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時と場合によっては多少の体罰は、
学校において、指導目的であれば、多少の体罰(過度のシゴキ)があっても良いんじゃないか? と考えは、全く時代遅れで、体罰(過度のシゴキ)は些細なものでも一切排除すべきでしょうか? 言葉による激、ドライな切り捨て、指導者の勤務時間を増やしてでも生徒への熱心な説得で補うべきでしょうか?
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子供のころ、授業中にさわぐ子供は代本板で尻を叩かれた世代です。(注:顔はめったになかった) 全体に、いまは体罰アレルギーで世間がシャカリキになってる時期なので、いったんは体罰根絶まで針が極端に振れることは止められないでしょう。 が、いったん体罰を完全になくしてしまったあと、やがて世間は気づくはずです。これでは教育をうまくやれないと。 >指導者の勤務時間を増やしてでも生徒への熱心な説得で補うべきでしょうか? 否です。教師がモンペレ対応等で疲弊しているという現実問題に加えて、ほんらい理性や常識が通用しない野生状態なのが子供であり、そんな野生児に理性や常識を教えこまねばならないのが教育。 ぶっちゃけ、幼稚園児に「熱心な説得」で対処せよなどという教育評論家は、子供と真正面から向き合ったことがあるのかと疑ってしまいます。 高等教育に関しても、いまは少子化にともない高校全入、幼稚園児に毛が生えたような学生が入学してくる。学級崩壊は大学ですら一部では常態化している。 そんな生徒に対し、体罰は使えない、でも口での説得は効かないとなれば、最後にのこるのは、教育の放棄しかない。 つまり 「口で言ってきかない子供の教育はあきらめる」 という対応です。授業をきかずに騒いでいる子供はそのまま騒がせておく。無理にリスクをおかしてまで指導しない。 今後、そんな教育が全国でジワジワ増えてくるかもしれない。そうなったとき、ふたたび体罰必要論も甦るのかもしれません。
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体罰は是か非かという問題設定自体が変なのかな、と思うことがあります。 僕には子供がいないし、誰かを指導する立場でもありませんので、そういう人達の気持ちはわからないという前提でこの回答を書いています。 殴られたら痛いですし、下手をすると怪我をさせてしまうかもしれない。体罰をする側がそういう想像力を持っているのかどうか、が焦点なんじゃないでしょうか。自分の子供であれ、他人の子供であれ、それぞれ違うわけですし。 おぼろげな記憶の中から子供の頃のことを思い出してみると、よく叱られる子供たちってのはいたずら小僧というか、ある程度同じ人達で、叱られるのに慣れており、言っても聞かないどころか、体罰さえあまり有効ではない。体罰ってのは、特に悪事を働いたわけでもない凡庸な多くの子供たちに対する萎縮効果として機能していることが多いのではないか。 そんな気がします。回答になってませんでしょうか。結論はありません。
お礼
なんか私も分らなくなってきました。 ありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
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体罰が容認されるとしても、犯罪未遂の矯正、安全規則無視による人体生命の危険を犯した場合の教育ぐらいでしょう。 ゲーム性のスポーツで勝つための指導で、体罰をすることは一切許されません。 数学や物理の教育で「出来の悪いやつ」「やる気の無いやつ」に体罰をくわえるのと同等なので、一切禁止です。
お礼
なるほどです。ありがとうございます。
排除すべきだと思いますよ。 言葉で指導出来ないなら指導者として失格だと思います。 つまり暴力に訴えるしかない指導者は能力が欠如しているんだと思います。 しごきと体罰は根本的に違うと思いますよ。 また、体罰ってのは罰に対する暴力ですから、今ニュースになっている騒動は皆違います。 あれは完全なる暴力です。 だって被害者に非は無いのですから…。
お礼
ありがとうございます。 バスケの方は、実際どんなだったんでしょうね。
- toshih2000
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私としては、体罰は必要かどうかはまだ決めかねています。 それ以前に、体罰を許容するとしても、そのルールを明確化する 必要があるのでは無いかとおもいます。 メディア等で議論されている体罰に関して、おもうことは 「その体罰は誰が決めたのか?」 ということです。 いくつかの学校で体罰が有った事が報道されていますが、 多くの場合、その場の教師の判断で体罰がされている印象があります。 何かルールを違反する行為が有った生徒に対して、罰を下すわけですので、 ルールに基づいた罰(方法と量)を課すべきではないかとおもいます。 それも、一教師の判断では無くて、校長や教頭などの責任ある立場の判断で 課すべきでは無いかと思っています。 それとは別に、 スポーツの試合でミスをしたから体罰するというのは理解できません。 少なくとも、なぜミスしたかを理解させるのが先です。 それを理解した上で、ミスしないためどんな練習をすべきか、 何に気をつけるべきかなどを理解させるべきです。 しごいても、そのミスに見合ったことをさせなければ効果は薄いでしょう。 殴っても上手にはなりません。
お礼
ありがとうございます。 国際的な公の場で、成績が悪いと、 罰と言うか、酷い仕打ちをされる国もあるようですね。
- key00001
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指導・教育の手段として、「体罰の有効性は皆無」と言う人もいますが、それは極論・暴論で、状況によっては、有効性はあると考えます。 簡単に言っちゃうと、競走馬はムチで叩いて早く走らせますが、人間も動物である以上、そう言う側面があるのは当然です。 ただ、やはり奥の手・禁じ手の類でしょう。 正当防衛であれば殺人も認められますが、それは「それ以外には回避策が無い」と言う状況においてのみ許容されます。 我が国の死刑判決も、「死刑以外に妥当な刑罰が無い」と言う状況で下される判決です。 体罰も同様か、それ以上です。 そもそも、違法である体罰を行うと言うことは、超法規的な手段であって、それが超法規的措置として認められるか?と言うことですから、極論すれば、法律で認められる正当防衛より、重大な判断とも言えます。 「多少だから許される?」などと言うレベルでは無く、「それ以外に有効な指導・教育方法が無い」に限定されるものではないか?と思います。 実際の教育現場では、その判断は個々の教員・指導者に委ねられますので、体罰を行う場合、教員・指導者は、自分の信念などに基づき、もしその判断が誤っていた場合、進退を賭けるくらいの覚悟が必要と言うことですよ。 「正しい指導」などと狂信している様な信念は論外で、教員や指導者である前に、法治国家の「人間」として失格です。 昨今、問題になっているのは、そう言う誤った信念だけが強く、大した覚悟も無く、安易に日常的に体罰を扱った教員や指導者ではないか?と思っています。 社会活動(スポーツなども含みます。)は、法律やルールの中で行われています。 人間は競走馬ではありません。 それにも関わらず、ムチで叩くのは、単にルール違反であって、それでレースに勝っても反則です。 反則は卑劣な行為ですから、何の意味も価値もありません。 即ち、もし仮にムチで打って良い場合があるとすれば、それは「レースで勝つことが目的では無い場合」ですよ。 たとえば、人として許せない行為に対し、個人的な怒りでは無く、その行為を行った生徒や選手に、それが人として許されざる行為であることを判らせること・教えことが目的で、他に方法が無い場合、ようやく「体罰」と言う手段が考慮されるのではないでしょうか?
お礼
あなた様の回答を読んで、生活指導?とスポーツ指導とで違うのかもしれないと思いました。 さらに、過度の練習を課すシゴキや辱めで精神を鍛えるような妙な伝統もありますし。 高校生と小学生でも違うし、男女でも違いはあるでしょう。 報道では実際に何がどんな程度で行われたかが分らないから、判断も難しいですね。 死亡や大きな事態に至って初めて騒ぐみたいになりますし。 ありがとうございました。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
僕も暴行はいけませんが、体罰についてはあってもいいのではと思っています。 (報道された“体罰”は体罰ではなく完全に“暴行”の域だと思ってます) 大人になれば懲役、罰金、懲戒など、罪に応じた罰が与えられます。 しかし子どもは罰になるようなものが体罰以外にないですもんね。 これで体罰すら与えられないと、罰を受けた経験がなく育ち、将来的にその子どもの罰の初体験がいきなり懲役、罰金、懲戒になっちゃいます。 振り幅数cmからほほに平手一発くらいは必要でしょう。 僕は教師から受けた平手一発で人生が正しい方に行きましたし。 (まぁ手を上げられるようなことしちゃダメですけどね。)
お礼
平手打ち。私も経験あります。 あの緊張感と自分の何かが祓われたような、なんだろ。 爽快感?(笑) 罰によりリセットされるメリハリみたいな? なんだろ。平手打ちって。 ありがとうございました。
- kh8491
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ある程度必要と云うより多少は仕方ない事と感じます。 人が本気であればあるほど起きてしまうことだと思います。 それが全く無い社会も問題なのではないかと思います。 現在、問題になっているのは指導や教育の意味を持たず、 あくまでも力関係を見せ付けるために暴力(言葉も含めて)使われていると云うことではないでしょうか? そうした安易な行動を取った人たちのせいで 全てを一纏めの議論になってしまった気がします。 家庭での躾が不足していると問題視されますが、 それは指導者もそういう家庭で育った云う問題もあるのでしょうね。 今までも極端な事件がきっかけで世の中の見方や規制が偏ってしまう事は多々あった様に思います。 私的にはもう少し緩い位のほうが良いと思うのですが。
お礼
参考になりました。ありがとうございます。
- kyoromatu
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>全く時代遅れで というより基本的に法的に禁じられているわけですべきではない・・と考えます。 ただ親(保護者)が未成年のわが子に対し家庭教育の一環として 叱っても聞き分けなきときは必要な場合もあるだろうとは思います。 これが親側の怒りが主体で振るえば体罰というよりも 虐待になってしまいますけど 本人のためを思うがゆえの叱りではある程度 容認しても宜しいのではと思っています。 あまりにも最近は子どもを叱れない親が多過ぎますのでね
お礼
ありがとうございます。 今、凄く議論が加速してる感ありますね。 それゆえ、何か無くしそうな気もします。
- zkxzm4kz
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あなたが想定する体罰の範囲や悪い子供はどの辺までなんでしょうか? それが教師にすべて一任されてる現状では 子供は人質にされていて親はなかなか意見を言えないのです。 私は小学校時代になんども殴られました、 教師は自分の指導している部の子には決して手をあげずに 特定の子だけ殴っていました。 いまでも絶対に許せないし、同窓会にも絶対でません。 教師のえこひいきこそが根源なのではないでしょうか。
お礼
人質表現は良く使われますが、、、難しいですね。 ありがとうございます。
補足
私にとっては、この質問文でどんな風に想像していただき、 何を述べていただけるかも重要なのです。 私という人間の考えを理解していただき、それに見合った回答をして欲しい訳ではありません。
- yazawa2210
- ベストアンサー率12% (12/96)
はじめまして! 僕も昔人間なので、多少の体罰は有りかと思っています。 体罰を苦に自殺までいくと、流石に行き過ぎとは思いますが、体罰を受ける側の捉え方、感じ方は個々違うと思うので、指導者様はそこを見抜くのが指導者たるものの器と考えております。 もし、我が子が体罰を受けても指導者様は我が子の事を想って多少の体罰をあたえてくれているのであろうと捉えています。 昨今の柔道界のように、体罰はまったくダメとなると日本の柔道界が衰退してしまわないかと心配しております。 体罰を与えるから強くなるとは思っていませんが、昔ながらの体育会系では多少は必要かと思っています。 ただ、指導者たるもの、体罰だけでしか指導できないのは、指導者としての素質が薄いような、自分の伝えたい事を体罰ではなく気持ちで伝えれるような指導者であって頂きたいと考えております。 難しい問題だとは思いますが、何かこれも時代なのかなと悲しくなりますね… 長々と失礼しました。
お礼
ありがとうございました!
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お礼
ありがとうございました。
補足
みなさまありがとうございました。 大変参考になりましたので、 お寄せいただいたご回答に優劣をつける意味ではありませんが、 残しておきたいコメントと感じた回答をBAとさせていただきました。