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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:道返大神設置後の根堅州国との往来について)
根堅州国への往来について
このQ&Aのポイント
- 根堅州国への往来に関する神社や宮内庁、日本神話の研究者たちの解釈を教えてください。
- 根堅州国への通り道である黄泉比良坂は、伊弉諾尊が置いた道返大神によって塞がれているとされていますが、大穴牟遅神や須佐乃袁尊が根堅州国へ往来した例もあります。
- どのような解釈がなされているのか、情報源とともに教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
これは研究者によっても諸説あるようです まず、黄泉比良坂によって往来を遮断されたのは「黄泉國」とされています 「古事記」の記載において、素戔嗚尊が根堅州国を母の国と呼び、黄泉比良坂がその入口であると表されており 一般に「黄泉國」=「根堅州国」とされていますが、日本書紀にはその記載がない。 一般に流布している「大国主」の神話においては、黄泉比良坂ではなく、木の股をくぐって根堅州国へ向かっているような表現も見られる。 またその前に、大国主が死す場面があること。 日本書紀に「黄泉比良坂は死の瞬間を例えたものであり、具体的な土地ではない」という意味の注釈がつけれている点など また大祓の祝詞においては「根國」を海底(あるいは海の果て)としている。 確か柳田國男だと思ったが、これを根拠に、根堅州国を沖縄信仰の「ニライカナイ」と同一、竜宮に通じるものとして論じていいた記憶がある。 つまり、黄泉比良坂が千引の大磐に塞がれた後も、そこ以外の往来路があるとする者 そもそも「黄泉國」と「根堅州国」は異なる、とする者など、諸説ありです
お礼
御回答頂き有難う御座います。 >「古事記」の記載において、素戔嗚尊が根堅州国を母の国と呼び、黄泉比良坂がその入口であると表されており >一般に「黄泉國」=「根堅州国」とされていますが、日本書紀にはその記載がない。 との事ですが、日本書紀においても、本文ではないものの、卷第一の第五段の一書六において素戔嗚尊が、母のいる根国に行きたくて泣くだけと言っております。 【参考URL】 日本神話の御殿 > 日本書紀(神代) > 第五段 一書 (6) http://j-myth.info/nihongi/nihongi01c.html#05_06 古代史獺祭 > メニューへ直ジャンプ > 史料 列島編 (サブサイト)へ > 日本書紀 のメニューへ > 卷第一 > 第五段 一書 第六 http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/01/05_06/fr.htm 仮に、日本書紀の本文のみを重視して、一書は無視するという立場を採った場合には、そもそも日本書紀本文には大穴牟遅神が根堅州国へ行った話が無いようですので(卷第一の第八段の一書六にはありますが)、日本書紀は本件とは無関係という事になってしまいます。 それに、日本書紀は古事記以上に、大和政権にとって都合の悪い事を隠すために意図的な取捨・改竄が随所に行われている、と言われている様ですので、日本書紀をあまり重視する事には疑問を覚えます。 >また大祓の祝詞においては「根國」を海底(あるいは海の果て)としている。 >確か柳田國男だと思ったが、これを根拠に、根堅州国を沖縄信仰の「ニライカナイ」と同一、竜宮に通じるものとして論じていいた記憶がある。 それはもしかしますと、根堅州国自体の話ではなく、常世の国の話ではないでしょうか? 常世の国は確かに根の国と同一視される事もありますが、黄泉の国と根の国との関係ほどには同一視されてはおらず、どちらかと言いますと海の彼方にある理想郷のような扱いだった様に記憶しております。(何しろ地下にあるとされる黄泉の国や根堅州国とは存在している場所が違います) 処で、仮に黄泉の国や根堅州国と、海を超えた先にある国を同一視した場合、葦原の中つ国と黄泉の国を繋ぐ道である黄泉比良坂を岩で塞ぐ事など出来ない事になりますから、その説では伊弉諾尊が千引きの大岩を置いたり、その大岩を挟んで伊弉諾尊と伊弉冉尊が言い合いをする場面は、後世に付け足されたものとしているのでしょうか? それは兎も角として、色々な説を御教え頂き感謝致します。