です。 飲み物を奨めたアメリカ人の女性も 「せっかく奨めたのに。。。」と 少し気分を悪くしています。 (あくまでも英語での会話時でのことです。) ここで デイビッド・セインは 日本語 の説明をしているのではなく、 日本人が 英語で応答した時に間違い易い意味の違いについて説明しています。 日本語で 「結構です」 は 丁寧にいう場合は 「今は結構です。ありがとう。」 と言えば丁寧ですが、 単に 「結構です」 の場合は 発音の仕方で ”拒否” の意味合い と ”丁寧な意味合い” の2つに分かれます。 繰り返しになりますが、デイビッド・セインが指摘したのは この画像の場面で 「No,thank you」 と言うと アメリカ人には ”拒否” の意味合い の 「結構です」 に とられてしまいます。。。ということですね。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございました。わかるようになりました。大変参考になりました。
- cincinnati
- ベストアンサー率46% (606/1293)
>「ありがとう、でも大丈夫です」、「No,thank you」、「けっこう」はそれぞれどういうようなニュアンスでしょうか。 No, thank you.は基本的に丁寧な英語で和製英語ではありません。日本語にしますと、相手の申し出に対して「No」と述べているのでそれだけではそっけなくなりますので、そこで「thank you」をつけて「お申し出ありがとう」と誠意を表わしていると思います。日本語の「けっこう」も基本的には丁寧な言葉であり、フォーマルな状況でつかわれるという意味では「No, thank you」と同じと思います。つまりどちらも学生や気心の知れた間ではあまり使わないと思います。ただし「けっこう」は「けっこうです」と述べてフォーマルになります。「けっこう」だけですとそっけなくなります。 >「No,thank you」という英語は和式英語でしょうか。使ってもよろしいでしょうか。 和製英語ではございません。 >ここからは日本語の質問に入ってしまって申しわけありません。「けっこうです」は婉曲的な断りをする丁寧な日本語だと日本語の勉強で習得しましたが、失礼な言葉になるのでしょうか。「けっこうです」と言う場合に、「ありがとう、でも大丈夫です」と言ったほうがよろしいでしょうか。 「けっこうです」でほとんどの場合問題ないと思います。失礼な言葉にはなりません。日本語も英語も言葉を長く連ねて、ご自分の気持ちを述べることは、誠意や気持ちをより伝えようとしているということでより丁寧に聞こえると思います。おそらく中国語でも同じと思います。従いまして、「ありがとう、でも大丈夫です」はより丁寧な対応になると言えます。 >私のなかは「けっこうです」は礼儀正しい丁寧な日本語の言葉という認識があるので、この本の説明が理解できなかったわけです。 淡雪さんの理解で間違いないと思います。むしろこの本の説明は言葉が足りないと思います。どのような言語であれ、話しての態度や表情によって反対の意味をあらわすことが出来ますので、たとえ「No, thank you」と述べても表情で不満を表明することも可能です。とくに日本では情緒的な対応が求めらる文化的な背景があると思います。従いまして、「誠に申し訳ございませんが、いまお申し出を受けることができません。」などと気持ちをのべると日本人はすんなりとうけいれるようなところがございます。英語の文化は少しばかり論理的な対応が好まれるように思います。それで「No, thank you」は十分丁寧語なのだと思います。 >(図の説明より引用) No, thank youとだけ言うと相手に「けっこう」とそっけなく聞こえてしまうこともある。 引用されおります英語の本の上記の説明は上に述べましたように説明が足りないと思います。「聞こえてしまうことがある」と述べておりますが、その通りだと思いますが、それも言い方によりますし、表情がどのようになっているか、しぐさが恐縮しているのか横柄になっているかで受け取る意味は反対になることがあります。 >また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 すばらしい日本語です。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございました。参考とさせていただきます。
- cbm51901
- ベストアンサー率67% (2671/3943)
#1です。補足です。 テキストでは 「けっこうです」 ではなく、「けっこう」 となっていました。 「けっこうです」 は丁寧な断り方ですが、「けっこう」 は高飛車、高慢、偉ぶった言い方で、失礼にあたる場合があります。 ニュアンス的には、 「けっこうです」 ≒ 「No, thank you. (Not for me, thank you.)」 「けっこう」 ≒ 「Not for me.」
お礼
再びありがとうございます。「けっこう」のニュアンスは大変参考になりました。
- cbm51901
- ベストアンサー率67% (2671/3943)
かっこ( )の中が隠されたニュアンスです。 「ありがとう、でも大丈夫です」=「(お気持ちは嬉しいです)ありがとう、でも大丈夫です(お断りします)」 「No, thank you」 = 「No (I don't want it), (but) thank you (all the same)」 「けっこうです」 = 「お気持ちは嬉しいですがお断りします」 > 「けっこうです」は婉曲的な断りをする丁寧な日本語だと日本語の勉強で習得しましたが、 その通りです。上で示した通り、丁寧な断り方です。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。参考になりました。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。大変参考になりました。