>皇帝は武力はあるけど権威がない。一方教皇には権威があるものの軍事的に弱い。そこで権威が欲しい、守って欲しいという両者の思惑が一致して戴冠に至った、という理解で大丈夫でしょうか。
権威あってこその武力です。カール大帝は一人で戦っていた訳ではない。国民、諸侯、豪族の支持があってこその武力です。兵士だって、この戦いが正しいものだと確信しない限り士気など上がらないし、カール大帝の命令も浸透しないのです。
ローマ教皇の権威はアタナシウス派キリスト教徒にとっての権威であって、異教徒やアリウス派キリスト教徒にすればローマ教皇など何ほどのものでもありません。ランゴバルド王国はアリウス派キリスト教だったんです。だから平気でローマ教皇を圧迫することができたのです。アリウス派キリスト教ばかりのゲルマン諸王国に取り囲まれていたのではローマ教皇は生きた心地もしないところでした。だから同じアタナシウス派キリスト教徒の東ローマ皇帝に税金払って、それまでなんとか守ってもらってきた。
それが東方情勢の変化とアタナシウス派キリスト教に改宗したフランク王国の成長で、ローマ教皇は路線変更で、フランク王を新しい守護者とするという発想が浮かぶのです。
フランク王とローマ教皇の業務提携、二人三脚、give&takeはカール大抵の父親のピピン3世から始まっています。ピピン3世はフランク王国の実権を握っていたが王ではありませんでした。そこでローマ教皇に諮問します。ピピン3世がフランク王になるべきだとの答申を得て、フランク王に就任します。その見返りがピピンの寄進です。
以来、フランク王は、異端のアリウス派を討つという大義名分を立てて、武力外征を正当化することができた。カール大帝がランゴバルド王国を滅ぼしたのはアタナシウス派キリスト教徒にとって拍手喝采だったのです。尊いローマ教皇を脅かすアリウス派一味を滅ぼすといえば、アタナシウス派キリスト教徒の兵士は喜んで命を捧げるのです。
カール大帝は、この外征は私利私欲の侵略戦争などではなく、正しいアタナシウス派キリスト教を広める為なのだと正当化でき、それを国民、諸侯、豪族が信じたから、数々の外征を成功させて領土を拡大できたのです。名目の無い武力など存在しない。
一方、ローマ教皇もアタナシウス派キリスト教の勢力圏が広がることで、さらに権威を高めることができました。異端のアリウス派ゲルマン諸王国は全部滅びてしまった。
カールの戴冠の意義は、フランク王とローマ教皇の二人三脚を一時的なものでなく、恒久的・永続的にする為の既成事実作りです。カールの代に留まらず、後の代に至るまで、ローマ教皇の承認を得ないとフランク王になれないという既成事実をローマ教皇が作ろうとしたのです。そうはいってもまだ東ローマ皇帝は権威を失った訳でもない。カール大帝は、東ローマ皇帝の承認も欲しいと考えていました。
元は同じ流派だった教会がレオン3世の聖像禁止令を巡って東西に分裂していくことになります。カールの戴冠は、レオン3世の聖像禁止令を受けて、聖像禁止令を受け入れられないローマ教皇が東ローマ皇帝の干渉を跳ね除ける為の基盤づくりの為であったのです。
だからどちらかというとカールの戴冠は、ローマ教皇主導であって、カール自身がそう運動した結果ではありません。カールにすればまんまと利用されてしまったといった意味が強い。もっとも単に利用されただけでなく、カールにも利があったことでお互い利用しあうという関係でもあったのです。
お礼
目から鱗が全部落ちた感じです! 詳しくありがとうございます!