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「他人は自分を映す鏡」の使い方
「他人は自分を映す鏡」の使い方に関して質問です。 周囲に対して優しかったり気遣いのできる人に対して、その態度に共感したり感化されたり、その人柄に惚れて集まって来ることに対して、「他人は自分を映す鏡」と使うのは誤用、もしくはちょっと意味がずれているのでしょうか。 誤用であれば的確な慣用句や格言を教えていただけますでしょうか。 思い浮かびません…。
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#2です。 内省的な意味で使う、という#3さんのご見解に関して、自分自身で使う場合はそのとおりと思いますし、それが一般的な使われ方でしょう。 わたしの回答内容では、重要なこの点に関して言及していなかったことを認めます。 いずれにしても、心理的な構図として、ある人が他人を評価する場合、その評価は、即ち自分自身に対する評価でもある、ということです。 自分が持っている素質だからこそ、相手のそれに気づくことができるわけです。 第三者が客観的に観察する場合は、良い面も鏡と言って不自然ではないでしょう。 ただ、自分自身で自分の良い面を、わざわざこうした表現を使って言うのは不自然ですから、あくまで内省的な意味で使われるのが一般的である、ということになるのだと思います。
その他の回答 (3)
>囲に対して優しかったり気遣いのできる人に対して、その態度に共感したり感化されたり、その人柄に惚れて集まって来ることに対して 「類は友を呼ぶ」という成句がありますが、この方が近いと思います。 >「他人は自分を映す鏡」 無関係とはいえませんが、このばあいはよくも悪くも自分の行動が他人にどんな反応を与えるかで自分も学べるというほどの内省的な意味があるのではないでしょうか。
- hakobulu
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1. 「他人は自分を映す鏡」とは、心理学的に言うところの「投影」を指すものと言って良いと思われます。 たとえば、 「あの人は、周囲に対して優しかったり気遣いのできる人だ」という評価をする人は、その本人自身が「周囲に対して優しかったり気遣いのできる人」である場合が非常に多いのです。 自分がそうなので、他人の同じような面に気がつくわけです。 自分自身にそういう素質を持たない人が他人を褒めたりするのは、極めて稀だと思います。 自分が持っていないものに気づくことはできないからです。 このように、あくまで基本的な基準ですが、 「他人に対して何らかの評価をしようとする場合、その評価の内容は、自分自身にも存在しているものである場合が多い」 ということになるように思います。 つまり、端的に表現すると、何らかの評価を下そうとする対象である他人は、自分自身を映している鏡のようなものである、ということになるのでしょう。 2. 中国の史記に、「桃李物言わざれども下自ら蹊を成す」(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす) という表現があります。 「 徳のある人のもとには、黙っていてもその徳を慕う人々が集まってくるということ。『史記・李将軍伝賛』にあることば。桃やすももは何も言わないが、美しい花を慕い、熟した実を求めて人々が集まるので、木の下には自然と小道ができる」といった意味。 http://thu.sakura.ne.jp/others/proverb/data/to.htm 他では、「声なくして人を呼ぶ」という格言もあるようです。 http://www.proverb.jp/proverb2060.html
- Nakay702
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>周囲に対して優しかったり気遣いのできる人に対して、その態度に共感したり感化されたり、その人柄に惚れて集まって来ることに対して、「他人は自分を映す鏡」と使うのは誤用、もしくはちょっと意味がずれているのでしょうか。 >誤用であれば的確な慣用句や格言を教えていただけますでしょうか。 誤用とまでは言えないかも知れませんが、内容的にもっと近い格言があると思います。 ⇒「徳孤ならず、必ず隣(りん)あり」(論語) =徳行のある人は、その人の感化が周囲に及び、つき従ってくれる者が必ず出てくるものだ。