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小磯良平画伯の「南京中華門戦闘図」
1937年の南京攻略戦には、兵士や報道陣だけでなく、画家も従軍していました。 その従軍画家のひとり、小磯良平の「南京中華門戦闘図」は、朝日新聞社賞を受賞した名画ですが、戦後、所在不明になっているそうです。 幸い、写真が残っているので、どんな絵かわかります。 見ると、手前で、日本兵が休憩していて、向こうの方で、南京市が煙を上げています。 この絵を見てわかるのは、「日本軍が、南京市に来ると、すでに、南京市は、焼けた後だった」ということです。 蒋介石は、焦土作戦を取っていたんです。 「日本軍に渡すくらいなら、燃やしてしまえ」ということで、略奪、強姦をしまくった後、上海や南京など、主だった都市は、放火して、廃墟にしてしまったそうです。 ナポレオンも、モスクワまで進撃しましたが、モスクワは、焼かれてしまっていましたよね。 ロシアや中国のような大きな大陸国は、後退して、敵を引きずり込む戦略を取ります。 自分たちも、後退しながら、町々に放火し、降伏した町が、敵を利することがないように、敵には、廃墟しか渡さないわけです。 小磯良平画伯の「南京中華門戦闘図」が所在不明になってるのは、「日本軍が行ったときには、すでに、南京市は、燃えていた。南京大虐殺は、嘘だ」と言うことが、バレるから、シナの手先が、絵を盗んで、処分したんじゃないですか?
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- nacam
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回答No.1
>手前で、日本兵が休憩していて、向こうの方で、南京市が煙を上げています。 この絵を見てわかるのは、「日本軍が、南京市に来ると、すでに、南京市は、焼けた後だった」ということです。 なぜそう思うのですか? 日本軍の砲撃で燃えたのかもしれませんし、その図がかかれたのが、南京市が攻略された(日本軍が突撃した)後かもしれません。
補足
絵を見たら、わかるから、絵が盗まれたんですよ。 絵に描かれている日本兵は、タバコを吸っていたりしますが、どう見ても、戦闘の後では、ありません。 だらけた様子で、殺気もありません。 南京市近くまで、来たら、南京市は、焼けて、煙を上げているのが、見えた。 それで、「あーあ」という感じで、腰を下ろしているんです。 日本兵から感じられるのは、脱力感です。 行けども行けども、廃墟跡ばかりで、日本兵の方が、いやになっていたんです。