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「民族のサラダボール」
昔は「人種のるつぼ」と言っていたものを、いまは「民族のサラダボール」と言うようです。 なぜ言い方が変わったのでしょうか。人種と民族、るつぼとサラダボールの違い、またこの呼称の故事来歴などをご存じに方は教えて下さい。
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http://en.wikipedia.org/wiki/Melting_pot http://en.wikipedia.org/wiki/Salad_bowl_(cultural_idea) 英文には人種とか民族とかはなく 移民の多様性とか文化の多様性という見方の違いのようです。 ※ たぶん日本人が言語を移入したときに、意訳を入れたんだろうと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB このへんから http://en.wikipedia.org/wiki/Salad_bowl_(cultural_idea) politically correct than melting pot, 政治的な正しさ ニグロとは呼ばずアフリカ系アメリカ人とか インディアンと呼ばずに ネイティブアメリカンとかと予防というのと同じ動機のようです。
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元、中学校教員です。よく聞いて下さいました。 「るつぼ」はすべてを溶かして一つの合金を作る 道具です。 ある時期(多分、1970~80年代)から米国 内でアメリカ社会を単一の社会にするのではなく それぞれの民族が独自性をもちながら1つの社会に 共生し合う社会をめざすようになりました。 いつごろか忘れましたが、米国の有力なTV局の 副社長が黒人を馬鹿にするジョークを口にすると、 翌日、副社長はクビになりました。日本では偉い人が 人を馬鹿にしても(過去、中曽根という総理はアイヌ を馬鹿にして米国のニュースになったけれど日本は 米国でニュースになったことがニュースになる始末) それほど問題にはならない。この違いは米国では、 もはや人種や民族で人を馬鹿にするととんでもない ことがおきる(暴動やボイコットなど)のに対し、日本 はとても寛容というか今では国としての韓国や中国の 政府を批判するのではなくて韓国人、中国人を平気で 馬鹿にする会話がTVで流れるありさま。 本題に戻り、「民族のサラダボウル」とは混ぜ合わせても 食材の1つ1つは原型を留めているよ、だから各々の民族文 化を大事にしようという発想なのです。オーストラリアの 多文化主義と同じですね。 ただし、そうした言葉が高く掲げられるということは、 実態はまだまだこれからですよということ。遠いけれど 日本よりはうんと力強いアメリカ国民の大目標です。
お礼
アメリカ国民の遠い大目標であると理解しました。移民の二世であるケネディや黒人二世であるオバマも大統領になれる国ですから、そう遠い目標でもないかも知れませんね。日本ではまずないことです。ありがとうございました。
- nacam
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「人種のるつぼ」と、「民族のサラダボール」とは、意味が全く異なります。 「るつぼ」は、材料をグツグツに煮込んで完全に交じり合う状態を言います。 対して「サラダボール」は、バラバラになっていても、材料が交じり合っているわけではなく、素材がそのまま生きています。 「人種のるつぼ」に代表されるのは、ブラジルでしょう。 対して「民族のサラダボール」は、アメリカの状態を言います。
お礼
ブラジルでは混血などで文化や民族自体が混交していくのでしょうか。 ご回答をありがとうございました。
- blackhill
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サラダボウルで検索すると、いろいろな解説が見つかったはずです。代表的なものをひとつ挙げておきます。 http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%9C%E3%82%A6%E3%83%AB%E8%AB%96 要するにるつぼとは加熱溶融して多数派に同化させるプロセスを指します。それに対し、サラダは各種材料を混ぜあわせますが、オリジナルの食材の個性を生かすのが特色です。
お礼
オリジナルの食材の個性を生かす、の含意があるのですね。 どうもありがとうございました。
お礼
政治的な正しさですね。 そういえば、インデアンとは「インドの人」ですから間違いですよね。 ありがとうございました。