※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が)
肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟
このQ&Aのポイント
肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が悩んでいます。
父はC型肝炎が発症し、肝硬変、肝臓癌、食道静脈瘤の手術を受けています。
弟は父の状態を理解せず、楽観的なメールを送ってきて心配です。
肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が
もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、
C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、
C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、
とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、
腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、
毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。
腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。
2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、
回復に向かうと思っていた矢先の
2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、
6人部屋から個室に移されました。
その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、
次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。
まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした…
酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、
見てはいけないものを見てしまったという感じと、
父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。
それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、
http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html
病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、
「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!?
と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、
現在の父の状態は、危険因子が3つ、
・ 肝硬変
・ 腹水
・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」
と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・
私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、
「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。
父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。
C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、
「酒を断つ」ことは一切しませんでした。
外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。
「自業自得」と言えばそれまでですが…
しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・
大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。
「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。
と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。
今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、
「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。
けっこう惨めなモノです…
でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと…
惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、
情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」
って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。
こうなると、けっこう「楽」なものです。
一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。
M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。
そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、
M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。
また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、
父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います…
父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、
そんなこと(挫折)を話す父ではありません。
しかし、弟は違うと思うんです。
私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、
サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、
高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。
私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。
弟は私と違って、優しいヤツです。
しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。
父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。
それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、
母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。
私宛のメールに、
「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、
腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、
アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。
だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」
と…
母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。
弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。
水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・
「現実」が見えていないのか?????
「現実」を直視しようと出来ないのか…?????
大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。
東京で家庭を持った弟です。
私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。
一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い…
そういう父の思い出が、私には多々あります。
しかし、東京に居る弟には「無い」。
私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。
でも、弟は東京と神戸という「距離」が、
「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと…
それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか…
私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか???
とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、
健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。
母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが…
私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、
39歳の今の弟にさせたくないんです。
父はもう長くありません。
父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか???
お礼
papanda26さん、 何度もフォローして頂き、本当に、ありがとうございます。 >お父様の病床で闘う姿、遠方の弟さんの心境…自分に重ねすぎると、 >苦しくなりすぎてしまいます。 >そのままでいいのです。 うーん… 何か心理カウンセリングを受けているみたいです。 すごいですね! そういうふうに、私の事を客観的に見て下さり、意見を言って貰えて嬉しいです。 でも、予想はしていましたが、父の腹水は、前の状態に近くなり、 「掛け布団の重さ」が辛いと言い始めました。 掛け布団を取れば、バスタオルだけしか無く、寒いと言うし、 たまたま、昨日、実家から母に言われて持って来た羽毛布団があったので、 今日はそれで何とかしのげましたが。 せっかくアドバイスを受けているのに、目の前に辛い顔があると、 やっぱり、こっちも、辛さは防げないものですね… >弟さんには、弟さんなりの現実があります。 >希望をもって最後まで付き合おうよって気持ちなのかなって思いました。 弟のことも、本当に、ありがとうございます。 そうですね、弟には弟なりの現実ですね。 弟は楽観的ではないですが、まあ、メールの文面からしか判断してないので、 心配しすぎかとも思いますが? やたらと、その文面に「父さんの回復を待とう」って繰り返すもので… 今日は朝一番に自分のかかりつけの内科に行きました。 そこは、父がインターフェロン治療から父も通っていて、 父と同じ70歳過ぎの先生に親子で診てもらっています。 だから、肝炎から肝硬変、肝癌まで全部知っている先生で、 いちおう父の病状報告も兼ねて行きました。 その先生に静脈瘤破裂と2回目の腹水を抜いた事をを報告したら、 よく喋る先生が黙って、でも、こっちも先生の顔が曇っているのを見れば、 全部、伝わってくるもので、 「ああ、やっぱりなんだなぁ…」って思うしかありませんでした。 私自身も、「現実」を拒否したい気持ちがあることも分かりました。 すみません。 いっぱい、いっぱい、良いこと書いて貰ったのに、 24時間ではないですが、1日病院に通うと、やっぱり、けっこう疲れました。 本当に、ありがとうございました。m(_ _"m) また、明日があるので、今日はここで止めさせて貰います… m(_ _"m)