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源氏物語の翻訳について
- 熱心な主婦が一心不乱になって耳の後ろに髪をからませる様子を描いています。
- 夫は世間を行き来する中で他人と話せないことを必ず見聞きし、理解できる親しい仲間と話したいと思っています。
- 女性も理解し合える伴侶を求めています。
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今晩は。梅もまだ先の話ですね。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。 1)『Then there is the zealous housewife, who regardless of her appearance twists her hair behind her ears and devotes herself entirely to the details of our domestic welfare. 』 >そして熱心な主婦がいます。彼女は彼女の外見にかまわず、彼女の耳の後ろに彼女の髪をからませ、そしてひたすら私たちの家庭の幸福の細部に一身を捧げます。・・・・・・? ●完璧だと思います。 >「耳の後ろに髪をからませる」という表現で、一心不乱になっている様子を描いているのでしょうか? ●原文の「耳はさみがちに」は、耳を出している状態と注釈にありました。ニュアンスはおっしゃるとおり、なりふりかまわず「一心不乱になっている様子」なのだと思います。 >the details ・・・・細部? ●英英辞典だと details には、particulars の意味がありますので、「あれやこれやの家事」といった感じでしょう。welfare もここでは、「快適な生活」くらいでしょう。 >our domestic welfare・・・・・・ここは「her」domestic welfareではなく「our」を使った方がいいのでしょうか? ●自分の妻になる女性として想定していますので、英語では「われわれの家庭」という発想になると思います。 2)『The husband, in his comings and goings about the world, is certain to see and hear many things which he cannot discuss with strangers, but would gladly talk over with an intimate who could listen with sympathy and understanding, someone who could laugh with him or weep if need be. 』 >夫は、世間のあちこちを行き来する中で、彼が見知らぬ人たちと論ずることができないたくさんのことを、かならず見聞きします。しかし彼は思いやりと理解を持って聞くことができる親しい仲間、必要があるならば、彼と一緒に笑い、もしくは泣けるであろう誰かと、喜んで話し合うでしょう。・・・・・? ●butは、not … but のように連語として捉えたほうがいいかもしれません。そうすると「夫は、世間のあちこちを行き来する中で、彼が見知らぬ人たちと論ずることができないで、思いやりと理解を持って聞くことができる親しい仲間、必要があるならば、彼と一緒に笑い、もしくは泣けるであろう誰かと、喜んで話し合いたいような多くのことをかならず見聞きします。」となります。(ちょっと修飾が長すぎますが...) >about the world・・・・「about」は「・・・のあちこちを」ですか?それとも「~について」ですか? ●「・・・のあちこちを」のほうが自然に感じられます。 >is certain to see and hear・・・・かならず~する、の「かならず」にこめられているここでの意味はどういうものでしょうか? (単に「見聞きする」としていない理由がわかりません) ●傷つかずにはすまない、という意味だと思います。『エゴイスト』のウィロビーに言わせれば、世間は「冷酷な野獣」のようなものです... >「intimate」と 「someone」は伴侶のことですか?(前回「companion」が伴侶でしたが) (もし伴侶を意味するとしたら、ここはどうして「wife」という単語を使わないのでしょうか?) ●論理の流れとして、心を打ち明けられる誰かがほしい → それを妻に担ってもらいたい、という感じだと思います。もちろん読者は、読みながら、その「intimate」と 「someone」は伴侶のことだなと推測できます。 >he cannot discuss with strangers・・・・「strangers」は「見知らぬ人」というよりも「他人」という意味でしょうか? ●その通りだと思います。親密でない人たちということでしょうね。 >someone who could laugh with him or weep if need be・・・・ここの「if need be」は文全体にかかっていますか?(「weep」だけではなく) ●「必要とあれば」→「いっしょに笑ったり泣いたりできる」という修飾が一番自然ですので、「if need be」は、could laugh with him or weep を修飾していると取るのがいいと思います。 >主婦と夫についての話をしているようですが1)と2)の意味のつながりがちょっとわからない感じです。 ●1)は、バリバリの専業主婦のイメージですね。2)は世間の荒波に揉まれて傷ついて帰ってくる夫のイメージ。この2人が話をすると相手に対する期待の食い違いが生じるという意味でのつながりだと思います。 >理解があって、共に笑って泣いてくれる伴侶を求めるのは女性もそうですね。 ●本当ですね。しかし現実には、相手に優しくされるとついそれを当然のことと思い(take ~ for granted)、相手につけ込み(take advantage of ~)、感謝を忘れる(be ungrateful)ようになってしまうのが悲しい世の習いでもありますね。 参考: http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20100330095804AAmtlse ************************* 《余談》『エゴイスト』をあれほど素早くしかも面白く読まれたのをお聞きし、本当にびっくりしました。それだけの読書力があれば、これからどれだけでも広く深く学べますね。羨ましい限りです。 メレディスには An Essay on Comedy という喜劇論があり、そこで 1)喜劇が発達していることは、高度な文明が発達している現われである。 2)喜劇が成立するには、男女の平等が確立されていなければならない。 ということを述べています。2)が、メレディス独自の考えなのですが、確かに『ベニスの商人』のポーシャや『エゴイスト』のクレアラのような女性は、魅力的なコメディエンヌです。彼女たちのような登場人物は、まだ日本文学には登場しません。以前楽しく見た、TVドラマの「結婚しない男」は、かなり近づいている感じがありました。獅子文六の『自由学校』が、占領下という悲しい時期にかなり健闘しているのがお分りかと思います。 『エゴイスト』の影響があると言われる漱石の『虞美人草』は、甲野さんの悲劇論で終わり、『エゴイスト』の逆になっているのが興味深いです。藤尾はコメディエンヌの正反対ですね。(つづく)
お礼
今晩は。日中は暖かかったですが、梅はもう少し先でしょうか。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 「耳の後ろに彼女の髪をからませ」の意味するところがよくわからなかったのですが、 耳が出ている、ということが言いたかったのですね。 (今では女性が耳を出しているのは別になんでもないことですね) 「the details」を細部と訳すのは何かしっくりきませんでしたが、 「あれやこれやの家事」ですね。「particulars」は「詳細、明細」の意味がありますね。 「welfare」も「幸福」より「快適な生活」ぐらいのニュアンスなのですね。 (このあたりは意訳ですね) 1)では「her~」が何回か使われていて、最後に「our」が出てきたのでそこはどうして 「her」にならないのかと思いましたが、「自分の妻になる女性として想定している」、という ことで理解できました。 2)は「cannot」がありますね。そこは注目していませんでした。「not … but 」になりますね。 そうなると文としては「is certain to see and hear」が それ以下の文を総括している感じに なりますね。(「which」以下がすべて「many things」に含まれるということですね) 「about」は最初は「~について」で訳していましたが、あまり訳に馴染んでいなかったので 辞書を引いたところ「・・のあちこちを」があったので、それを選びました。 「傷つかずにはすまない」というところまでは読めませんでした。 (ウィロビーは世間が「冷酷な野獣」だということを力説してクレアラの気持ちを 引かせてしまいましたね) ここはあえて「wife」という単語を使わない方が読者の想像力を駆り立てられるのですね。 「~or weep if need be」で最初訳しましたが、「if need be」が「weep」だけに かかっているのは、少し変かなと思いました。 1)の主婦と2)の夫の描写から、そんな二人はうまくかみ合わないだろう(期待の違いが生じて) ということなのですね。 参考のサイトを紹介してくださってありがとうございます。 おもしろいですね。海外でも女性の優しさを当たり前にとって感謝しない男性がいて それに対して悩んでいるのですね。 悲しい世の習いはどこの国でも同じなのかもしれませんね。 ************************* 『エゴイスト』は一読ではわかりませんでした。 もう一回じっくり読んで名訳を味わう事ができました。 ご紹介いただかなかったら多分一生読む機会はなかったと思います。 ありがとうございます。 そのあと『喜劇論』(相良徳三訳)を借りてみて、今日ちょうど読んでいたところです。 これは更にちょっと読んだだけはわからない感じだったので再度ゆっくり 読もうと思っていたところだったのですが、1)と2)のようなことが 書かれているのですね。(それを頭に入れながら読んでみたいと思います) クレアラはウィロビーとなんとかして結婚しないように最後まで頑張り抜きましたね。 (『ベニスの商人』は子供の時に絵本で読んだのですが、ポーシャがとても聡明だった 記憶があります) 「結婚しない男」は阿部寛のドラマでしょうか?(残念ながら見ていませんでした) 『自由学校』では「良人を見失った女性」を「戦争夫人」(戦争の生んだヤモメ)と呼んで、 彼女たちは一切、良人の世話にならないことを、理想としていますね。 『虞美人草』では『悲劇は喜劇より偉大である』と書かれていますね。 『生か死か。これが悲劇である。』と言っていて死について考えさせられます。 藤尾は甲野さんの悲劇論で言われているように生きてしまった女性ですね。 **************************** 前回ご紹介してくださった獅子文六の『山の手の子』読みました。 おもしろかったです。 「山の手の子」というのは山の手のパイオニアの二代目の人たちのことですね。 彼らの気質は一言でいうと「育ちのよさ」でしょうか。 水上瀧太郎、辰野隆、里見弴(有島武郎の弟)のことがいろいろ書かれていましたが みんな山の手の子の気質を十二分に持っていた人たちですね。 獅子文六の随筆は本の中にまだまだ入っているので読むのが楽しみです。 (また金曜日に投稿します)