「価値観は人それぞれである」なんて当たり前でしょう。この発言は、各人はそれぞれ価値観をもっているという事実を述べたものでしかない。
そうではないなら次のようになるでしょう。「人はみな価値観をもつのだから、他人の価値観に口出しするべきではない」。ならば、他人がすることや言うことの一切に異を唱えることは、なすべきではないとなる。しかし、「他人の価値観に口出しするべきではない」という発言をした者は、この発言によって話相手に対してすでに口出しをしてしまっている。なぜなら発言者は相手に対して「何々するべきではない」と言っているのだから。ゆえに発言者が自分の発言に忠実であるなら、そ「何々すべきではない」と発言すべきではない。この反論に対して当の発言者が屁理屈だと言うなら、どこがどう屁理屈なのかを聞けばよい。また、こうした考え方を「屁理屈」というネガティブな語で評価することは、他人の考え方すなわち価値観に対して「口出しすべきではない」という発言に違反している。
「価値観は人それぞれ」がこのような意味ならば反論としてはこれで十分でしょう。まず「人それぞれ」がどういう意味なのかを尋ねる。そして、相手の発言に真っ向から対立するのではなく、相手の発言にこちらがより忠実であることで、相手が自らの発言に忠実ではないことを明らかにする。
「仕方がない」。どれだけこちらが正論を述べても相手に自分の言うことを聞かせられないという意味ならこれも当然。どういう文脈での「仕方がない」発言なのかわからないため、私には考えようがないです。
日本人の話をしてるんだか人類の話をしてるんだかわかりませんが、生まれた家庭の経済的水準は明らかに異なる。塾に通うことに経済的な難のない家庭もあれば難がある家庭もある。インドの貧困な寒村で生まれたなら親によって他人に売られて不衛生な娼館で働かされたりする。その日の食事を調達するにも困難な人もいる。私はこうした人と競争するまでもなくライフラインの整った国に住んでいる。スタート地点がまったく違う。そもそも同じ競技に参加している競争者ですらない。
争いがなければ平和になるなんて日本だから言えること。大企業の傘下の下請け零細企業は大企業と競争なんかしていない。そこには一方的な搾取がある。消費税増税も仕方がないと言われますが、それによってどれだけ中小零細が痛手を被るか。消費税が上がる一方で大企業への課税なんてほとんど話に上がらない。
質問はともかく、あなたの平和観は無骨だと思います。
お礼
趣味趣向では「人それぞれだ」という価値観は成り立つが、もはや貿易により世界中の物流で地球上の人類は「1つの生命」と言える(意識の上ではビジネスとして金を奪い合いながら・・・)。よって、その生命に貢献するか否か、という「1つの価値観」で、仕事等全ての判断は成されるべきである。 だが日本の現状はご存知のとおり「会社の私物化」「生活苦を恐れながらの労働」であり、前述した『「1つの価値観」=人類全体への貢献度』により、仕事上の判断(価値観)が下る事は稀である→「ご都合主義・日和見主義・場面場面で論ずる内容が矛盾だらけ・独裁者なきファシズム」。 私が、あなたにプレゼントできる事は「競争」という言葉が解説してくれる。つまり、我々は、【お互いのスキルを『競い』こそすれ『争う』必要はない】。という事のみである。 どうか争わずに・・・平和に・・・。仮に争えば、この惑星上のヒトの幸福量の総和は最大化へ向かうか?想像してみて欲しい。 回答ありがとう。^^/