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素人ですが、よろしくお願いします。

よく分からないのですが、哲学で、 ”絶対の真理はない”というのが一般説となっているようですが、 これは、皆が共通の現実はないということなのですか? つまり、事実=真実=真理=現実ということなのでしょうか? 素人なので、専門用語抜きで、シンプルに書いていただけると、 うれしいです(*^^*)

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回答No.1

我々の日常では皆(それを知る人)が共通の現実として捕らえていることはあります。 哲学の考え・理論・方法は多様なので(現実の出来事でも解釈は多様で、形の無いものは一層!TVの法律番組系でも1つの事実への捕らえ方が専門家でさえ180度違うでしょう?)、たとえとしては 哲学的真理とは絶対に普遍・不変だから真理(朝や昼・家と隣で変わったら真理じゃないですね)で 私たちの世界では、どんなことでも我々人間が見つけ(事実を)・伝え(言葉や記録で)・確認して(広く検討され)・決めていきます(認められて用いられる)ことから、 現実の物質の世界でも新たな発見により変わり行くように、人間が言葉や記録によって決めたルールが変われば変わってしまう=不変でないなぁ 目の前の空気(いろいろな構成要素が含まれることを人は知っていますが)は、今のレベルで人が空気=○○な物と決めたので、すべての要素を知らない人間(すべてを知ることの無い状態は永遠に続く?)が今だけの知識で絶対に間違いが無いとは言えないなぁ ”事実”は 目の前にある事柄でも  (道で子供を突き飛ばした場合) ”真実”は まことその奥にあることがあり  (車の衝突から救うためだった) ”現実”は そのために現れたこと  (打ち所悪く大怪我をさせた) ”真理”は 普遍な存在で  (どちら ほっておくか突き飛ばすかが良いか、また突き飛ばした人の心の奥 会社のストレスやその子が我が子のライバルだったとか で本人にもとっさの真意は判らない) なんてこともあったりするのです。 強引かつすごく悪い例でごめんなさいでしたf^^) 事実≒現実 真実≒真理 は多々あるでしょうが 事実≒現実≒真実≒真理 であったり 事実≒現実≠真実≒真理 であったり 真(まこと)が実ったこと”真実”は、まことの理(ことわり≒理論)”真理”に限りなく近いところにあるのが我々の常識で、考え方・捕らえ方の世界での研究考察は日常の常識とは厳密な定義(これが意見がいろいろあるので)は複雑(^^;なようです

noname#5764
質問者

お礼

ご回答いただき、有り難う御座いました。

その他の回答 (2)

noname#7049
noname#7049
回答No.3

 一般的にですが、宗教は、真理を求めるときに、信じることから始まります。  哲学は、疑うことから始まります。それに最初から何か決まった「真理」というものを設定してしまうことも、哲学らしくはありません。  哲学と宗教は似ていますが、信じることから始まる哲学は基本的にありません。まずは、目の前にあるものや、当たり前とされていることを疑うところから始まります。  「絶対の真理はない」というのは、そういう哲学の方法を言ったのだ思います。

noname#13376
noname#13376
回答No.2

哲学とは、「何が真理か」を追究する学問といえます。 ですから「真理がひとつ」とすると、それは哲学ではなく「宗教」ということになります。つまり言語矛盾というか、哲学の自己存在と矛盾することになりますよね。 私はこう理解しています。

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