※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:暴れる生徒は基本的に違うのでしょうか?)
暴れる生徒と教師の関係:意義と矛盾について
このQ&Aのポイント
公立中学校に通う生徒たちの中には、暴れる傾向が見られるケースが多いです。
一部の教師は、暴れる生徒たちを抑えるために体罰を行うことがありますが、そのやり方には矛盾が存在します。
暴れる生徒たちは自分たちの立場を示すために暴力を行使し、教師の言動が暴走を抑える役割を果たしていると考えられます。しかし、このような環境は一般の生徒にとっては我慢するしかない状況を生み出してしまいます。
公立中学等に行くと色々な人が入ってきます。
決まりや罰則、教師よりも暴れる生徒の言動に矛盾を感じました。
家庭の躾は大事ですが、「決まりを守る」事よりも
「負けるないわして来い」的な感覚で躾けられた子が
暴れているタイプが多かった様に思います。
唯、学校と云う枠組みで「決まりを守る」
「やることをやる」「集団の中に居る事を弁える」、
これは大事だと思いますし、
酷いいじめや意味も無く教師暴力を振るう生徒などを法的に処分する、これはその通りだと思います。
又、私の中学の時も少々疑問に思う事がありました。
A先生 大学時代は国体の選手で
屈強で強靭な肉体で、悪い事をすれば体罰と
云うのは解りますが、部活動などでは「気合いを入れる」「たるんどる」と体罰、その競技の指導の定評や
運動能力の高さはありましたが、依怙贔屓や暴言も多かったですが、意見を言うと鉄拳が飛ぶという感じでしたので、暴れる生徒は、A先生は「我々の暴走を抑えてくれる有り難い人」という感じでとらえていた生徒もおりました。
B先生
叱る時は叱り、私は特に嫌ではありませんでしたが、
A先生にはまっていた生徒は、B先生が私語の注意や
宿題の催促を促す事に反抗し、でもA先生がいるので
暴走を止めれていた様でした。
彼らの言い分はBが短足だから腹が立つ。
Bの喋り方が嫌。Bが五月蠅いから嫌。と云ってましたが、私はA先生もこれは聞けるがここは可笑しい、
B先生も基本的な事は聞いておりました、が暴れる生徒などによってはA先生のやりかたが「教育的成果」と云う事なのでしょうか?
私は「暴れる生徒」に意味も無く因縁を付けられました。
理由はと聞かれると、「避けるから」とか「生意気だから」と云うので、理由は後付けであり、理由もなく暴れてみたいと云うのが本音であり、その「自分たちの立場」を解らせる為に「暴力で制する」と云う感じでした。
暴れる生徒は理由は無いが、強いから一目置かれたい、
同じ様な心理で居るのがA先生の言動であり、
暴れる生徒の「言葉で表現できない暴走」を抑えてくれるのが
A先生のやり方になるのでしょうか?
多分、教師の体罰よりも、この様な環境が合わない生徒が居た(私もそうです)ので体罰も問題に成ったと思いますが、彼等はこの様な環境に身を置く事で感情がコントロールされている様でした。
スポーツの世界はじめメンタルを鍛える、時に根性論の有無も差し引いて、ある程度理性の有るものならば、基本的な事は聞く、と云う事が成立しますが、暴れる生徒を枠組みに入れると云うのに、その様な体制が必要となり、一般の生徒は我慢するしかないのでしょうか?
合わないで自殺者が出ましたが、大阪桜宮高校のバスケット部の体罰の問題もその様な処が有ったのでしょうか?
又、昔の国士舘大学等もその様な処が有ったのでしょうか?
お礼
ご回答有難うございました。 ≫公立学校、特に義務教育だと生徒児童の家庭環境や経済状態は千差万別です。親の価値観も様々で、暴力を肯定するような考えの持ち主もいて、そういう家庭環境で育った子は全てではありませんが、気に入らない相手は暴力で押さえつけることが当然だと思い込んでいる場合もあります。うちのオヤジも子供には暴力を使ってでも従わせるのが当然という価値観を持っていました。 やはり、親の姿勢が子に伝播するのでしょうか? それが大きいと思います。 ≫高齢になってさすがにそれはできなくなりましたが、価値観そのものは変わっておらず、私が従わないと悪態をつくようなメールを山のように寄こします。自分の思い通りにならないというだけで我慢ならないのでしょう。もはや変わることはあり得ないので無視しています。 「力で捻じ伏せる」「暴力で制する」これが連鎖するのは 悲しい事です。