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詰め込み教育は【必須】だと思いますが
幸い、日本のことではないのですが 詰め込み教育(宿題を含む)をどう思いますか 私は詰め込み教育は人生のある時期には必要な事だと思いますが 英才教育とまではいかなくても詰め込み教育は凡人が(天才は別でしょうが)頭が柔らかい子供のころのには必要な事だと思います 外での遊びと同じくらい人間形成のための必要を感じます 今、日本も教育の見直し(週5日から6日へ)の検討が進んでいます ゆとり教育は理想だけを追った社会主義や共産主義同様に勘違いいだと思います http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/france/?1359017867
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>どう思いますか 要は程度の問題。というに過ぎません。 ゆとり教育も、理念はともかく方法論が 明らかに間違ってましたから失敗したに過ぎないと思います。 要は整理整頓するのになんでもかんでも 詰め込んでしまえばいいのだ。 ということが明らかに間違いなのと同様です。
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間違っていると思いますよ。詰め込まれて、年取って覚えていることってそう無いですよ。無意味です。いかに興味をかきたて、自主性を促せるか、そこが重要では。基礎的な勉強を基礎的にしか勉強させられないのは、先生自体が、学問を本当に理解していないからであり、そこが問題だと思います。
お礼
私が高校生のころは確か、週6日の内5日英語の授業があり予習のため授業前日はヒイヒイしました さらに、三年の土曜日は選択の英語もあり1日2科目の英語があり、まいってしまいました でも使い慣れた辞書では10秒で単語ににたどりつくようになりました ただし、これからが文章の翻訳に時間が掛かるのですが 今では英単語もほとんど忘れましたが辞書を引く習慣だけは残っていて今でもすぐ横に英和辞書を置いていてカタカナ語でもスペルを想像しながら抵抗なくすぐに辞書を引きます 高校時代の習慣のおかげと思っています もしも高校時代の詰め込みがなかったら何もしない無気力な高校生活を送っていただろうし 今でも辞書とはほぼ無縁の生活であろうと思いながら昔の詰め込みに感謝しています 放任では何もない人生になったでしょう
- staratras
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私が学校教育を受けた40~50年ほど昔は、土曜日も授業があっただけでなく、中学校(九州の公立中学でしたが)3年生の時は「補充授業」と称して早朝に1時間通常の時間割とは別に授業を行っていました。最近までの「ゆとり教育」とは逆のある意味で「詰め込み教育」でしたが、それが良かったかどうかはよくわかりません。 およそ教育には小学校から大学までのどの段階でも、基礎的な知識や考え方を習得することと、それを生かしてじっくり自由に考えることの両方が必要ですが、昔の「詰め込み教育」は前者に偏りすぎていたように感じます。ご質問に挙げられた参考URLにフランスの宿題論争が出ていますが、重要なことは宿題の是非ではなく、児童・生徒が家庭でやってきた宿題に教師がちゃんと目を通すことができるかどうかだと考えます。やらせっぱなしで、先生が目を通さない(あるいは忙しすぎて目を通せない)ような宿題なら出さない方がいいのではないでしょうか。 私が小学校1年生の時の担任の先生は、毎日1ページずつ子どもたちに字(ひらがなと漢字)の練習の宿題を出しました。ノートの最上段に先生がお手本の字を書いてくれて、その下に子どもたちが字を書いて、朝提出するのです。先生はこのノートに休み時間や昼休みに目を通して、赤鉛筆で下手な字は修正し、よく書けた字には○をつけて、その日の下校時に返してくれました。50年以上たった今でも、なぜかこの宿題のことは覚えていますが、今振り返るとそれはこのノートを通して先生と1年生の私たちとの間でコミュニケーションがあったからだと思います。明治生まれのこの担任の先生には感謝しています。
お礼
生徒の個性を把握しながらそれぞれに対応する教育が理想ですね すきな先生の授業は楽しくなり、成績もあがりますね
お礼
ゆとりだけ与えて後は放置では凡人はほとんど何もしないでしょう 詰め込み後のフォローが大事ですね