地球は神が作った。は人間の心が作りだした、空想、妄想であり。哲学者=知恵に寄り手見る者、は考えるでしょう。
地球は太陽を中心に回っている。は極めて?哲学的。と言えそうです。
地球の自転の場合は、陽が昇り陽が沈む。という日常体験から。
すべての天体は地球を中心に回っている。=地球が回っている と体験認識が出来ます。
地球上の一点としての個人の体験認識では、どちらでも同じ事であり、数学、幾何学、を当てはめれば。
科学的?にすべての天体が地球を中心に回転しているとの、物理式、数式、は導けるのです。
まあ、何光年も離れた天体が、一日で一回転する訳ですから、相対速度は、光速度を遙かに超えたスヒ-ド
で回転していることにはなるのでしょうが。
比べて、地球の公転は、体験認識は相当に困難なものになります。季節と共に、太陽の高度が変化し、一年で元に戻る体験認識はそれくらいではないでしょうか、そこから、太陽が一年で地球の周りを回っている。黄道(だったかな)を考えるのは、自己を度外視した哲学智、(自己認識を入れると、不確定になる)と言えるではないでしょうか。
地球が自転し、また公転している。と考えると、太陽系、の姿が見え、多くの考えもしなかった事が
考えられるようになります。
地球も世の中も神が作った。と教えられ信ずるなら、多くの謎に納得がいくでしょう。
その納得はには、知恵 の否定、消滅 が一体となります。
地球は神が作ったものではない。と考えるなら、多くの事を知る事が出来る=知らない事、考えるべき事が増える。哲学的になる、のでは。
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