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「海ゆかば」の現在語解釈について

海ゆかば( 海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の邊にこそ死なめ  かえりみはせじ) の現代語訳は以下と言われています。  海で戦って死ねば、死体は海水に浸かって浮かぶだろう。  山で戦って死ねば、打ち捨てられた死体は草に覆われるだろう。  天皇のおそばで死ぬのだから、決して後悔はしないぞ でも私は個人的に以下では?と思っていますが間違いですか?  私が海に行った時、水に漬かった兵士の死体を見た。  私が山に行った時、草むす兵士の死体を見た。  天皇のそばでは死ねなかったが、彼らは決して後悔してない。(と私は思う。)

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

    みんなひと様々ですから、いろんな読み方があるのでしょう。僕は現代語訳の方が原意に近いと思います。     原文では「~のヘにこそ死なめ」ですから「~の近くで死ぬのなら」というまだ起こっていない仮説の話で、「~の側では死ねなかった」と過去にとるのは妙だと思います。     「かへりみはせじ」も話者の決心で、「彼らは決して後悔してない」と三人称複数に読むのは間違いだと思います。

mandegansu
質問者

お礼

回答有難うございます。

mandegansu
質問者

補足

若い大伴家持が天皇の為なら喜んで死ねるという陳腐な歌なのですね。 私の解釈「年老いた大伴家持が若い兵士の死体を見て彼らは決して後悔していないと涙する。」の方が遥に心を打つものがあるのに残念です。

その他の回答 (3)

  • banzaiA
  • ベストアンサー率16% (100/595)
回答No.4

>天皇のそばでは死ねなかったが という解釈はいかがなものかと思われます。

mandegansu
質問者

お礼

回答有難うございます。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.3

検索したらなるほどというのが出ました。 もともとは天皇陛下を守るための長であった大伴氏の大伴家持が万葉集に収録したもの。 海をゆくなら水につかる屍ともなろう。山をゆくなら草の生えるしかばねともなろう。 わが魂は天皇陛下の足元にこそあるのだ。決して後ろを振り向くことはない。 一般に歌われた歌は、昭和12年 信時潔によって作曲されたもの。 天皇への忠誠を詞にしたものですから、当事者の決意、もしくはそうであろう、 そうでなければならぬ。ということだとおおいます。 質問者さんとは違った見解です。  、

mandegansu
質問者

お礼

回答有難うございます。

  • j-mayol
  • ベストアンサー率44% (240/540)
回答No.1

海ゆかば 文法的に説明すれば 未然形+ば の形ですから 順接仮定条件を表すことになります。 したがって 「もし海を行けば」と解釈するのが適切だと思います。

mandegansu
質問者

お礼

回答有難うございます。 >・・「もし海を行けば」と解釈するのが適切だと思います。 納得です。

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