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肝硬変と腹水で苦しむ父を見ていられません…
- 71歳の父が肝硬変と腹水に苦しんでいます。アンモニアの処理や腹水の抜去に薬を使用していますが、効果はないようです。父は昼間も意識があり、テレビも見ますが、食欲もなく歩くこともできません。私と母が父の看病をしていますが、状態の進行を確かめるだけで何もできません。父の最期を考えており、延命治療の意味がないと感じています。
- 父が肝硬変と腹水で苦しんでいます。アンモニアの処理や腹水の抜去にも効果がありません。昼間はテレビを見る程度で、食欲もなく歩くこともできなくなりました。私と母が父の看病をしていますが、状態の進行を確かめるだけで何もできません。私は延命治療に疑問を感じており、父の意思を尊重して看取るつもりです。
- 71歳の父が肝硬変と腹水に苦しみ、肝性脳症と昏睡状態になりかけています。アンモニアの処理や腹水の抜去にも効果がなく、食欲もなくなっています。家族で父の看病をし、状態の進行を確認しています。私は延命治療に疑問を感じており、父の苦しみを少しでも減らすために看取ることを考えています。
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心中お察し致します。 私の父もそうでした。 父の場合腹水ではなく、血管から漏れ出た水分が体中にむくみをもたらすものでした。 とても高価な抗生物質を何度か投与しましたが、全く効果がありませんでした。 もはや打つ手がないという状態を前に、私もあなたと同じことを考えてしまいました。 それでも父とは意識の疎通が出来ました。 茶目っ気も残っていて、嫌いな親戚が見舞いに来たら寝たふりをするんだと笑って教えてくれました。 今の自分に出来ることは最後まで父と向き合うことだと思いました。 何も考えずただ父の側にいようと決意したのです。 手足のマッサージはとても気持ちが良いと申しておりました。 お湯に足を浸して温めてやるのも良いようです。 看護師さんに内緒でこっそり味のついた氷をガーゼでくるんで父の口に入れてやったりもしました。 そんな時の父の顔はまるで子供のようでした。 私と二人だけの秘密の思い出を沢山作ってくれた父は、眠るように息を引き取りました。 後悔はありません。 参考になれば幸いです。
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- papanda26
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去年、祖母を同じ病気で亡くしました。 腹水も、むくみも、水分制限も…全部苦しそうで見ているのは辛かったです。 昏睡になって本人は何も感じてないと言われてからも、見た目は今までよりずっと辛そうで 私は先に亡くなっていた祖父に「早く迎えにきてやって」と心の中で祈ってしまった程でした。 なので、昏睡=安楽=そうした方がいいとあまり考え過ぎない方がいいかもしれません。 必ずその時はやってきますから。 お父様は今点滴で意識を保っている状態とのことですが、どうぞ意識のあるうちに たくさん顔を合わせて、言葉をかけて、触れてあげてください。 むくんだ足首と足裏のマッサージは気持ちがいいそうです。足首からひざ裏のリンパ節に流すようにしてあげてみてはどうでしょうか。 肝不全(それよりずっと以前に非代償性の肝硬変に進行していた時点で)の患者にとって すべての医療行為は治療ではなく延命にすぎないのかもしれません。 それでも、やはりそこにある、目の前で耐えている命を諦める選択は…私にはできませんでした。 肝不全の末期患者にとって点滴をしない、減らすというのは、死にゆくことと同じですから。 心停止をした時に、蘇生措置をするかどうかとはまた別の選択だなと感じました。 (※選択は色々で、各ご家庭で色んな考えがあると思っているので、別の道を否定する気は全くありません) 点滴をしていても、体力は徐々に落ちていきます。 尿道カテーテルから感染症を起こすこともあるし、風邪から肺炎になることもある。 静脈瘤が出来ていて処置できずにいればそこから出血を起こすこともあります。 今は与えられた時間を大事にしながら、ご家族と主治医の先生とよく話をされて下さい。 それから、主治医の先生に、どんな状態でも病院を出ないといけないのか(退院が強制されるのか) 出ないといけない場合、他の病院へ紹介状を書いてもらえるのか確認してみてはどうでしょうか。 施設の場合、肝不全で点滴なしでは意識が保てない状態の人を受け入れる所はないかもしれません。 (祖母の場合、経口でアミノレバンが飲めていて、会話ができる状態でもなかなかありませんでした) このあたりも、ご家族、主治医の先生やソーシャルワーカーさんとよく話をされていく所かなと思います。 私も頭の中があまり整理できていないので、思うままに書いてしまいました。 あくまでも“私個人”の思うことを書きました。 後悔は、きっとしようと思えばいくらでもできます。 質問者さんは今できることを誠実にちゃんとしていると思います。 この時期は、家族にできることなど本当に少ないです。している!と実感できるような事も少ないので、もっと何か…と不安になると思いますが。ちゃんとできていますよ。 最期の大事な時間を、どうぞ大切に過ごして下さい。
お辛い気持ちお察しいたします。 義母が同じ病気でした。 義母の場合は肝臓癌の手術を無事に終え、状態が安定して術後の次の日には 一般病棟に移り、回復に向かっていました。 急に食事が摂れなくなり、点滴。 回復に向かうのに必要なたんぱく質をとるための点滴とはいえ、血管からにじみ出る 点滴剤によるむくみで手足がパンパンになってしまいました。 腹水ではなく肺に水が溜まってしまう状態でした。 口から摂るたんぱく質は100%摂取できるけど、点滴で摂取すると血管からにじみ出て 摂取出来にくいとの医師の説明がありました。 状態が日に日に悪くなる中、一週間に一度の医師とのカンファレンスが 三日に一度、二日に一度と間隔が狭くなってきたため、義母の状態がいかに悪いかを 悟らざる得ない状況にありました。 私は長男の嫁です。仕事を減らし、看病に充てていましたが、決定権がありません。 只の連絡係です。 緊急の場合は夫と義兄弟に連絡をして、提示された治療の方針を伝え、承諾を得て医師に伝える役目です。 脳炎による意識低迷の義母を看ている中でも、手足のマッサージは 苦しく歪んだ顔が柔らかくなっていました。 呼吸確保のため気管切開が必然となり、話すことは出来なくなりましたし 意識が混沌としていたため、会話が出来る状態ではありませんでしたが 手足のマッサージをしながら、生きたい と義母は思っていると“何故か”感じていました。 健全な時から、認知障害が出たら施設に入れて! 延命措置はいらない! と、言われていましたので、夫以下義兄弟もそこの意識は一致していました。 回復に向かうなら治療を施してほしい。 でも、延命措置はしないでほしい。 カンファレンスの中はっきりと医師に伝えていましたから 治療方針で迷うことはありませんでした。 あなた様の場合、お母様と弟さんとしっかり話し合う必要があります。 あなた様の抱えている思いは、勝手な思い込みも混じり合っていると思うからです。 苦しさで歪む表情の義母を看て、嫁の立場でも伝わった義母の気持ち。 夫をはじめ生きててほしいと思っている義兄弟や義母の兄弟の思い。 最後の時に流した義母の涙、混迷していた意識が戻った時だと私は思いました。 あの涙は、どうしても、生きていたかった…としか感じられなかったです。 夫とそこに立ち会った方たち全員も同じ感想を後から言っていました。 ご家族との会議で方向性が決まったら ぜひドクターとのカンファレンスには立ち合いましょう。 ドクターに気持ちを伝えきちんと説明を受けると >もう父には、闘病生活なんかしなくていい という思いとは違う気持ちが出てくるかもしれません。 >今まで本当に私たちのために、頑張って生きてくれたね、 >本当にありがとうね。 生きている義母に、生きようとしている義母にそういう気持ちは全く持ちませんでした。 逝っちゃ駄目! 臨終の間際でもそう思っていました。 もっと深く、もっと尊い気持ちで、命と向き合う気持ちにはなれないでしょうか? 苦しさを訴えるお父様と向き合っていると、確かに『もういい』という気持ちを持たれるのも分かります。 義母も辛い、苦しいと訴えていましたから。 たとえ『もう死にたい』と訴えても、どこかに絶対『生きたい』と思う気持ちがあると思うんです。 苦しい中でもどうすると少しはその苦しさが緩和できるか? 少しでも気持ち良い状態にする看病ができるか? そこを見つけたら、明日も来るね。またしてあげるね! と看病しながら、静かに深くお父様との時間を持たれて欲しいと思います。
- mama4615
- ベストアンサー率18% (987/5267)
何が正解は有りませんよね。 私の母も、闘病し、亡くなりましたが、、、。 余命半年を言われ、私と妹が下した決断は、自宅静養でした。 常に横になり、点滴の管を心配し、何が楽しい? 毎日誰が来てくれる、だけど時間枠もある。 食欲はかなり落ちてる上に、マズイ食事。 そりゃあそうですよね、病院だから、塩分制限された食事でしょうから。 でもね、腹水がある人が、一人前完食は出来ない。少しでいいから食べたいと思った物を口に入れる、その方が良いと思ったから。 何度か入退院は有りましたが、余命半年より生きられ、八ヶ月生きました。 腹水がある中、孫との旅行、娘達と深夜まで井戸端会議、病院にいたら絶対出来ない。 確かに、病人を家で看るのは大変ですが、それが最後の親孝行だと思います。 仮に一年、として、その一年、奥様にも協力して貰う事は不可能でしょうか? 今なら、まだ車椅子で。 も、厳しい事ですが、明日車椅子移動も出来ない、の方が、貴方には後悔しかない気がします。 正直、八ヶ月の闘病で、疲れ果てた事は有りますし、愚痴もあれば、涙も有りました。 が、後悔は少なく済んだのは、可能な限り、母の希望を叶えてあげられた事が、背景に有ります。 動けないでしょうから、貴方が父様の手となり、足になればどうですか? 限られた期間を父様の希望を叶える時間としたら、10分、5分でも、父様の気分転換になると思います。
- toshipee
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父の立場から言えば、「俺の死に方を見ておけ」と思う。自分が苦しくなったら「殺してくれ」と言うかもしれない。そのときに動けばいいんではないか。いろいろあった自身にとっては、すべての事象はなるように受け入れるしかない。「自分が見ていて辛いから」では、まだ君と父の間の間隔から考えると、正しいのではないかもしれない。「どうしてほしい」と聞くことができれば、その通りすることを長男として提示する。 こんなとき、なぜか日本に生きる者としては、病院も周りも「長男の意見は」と求めるよね。求められている気がするよね。これだけ結婚も自由になり、長男の嫁であることも言われなくなった現代でも、死すときは、直系の長男は意志を求められる。家制度は崩壊していない。 見なきゃいけない。父の姿は。苦しむ姿も。たぶん君の子供に自分の最後を伝える見本となるように思う。父が強く偉大に闘っているか、弱音をきちんと吐く正直な人であったか、ちゃんと見てあげてほしいと思う。 それが君を強くすると思う。昔のことはいい。こだわるな。
- ghostk
- ベストアンサー率46% (6/13)
心中お察しします。 貴方自身は大丈夫でしょうか? 私は母を肝臓の難病で亡くしました。 最後は腹水で妊婦以上にお腹が膨れ、本当に可哀想でした。 私の母の場合は、感染症にかかり股関節に膿がたまって痛くて動かせなくなり、寝たきりも重なっていました。 父が医師免許は持っておりませんが、医学博士は持っておりましたので、最後は自宅で看取る決心をし、自宅に戻り看取りました。 多分、病院にいたらもう少し延命処置も出来し、もう少し長く生きる事が出来たのでしょう。 母も家に帰りたがってましたので、家に帰る事を家族は選択しました。 最後は近隣に住む、母の姉妹がみんな来てみんなで看取る事が出来ました。 病院や施設では絶対無理だったと、母の姉妹はみんな言いました。 当時出来る事は全てしました。 でも、病院に居てくれたらもう少し長生きしてくれたのではないだろうかと後悔しました。 現在の日本で、家でみんなで看取ってあげる事ができる、畳の上で死ねる人は僅かしか居ない、それが出来た母は幸せ者だと、言って貰えます。 私は、何をやっても、出来る事を全てやったのに、今でも結局後悔してます。 親を看取るのは、そんなものではないでしょうか? 親が亡くなるのに後悔が無いのは、遠方に居る人の方が多い気がします。 密度が濃いほど後悔している人が多いような気がします。 貴方も今、自分の出来る事を精一杯やっていらっしゃいます。 私はそれでいいと思います。 素敵です、毎日お手紙を渡す事が出来るなんて。 そんな事をして貰える父親がどれだけいるのでしょうか? ただ、経験者として言えるのは、腹水がたまっている状態では、医療が欠かせません。 特に肝性脳症の治療処置が出来る病院と言うのは、記憶では非常に限られていたと思います。 そちらの方が心配です。 私の母も神戸の病院で入院して、急性期病院でしたので転院をせざる得ない状況でした。 しかし、受け入れ先が決まらなくて(完全なる父の我儘も有りましたけど。)、転院を勧められる病院では、肝性脳症や腹水に対する治療や、母の場合は股関節の感染症の治療が出来る技量が無い所が多かったです。 なので、転院を拒否してました。(入院の延長は掛け合ったら出来ますよ。) 結局、急性期病院内で、転院して、最後は自宅になりました。(幸い、在宅看護に力を入れている往診してくれる開業医も見つかったので) 病院選びと転院はお父様の状況を考えて、適切に行って下さい。 交渉は、何故か男の人が要るだけで、かなり状況が違う事が多いので、ここは貴方の踏ん張りどころですよ。(女だけですると倍の努力が要るんです。) 今、自分に出来る事を精一杯する、それで十分なんです。 きっと、お父様は分かって下さってますよ。 後、看護して貴方が体を壊す事は本末転倒で、他の人にも迷惑になります。 なので、必要以上に無理だけはなさらないようにして下さい。 今、十分に頑張っていらっしゃるのですから。
お礼
お返事、ありがとうございます。 同じ病気で亡くなられた、ご家族のアドバイスで、 本当に参考にさせて貰っています。 >親が亡くなるのに後悔が無いのは、遠方に居る人の方が多い気がします。 >密度が濃いほど後悔している人が多いような気がします。 そうですか・・・ 私は毎週末のように、孫を連れて父の家に行って食事をしてきましたので、 後悔の無い、父との別れはないかも知れませんね… 私がやれることは、出来るだけやっておきたいです。 それでも後悔が残るなら、それはそれで、もう良いことだと思ってきました。 >特に肝性脳症の治療処置が出来る病院と言うのは、 >記憶では非常に限られていたと思います。 >そちらの方が心配です。 やはり、そうでしょうね・・・ 転院先の病院を探すよう母に頼まれていますが、 まだ始めたところで、ネットで探すのは殆ど無理です。 父の場合、「肝硬変が進行→肝性脳炎」ですから、 感染症、心不全、腎不全などが起きます。 それに対応できる施設・病院となると少ないです。 母の気持ち、弟の気持ちを考えると、 まだ時間が欲しいです。 >交渉は、何故か男の人が要るだけで、かなり状況が違う事が多いので、 >ここは貴方の踏ん張りどころですよ。(女だけですると倍の努力が要るんです。) そうなんですね。 分かりました。 それから、私への心遣い、ありがとうございました。 でも、ちょっと疲れるぐらい、 父と母が今まで私たちにしてきてくれた事に比べると 大したことではないので、出来るだけのことをしたいのです…
- tazukoeiji
- ベストアンサー率20% (167/805)
>>それでも、私個人として、悔いなく父を看取るには、 いま、何をすれば良いのか??? 親を看取る・・・ということは、悔いなくなどできません。 親が、最後にあなたに与える試練だからです。 その繰り返しで世代交代していくんです。 あなたが最期を迎えるときには、娘達が・・・。 そう考え、自分のためではなく、もちろん亡くなってゆくお父上様のためでもなく 娘たちのために、「今後迎えるであろう親の最期」。 どう乗り越えるべきか お手本となる。そう考え方を切り替えてはいかがでしょうか。 延命治療については、同意しますが、こればかりはお母様の同意なくしては・・・。 親子兄弟で話し合うべきかと思います。 人は、生きているのではなく、生かされている・・・ご自分の意志とは裏腹な場合もありますが。 最期の瞬間、人は正気に戻れる瞬間があります。どんな状態でも。 その場に立会い、お詫びを言えばわかってくださると思います。 許して欲しい・・・そう願っていることは、きっとお父様にも伝わると私は信じています。
お礼
お返事、ありがとうございます。 そうですね・・・ 確かに、悔いのない看取りなんか無いかも知れませんね… 言われる通り、考えを変えて、 まだ7歳と2歳の娘に、父の最期を看る私の姿を見せておこうと思います。 延命治療については、私の本心を母にも弟にも打ち明けていないので、 これから、主治医の先生と話をして、今の父の容態を詳しく聞いて、 改めて自分の考えを整理しようと思っています。 >最期の瞬間、人は正気に戻れる瞬間があります。どんな状態でも。 そういうものなのですか・・・・? 私はとにかく、昏睡になる前に、 父に詫びて、許して欲しい、 それから、父に「ありがとう」を伝えたい・・・ それだけで、もう父は私に十分なことをしてきてくれました。
- diyhobbu
- ベストアンサー率24% (135/550)
心中お察し申し上げます。そうなんですよね!総合病院は救急患者の処置を行う医療機関のため、患者者の病状が安定すれば転院するよう言ってきます。が、お父様の状況では転院は強制しないのではと思いますが? 治療方針などについては、主治医にご家族揃って相談されたらいかがでしょうか。当サイトに記述されている心境を主治医に話されることをお勧めします。苦痛を和らげる緩和治療などご家族の真意を汲み取って対応してくれることと思います。 どうぞ、お話ができる今のお父様との時間を大事にされ見守ってください。
お礼
お返事、ありがとうございます。 まず、転院の件ですが、 この総合病院では、治癒の見込みのない患者は、 1ヶ月までしか入れて貰えないと言われました。 主治医の先生とは、母しか会っていませんので、 先生の回診の時間に合わせて、病院に行くつもりです。 緩和治療についても、詳しく聞いてみます。 今は父の体力があって、まだ?苦しさが少ない期間ですので、 毎日、足を運んでいます。 本当に、ありがとうございました。m(_ _"m)
お礼
お返事、ありがとうございます。 思わず、微笑んでしまうような文章で、素敵でした。 >茶目っ気も残っていて、嫌いな親戚が見舞いに来たら >寝たふりをするんだと笑って教えてくれました。 何か、本当に茶目っ気が可愛いお父さんだったのですね。(笑) >看護師さんに内緒でこっそり味のついた氷をガーゼでくるんで >父の口に入れてやったりもしました。 >私と二人だけの秘密の思い出を沢山作ってくれた父は、 >眠るように息を引き取りました。 >後悔はありません。 氷のアイデアも頂きます。今度、父に試してみます。 病院の中でも、そういう、秘密の思い出を沢山作ってくれたお父様、 素敵だな、って思いました。 後悔はありません、とのこと。 すごく理想的なお別れと思いました。 この場を借りて、私の父の経過方向をさせて頂きたいのですが、 一昨日、お腹に針を刺して、腹水を抜きました。 何回も出来る治療ではないと言われていますが。 その効果は覿面で!パンパンに腹水で腫れていた両足が、 嘘のように、きれいな足になっていました。 昨日は、5時間ほど父の病院に居ました。 父に初めてお昼ご飯を食べさせて、 その後は1時間ほど眠り、ちょっと起きて水を飲んで、 また1時間ほど眠るのを繰り返すだけで、 私の書いた便せん1枚の手紙も読んでくれませんでしたが、 何より驚いたのは、父の口から、 「しんどい…」 の言葉が一言も出てこなかったことです。 昨日は父の看病で、少し疲れましたが、 でも、それよりも、私の考え方が一変しました。 父が肝性脳症で倒れて、入院し、 腹水で「しんどい…、しんどい…」と繰り返すばかりの時には、 もう父との別れが近いのではないか? そんなに「しんどい」なら、まだ肝性昏睡になっている方が、 父にとっては良いのではないのか? と、母や弟の意見も聞かず、勝手に思いこんでいた私ですが、 腹水を抜いて、少し楽になった父を見ていると、 「父はまだ生きたいと思っているんじゃないか?!」 と思ってみたりして、 これから、父との別れが来るまで、長い闘病を覚悟して、 父と向き合っていかなければいけないな、 と思い始めた次第です。 確かに、まだこれから先のことは、分かりません。 3月には今の総合病院から家の近くの病院に転院します。 末期の肝硬変と肝性脳症の初期の父ですが、 腹水もまたすぐにたまることと思いますし、 感染症、食道静脈瘤からの出血、等々 何が起こるか分かりませんが、 まだ、父は生きることを投げ出していないですし、 そういう父を見て、私は母と一緒に父の看病を、 たとえ1年、2年になろうが、 父の生命力の限り、 私たちが、「しっかりしなければ」、 と昨日の父を見て思わされました次第です。 長文になってしまい申し訳ありません。