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なんでバルティック艦隊に勝てたのですか?
坂の上の雲 を見ましたが、 日本艦隊はバルティック艦隊に最初 船の腹を見せるように 行動したそうですね。 ロシア側は ここぞとばかりに攻撃したそうですが、 そのあとなぜか バルティック艦隊は壊滅状態に。TVの解説では なんで日本が勝ったのか わたしにはわかりませんでした。どなたか わかりやすく 解説していただけないでしょうか?
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>わかりやすく 解説していただけないでしょうか? 先ず、多くの方が「日本艦船との戦法」について説明していますよね。 が、これは「戦う前から、ロシア艦隊に不利な点」がありました。 ご存知の様に、バルチック艦隊は「ロシアのリバウを1904年10月15日に出航」しています。 そこから、イギリス・フランス間のドーバー海峡を進み+11月1日は、スペインのヴィゴ。11月16日は、アフリカのダカール。12月1日は、ガボン。12月7日は、グレートフィッシュベイ。12月16日は、アンゴラペケナ。喜望峰を経て、1905年3月18日はマダガスカル島のシノベ。5月9日は、ベトナムのカムラン。そして、日本海に突入しています。 寄港地が、非常に少ないですよね。 つまり、アフリカ・アジアを植民地支配していたイギリス・フランス等の列強は、「ロシア艦隊の寄港を拒否、若しくは、寄港しても食料・水の供給を拒否」しているのです。 乗員も、上陸を拒否されたままです。 ロシア艦隊の各艦船は、「乗員・弾薬以外に、多くの食料を満載して航行」したのですね。 ※原付に、関取が乗車している状態です。^^; つまり、艦船の性能が著しく劣った不利な状況で開戦となった訳ですね。 通常、日本軍がとった作戦では「ロシアの大勝」です。 が、動きが鈍いロシア艦隊では訓練時の性能が発揮出来ませんでした。 照準を合わすにも、訓練時の動作が出来なかったようですね。 日本海海戦結果は、世界中に衝撃を与えました。 まさか、日本が勝利するとは・・・。 当時、ロシアの圧力を受けていたフィンランドは大喜びでした。 今でも、ビールと言えば「東郷ビール」なんですよ。 ※ビールのラベルに、東郷平八郎の肖像が載っています。貼付画像参照。 突撃将軍と揶揄される乃木希助に比べて、(結果的に)評価は高いです。 公式な回答では、陸軍国家のロシアと海軍国家の日本の戦い。 海戦では、日本が有利です。詳細は、他の回答の通り。
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- princelilac
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他の方からの回答にあるようにち、帝国海軍の作戦、敵艦の状態や敵兵の戦意…、恐らく勝因はこの中から出るでしょう。しかし下瀬火薬という、当時は危険すぎて(保管中に爆発するなど)実用化できなかった爆薬を、日本が初めて実用化に成功し、それを日露戦争で使いました。これが一員であるとする見解もあります。
補足
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- PENPENMAKKY
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艦隊運動で勝った訳ではありません 日本海軍の目的はバルチック艦隊を撃滅すること ロシア海軍の目的はウラジオストクに到着すること 日本海軍は決戦と考えていたので甲板に積載していた予備の石炭を捨てて対馬に向かったのに対して、ロシアはウラジオまでの石炭と予備の石炭を甲板に積載して対馬に向かっていたのです。 ロシアの軍艦の甲板には可燃物が散乱していました。そこに瞬発性で焼夷効果のある砲弾を撃ち込まれたのです。軍艦は炎上し艦内に有毒ガスが充満したのです。 尚、艦隊運動自身は東郷が指揮した訳ではありません。日本側は一斉回頭したため、三笠は殿になり、副司令官が艦隊運動を指揮していたのです。あと、秋山は作戦開始5分前に艦橋から追放されて一人食堂におりました。
補足
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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敵艦隊見ユ 暗号は「タタタタ」 東郷が乗り込んだ戦艦三笠を旗艦とする日本海軍は敵の距離10000メートルまで接近 しかし東郷は動かず… 9000メートル… 未だ東郷の指示は無い 8500メートル… もはや8500メートル… そして 東郷平八郎はロシア艦隊と戦艦三笠の距離を8000メートルまで詰めました その時… 東郷の右手が高く上がり胸の前へ 全艦ターンせよ! 東郷の合図で三笠をはじめ後続の艦隊は次々と反転 バルチック艦隊は日本海軍が撤退を開始したと思い一斉砲撃を開始 雨のような砲弾を浴びながら三笠はターンを続けます そして… ついに 縦長に形態をとるバルチック艦隊に対し日本艦隊は横一列の形状になり 戦艦三笠初弾発射!! ターンを終えたほかの艦船も次々と主砲をバルチック艦隊に撃ち込む 縦長の敵艦を横並びの戦艦部隊が先頭から1艦ずつ各個撃破 いわゆる集中砲火を浴びせました これではさすがの帝政ロシアが誇るバルチック艦隊も勝ち目はありません 東郷はこうして日本海海戦を勝利 明治45年 明治天皇崩御の知らせを聞くと妻とともに殉死したのです
補足
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- delta_p
- ベストアンサー率0% (0/1)
他の方の回答にもある様に、 バルチック艦隊は日本海に入った時には既にバテバテで とても満足に戦える状態ではありませんでした。 対する連合艦隊は連日の猛訓練で正に「皇国の興廃この一戦にあり」、 乾坤一擲の大勝負と意気込んでいました。 バルチック艦隊はとにかく、 早くウラジオストクに行きたい一心で戦意は雲泥の差。 戦場も、連合艦隊にとっては庭とも言うべき日本海。 時、戦意、戦場、どれを取っても連合艦隊有利な状況でした。 そのような状況の中で、東郷長官の「T字戦法」です。 「T字戦法」はこちらが回頭中はフルボッコにされかねないですが、 ロシア艦隊はその間に有効な命中弾を与えられず、 こちらが回頭を終えると、フルボッコの立場が逆になり、大勢は決してしまいました。
補足
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- 猫田 にゃん吉(@popps)
- ベストアンサー率16% (12/72)
まず、バルチック艦隊の極東来航と、旅順要塞の攻略と どちらが早いかの競争になってました。 旅順陥落より、バルチック艦隊来航が早ければ聯合艦隊は 旅順艦隊と、バルチック艦隊に挟み撃ちにされて、勝敗は どうなっていたか分かりません。 1月の旅順陥落から、5月27日の日本海海戦までに聯合艦隊は 艦の十分な整備をして、射撃の猛訓練をし、敵来航に備えていました。 一方バルチック艦隊は来航途中にドッガーバンク事件を引き起こし、 以降イギリスに散々な妨害を受けたこと、途中、旅順陥落の報を 受け、来航目的を無くしたこと、友好国ドイツ、フランスの植民地の 港湾に入ると、イギリスの圧力ですぐに追い出されて休息の暇もなく、 でありながら、足手まといの旧式戦艦群の増援を押しつけられ合流のため 仏領マダガスカルで足止めを食い、暑さと厭戦気分で、もう艦も兵も いっぱいいっぱいの状態で、日本海へやってきました。 聯合艦隊の出撃電報に「天気晴朗、波高し」とあるように当日の 日本海は波浪状態で、腰高のロシア艦は波で傾くと、復元まで時間が かかるので、通常水面下にある喫水部分の露出が多く、そこに多くの 命中弾があったといわれています。 要は準備万端の日本艦隊に対して、ヘろへろ状態のバルチック艦隊の戦いで あったこと、大ばくちであった丁字戦法(東郷ターン)がうまくいったこと、 ロジェストウェンスキー長官の次席であるフェリケルザム少将が海戦前に 病死したことを隠蔽し、ロ長官人事不省後の指揮系統に混乱を招いたことなど ロシアには聯合艦隊に勝てる要素はほとんど無かったといえます。
お礼
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
日英同盟 + 長い距離を移動してきたから 船も人間も長距離を移動してきたので、ロシア側はへたっていました。 船:船底に貝がこびりつくと速度が落ちます http://www.geocities.jp/ogata_tokusan/zatugaku/index011.html 上記は、船種も違いますが、「最速14.5ノット 貝が付いて 9.5ノットになった」と書いてあるように、貝がつくとものすごい勢いで速度が出なくなります。 人:ビタミン不足で脚気になります。 脚気の原因は、日露戦争当時わかりませんでしたが、日本海軍は取り敢えず、麦飯で回避していました http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%84%9A%E6%B0%97%E5%8F%B2 バルト海から日本まで、主要な港湾はイギリスが握っていた。 下記の バルティック艦隊の航路のところ。 http://homepage3.nifty.com/ryuota/20c/nihonkai.html ということで、船も人もボロボロだったので、機敏に対応できなかったということになります。
お礼
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- eroero1919
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いわゆる「丁子(T字)戦法」ですね。戦法そのものについては軍艦の動きを解説したものが多く出ていますし、他の方も回答しているのでそちらを参照ください。でも、それでも今ひとつピンとこないところがあると思うのでその部分を補足したいと思います。 軍艦というのは真ん中に艦橋などがございまして、その前後に大砲を積んでいますよね。また当時は副砲といって、軍艦の側面に口径の小さい砲を積んでいます。 ということは、軍艦の前方と後方では、大砲も半分しか使えないし、側面の副砲もほとんど使うことができません。一方、敵艦に対して側面を見せることにすると大砲はぜんぶ使えますし、側面の副砲も使えます。つまりそれだけ火力を集中できるわけです。ただし、敵に側面を見せることはそれだけシルエットをさらすことになるので敵の攻撃も受けやすくなります。でも一般的には攻撃を受けるリスクよりより攻撃できるメリットをとるのが普通です。 ですから「敵に対してこちら側の側面を出し、敵が正面しか出せなかったら有利」になるわけです。そりゃ頭じゃ分かっているけど、相手も同じように考えて同じように行動しようとしますから、そう思い通りにはいきません。それをどうするかが提督が悩むところであります。 そして日本海海戦で東郷提督が採用したのが丁子戦法です。丁子戦法のいいところは、まるで教科書のように「敵に対しては最大限の火力を集中し、敵は最小限の火力しか発揮できない」ことです。しかし難しいところは回頭するタイミングと、敵前で回頭しなきゃいけない(そうじゃないと相手も対応できてしまう)ので、その回頭している間は敵から一方的に攻撃されてしまうことです。一歩間違うと、こっちが攻撃態勢を整える前に一方的にやられるかもしれない。つまり、ハイリスク・ハイリターンの作戦だったのです。 幸いなことに、当初のロシア側の攻撃はすべて外れました。そこだけ見ると「練度の低いロシア軍、能力が高い日本軍」と結論を出したい気分になりますが、実は日本海海戦に対しては海軍、政府をあげての様々な「仕掛け」があったのですが、長くなりますのでそれはまた次の機会に。
お礼
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- e_16
- ベストアンサー率19% (847/4388)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E6%B5%B7%E6%88%A6 ここを読んで、全部書いてあるから (^_^; 腹を見せるってのは、艦を横に向ける事で艦の後方にある主砲も相手に向ける事ができます。 まっすぐ進んでる艦の後方の砲は前には撃てない(前を向かない) 砲の数が多いほうが強いのは判りますよね? 更に日本艦隊はバルチック艦隊よりも早かったので、相手が後方の砲を向けるように転舵するよりも先に動いて横向きの位置を維持できたので旗艦(司令官が乗ってる)に対して集中砲撃をして指揮系統を先に崩したから、となります。 親分が無くなったら子分はバラバラ、と(^_^;
お礼
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- ithi
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umetaro87さん、こんばんわ。 日本海軍は文字通り日本の命運のかかったこの海戦のために砲術長の指揮の下に統一して射撃を行う統一射撃法や丁字戦法などを発案しました。また、その射撃技量はバルチック艦隊の3倍すぐれていたらしいです。 このような努力は戦力的にはバルチック艦隊の方がかなり有利とされていたから互角に戦えるようにしたかったからにほかなりません。 また、いくつかの偶然のおかげでこの海戦に勝利することができました。 戦闘に関する詳し医内容はこのURLを参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E6%B5%B7%E6%88%A6
お礼
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
- AVENGER
- ベストアンサー率21% (2219/10376)
お礼
いろんな要素がからみあって日本海軍大勝利となったのですね。ありがとうございました。
お礼
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